New Romantics 第一部あなた 第ニ章11

小説 あなた

 そんな出来事があった翌日、次に本家の稲生が事件を起こす。
 少しばかり前に本家の庭に同年代の男女を招いて小さな宴を開いた。宴の本当の目的は稲生が心を寄せる和良家の娘、絢と会うためのものだった。皆が楽しく談笑しながら庭を愛でている間に二人はどこかに消え、そして戻って来た。その時二人は上気した満足げな顔で手を握り合っていた。
 その二人が今度は二人そろって姿を消したのである。
 本家では稲生が部屋にいないことなど気にしないが、早良家の方では娘がいないことに驚き、騒ぎになった。
 早良家では娘の侍女を問い詰め、男に誘われて外に行ったことが分かった。その男は誰だということになって、最初は口を割らなかった侍女であったが、最後には岩城稲生であることを白状した。
 早良家は内密に岩城本家に遣いを出した。最初は稲生はいるかと遠回しの話をしていて、いないという回答なのに、門の前から立ち去らないため本家の従者たちは戸惑い、早良家の遣いにどのように対応したらよいか考えあぐねた。
 最終的には、実は……と、早良家の絢がどうも稲生とともに邸を抜け出してしまって、帰ってこないことを伝えた。
 そこから岩城本家は大慌てで、稲生はどこに行ったのかと騒ぎになった。昼寝をしていた鷹野は叩き起こされて、稲生はどこに行ったのだと訊ねられた。
 早良家の従者が階の下に控えているのを見て、鷹野は慌てた。しかし、稲生がどこに行ったのか知らず、頭を抱えた。
 本家は稲生がどこへ行ったのか、当てを探そうかと思っていたところに、早良家から絢が戻って来たとの連絡が入った。そして、稲生も一緒だということも知らされた。
 稲生が見つかったという知らせの前に、鷹野は秘かに邸を出て、実津瀬のところに向かった。
前日に妹弟たちがいなくなったため、実津瀬は鷹野がやってきて稲生がいなくなったと言われて、慌てた。
「稲生が?でも、稲生は子供じゃないし」
「それが、絢と一緒にどこかに行ったらしい。早良家の遣いが来て私も初めて知ったのだ」
「そうなの……どうしたことだろう」
 実津瀬は腕を組んで考えた。稲生は絢とは相思の仲であることをこの前の宴で確認し合ったのだろう。また会いたいと思って、絢の部屋を訪ねたが、別れ難くて帰るのが遅くなったのだろうと、想像した。
 実津瀬にとっては、その気持ちはわかるのだった。雪と次に会えるとわかっているのに、その時別れるとなると寂しくて、握った手を離すことができないのだ。
「きっと人目につかないように近くの山の中にでも入っているのではないか?待っていれば帰って来ると思うが……早良家の人々が心配しているのなら、このまま待っているわけにもいかないね……早良家の近くの山の中にでも探しに行こうか」
 実津瀬が言うと、鷹野はそうしようと激しく首を振って頷いた。
 大っぴらに探すことも憚られ、実津瀬と鷹野は早良家に向かう途中、小高い山の裾を分け入って、稲生が絢と一緒に出てこないかと目を凝らした。
 実津瀬にとっては、昨日も同じようなことをやったな、と思い返していた。
 昨日はまた幼い三人だったが、今日は違う。子供ではない二人が山の中で何をしているのか分かったものじゃない。大事になる前にさっさと出てきてくれたらいいものだが。
 実津瀬と鷹野は時折ふざけ合って、体を押したり、落ちている枝を拾い上げると剣に見立てて振り上げて遊んだ。稲生のことは心配だが、それほど本気にはなれなかった。
 もう陽も西に沈みかけた時に、本家の従者が走ってこちらにやってきた。心当たりの場所を方々駆け回ったようで、頭のてっぺんから汗を噴き出させていた。
「稲生様、見つかりました」
 と息も切れ切れに言った。
「どこで?」
「誰か一緒にいた?」
 と二人から矢継ぎ早に質問が飛んだ。
 従者は詳しいことは聞かされていないようだが。
「早良家の裏の山の藪からお二人で出て来られたそうです。それを早良家の方がお見つけになられたようです」
 やっと息を整えて言った。
 実津瀬は鷹野と顔を見合わせた。絢と一緒のところを絢の従者に見つけられたとなると、たいそう説明や弁解に窮したのではないかと想像した。
 実津瀬たちは本家に帰って、稲生が戻るのを待っていた。
 実津瀬は本家で夕餉をご馳走になっているところに、足音もさせずにふらっと稲生が庇の間に入って来た。
 鷹野と会話をしているときに、部屋に影が差して顔をあげると白い顔の稲生が立っていたのだ。
「稲生!」
 実津瀬と鷹野は同時に叫んで、腰を浮かせた。
 稲生は手を前に差し出して立ち上がろうとする二人を止めた。
 侍女が円座を取り出して敷き、その上にドカッと腰を下ろした。
 二人は、稲生から第一声が発せられるのを待った。
「……ああ、こんな騒ぎになるとは思っていなかった。二人だけで会いたいとい気持ちになって、会いに行ってしまったのだが、少し長く一緒にい過ぎた……」
 次の言葉を促すと。
「絢と一緒に早良家に行って、絢の父上に話をしてきたよ」
「えー、稲生、そんなことができたの?」
 稲生は頷き、言った。
「案外、簡単に許しを得たよ。娘のところに通ってくれとお許しの言葉をいただいた」
 そう言って、目の前に置かれた夕餉の膳の箸を取った。
「……しかし、こうなってよかった。いつか、そうなるはずだったのだから。それが思ったよりも早くなっただけだ。心は晴れやかだよ。後で、お父さまにも話をしてくる」
 というと、粥の入った椀を手に取って口の中にかき込んだ。
 そんな稲生の様子をしばらく眺めていた実津瀬も鷹野もすっきりとした顔で稲生の旺盛に粥をかき込む姿に触発されて、目の前の椀を取って自分達も粥を勢いよくかき込んだ。
 稲生のことで本家が騒いでいたので、実言の邸からは舎人を二人ほど探索や連絡係として出した。その舎人達と一緒に実津瀬は邸に帰り、自分の部屋に入ると蓮がやってきた。
「連日の人探しお疲れさま。でも、今日はいい大人ですものね。稲生は何をしていたのかしら?」
 と言ったが、蓮は稲生が思い人の絢と一緒にいたことを知っているのだろう。少し顔を曇らせて言った。
「でも、二人のことがみんなに知れていいわね。二人は公認の恋人同士になったのでしょう」
「そうだね、稲生も大騒ぎを起こしたというのにすっきりとした顔をしている。いずれはっきりと知られることだから、早まってよかったと言っていたよ」
「そうなのね……絢がうらやましいわ…」
 蓮はそう呟いて実津瀬の部屋から出て行った。
 気まぐれだな、と実津瀬は思って部屋の隅に置いている盥で手を洗った。
 しかし、実津瀬にとっても稲生がうらやましかった。公認になった絢との仲をこそこそ隠す必要はない。自分と雪との仲はそのようには行かないだろう。これからも誰にも知られではいけない。ひっそりとはぐくむものである。
 翌日、約束の場所で雪と会った。
 その日は雪の方が遅れてきた。夏の宴に向けた舞は一通り形ができたので、練習も軽く終えて、椿の樹の陰に座って実津瀬は雪を待っていた。小さな足音が近づいて来て、椿の樹の陰から雪が現れた。
「実津瀬様」
 雪の声に実津瀬は顔を上げた。
「お待たせをしてしまいました」
 実津瀬は立ち上がって、尻を払った。
「いいや、いつもは私が待たせている身だ。たまに待つことなど大したことではないよ」
 雪と肩を並べて歩きながら、実津瀬は二日続けての人探しの話をした。雪は興味深く頷いて聞いていた。
「小さなお子達はお怪我もなく見つかってよかったですわね……皆、邸の中だけにいるのは嫌になってしまうのでしょうね。その、若いお二人も誰の目を気にするでもなく自由になりたかったのでしょうね。……私たちは……この宮廷の塀の中だけですから」
 雪はぽつりと言った。
 稲生と絢の話を、誰というのでもなく若い男女が秘かに会うために誰に告げることもなく邸を抜け出して、帰りが遅くなったため多くの人が探したという話をしたのだ。これで秘密の仲を暴露することになったと。
 雪はその二人をうらやましく思っているのだろう。女官が宮廷から出て行けないことはない。実津瀬は、隣に立つ雪の左手を取ると引いた。
「時間はあるのでしょう?私たちもこの宮廷の壁の中から出てみよう。外の景色は宮廷の庭とは違った自然があってそれは美しいだろうから」
 実津瀬が雪の顔を見ると、下を向いていた雪が顔を上げて驚きの表情を見せた。
「いや?」
 そう訊ねると、雪は首を横に振った。
「では、行こう」
 実津瀬は雪の手を引っ張って、宮廷から出る門に向かった。
 門の手前で、雪が握られた手を振り払うようにして離した。
「先に行ってくださいな」
 実津瀬は何気ない顔をして門番が立つ前を通り抜けた。その後で、雪が忙しそうにせかせかと歩いて、門番に会釈をすると門から出た。そのままの勢いで、前を行く実津瀬を追い越して、最初の角を右に曲がった。実津瀬はゆっくりと歩いて、雪の曲がった角を曲がった。
 雪はしばらく行ったところで待っていた。実津瀬が追いつくと、その後ろを俯いてつい来る。
 実津瀬は広い宮廷の塀の横を抜けて、人のいない竹林の中へと入って行った。雪の手を引いて人と会わないために奥へ奥へと進んだ。そうすると、竹林を越えた先にある山裾に出た。緑が目に痛いほど燃えて映えている。実津瀬は柔らかな草の上に雪とともに腰を下ろした。
「ああ、こんなことは初めてだから、新鮮だ。宮廷以外の場所をこうしてあなたと歩くのはこんなにも楽しいものだったのだね」
 実津瀬は竹林の中を雪と肩を並べて歩いたことが嬉しかった。誰かに見られる心配もなく、体が軽くなったように感じた。
「私も嬉しいですわ」
 実津瀬は雪の肩を抱き寄せて、俯く雪の頤に指を掛けると上を向かせて、その唇に自分のそれを重ねて吸った。
 唇を離して、雪を見ると雪はしばらく目を閉じてうっとりとした表情をしていたが、目を開けて実津瀬の視線とぶつかると恥ずかしそうに下を向いた。
「……宮廷の中とは違う顔。……あの中はあなたの仕事場だから、どうも後ろめたい気持ちがあったのかな」
 実津瀬は言って、雪を押し倒した。
 柔らかな草の上に寝転がり、雪を抱いてお互いのことについての話の続きをした。腕枕をして、お互いの話に笑い合って、ころころと鈴の鳴るような雪の笑い声に愛しさが増して、実津瀬は雪の体を引き寄せた。
「……嬉しい。こんな日があるなんて想像すらしていませんでした」
 雪は言った。
「急な思いつきだったけど、宮廷を飛び出して二人きりになれたのは良かった」
 雪が嬉しそうな顔をして、実津瀬の胸に顔を押し付けてきた。
「……他に、何か望みはある?私が叶えることができるなら、ぜひ叶えたい」
 実津瀬は体を起こして、寝ている雪の顔を見下ろした。雪は実津瀬の胸から顔を離して、見下ろす実津瀬の目をまっすぐ見上げて、考えている。
 その時、急に強い風が吹いた。ごうっとの音とともに草の先が風に洗われて沈む。樹々の枝も大きく震えて、風の力に堪えている。
 草の上に寝ていた実津瀬と雪も例外ではなく、実津瀬はとっさに雪の上に覆いかぶさった。実津瀬の背中を強い風が幾度と通り抜けていく。風は実津瀬のみずらに結った髪を巻き上げる勢いだった。雪も裳が巻き上がった。
 風が通り過ぎるまで二人はじっと待った。もう、強い風は止んだと、実津瀬が雪の顔の横に伏せた顔を上げようとした時に、雪は囁くように言った。
「あなた様の腕の中で朝を迎えてみたいですわ。それが、私が次に夢見ていることです」
 実津瀬は雪の言葉に動きを止めた。雪の言ったことをしっかりと心に留めるためだ。前にも一度、雪が言った夢だ。
 しかし、実津瀬と朝を迎えたいという望みは叶えるのが難しいものだ。どこで、雪と夜通し同じ褥の上で過ごせるだろうか……。実津瀬はすぐにはその答えは出せない。
「その夢、必ず実現させよう」
 実津瀬はそう答えた。雪は風に吹かれて乱れた実津瀬の髪を直すのに、その頭に手を伸ばして実津瀬の耳に囁いた。
「優しい実津瀬様。その言葉だけで、嬉しい」
 実津瀬の長い髪を手に巻き付けて言う。実津瀬は、たまらずに雪を抱き込み、態勢を逆転させて自分が下になり、雪を上に載せた。
「あなたと一緒に迎える朝はこれまで見たこともない格別の朝になるに違いない」
 実津瀬は言うと、雪は少女のような可憐な笑顔を見せた。宮廷で何年も働いている一端の女官の慣れた顔ではない。まだ、何も知らない娘がこれから我が身に起こることに、恥じらいながらも楽しみが勝っているような表情だ。
 実津瀬に見せている雪の顔とは別の顔があるなら、それを知る必要があるということはわかっているが、それを今すぐ暴かなければいけないかと思うと実津瀬はすぐにそんな気にはならなかった。
 真正面から向き合う気にならないのは、自分の弱さであると実津瀬は薄々わかっているが、そんな自分をどこかで見て見ぬふりをしていた。

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