New Romantics 第一部あなた 第三章24

小説 あなた

 手の甲に当てる武具を取り付けるのに、鷹野は難儀していた。
「う~ん、この紐はどこにつながるのかな」
「鷹野、ここに通すんだ」
 既に狩り姿に衣装を整えた実津瀬が、鷹野の腕から垂れている紐の先を取って、腕の下を通して反対側の紐通しの穴へと入れて、結んだ。
 今日は狩りの日である。 
 踏集いの近くの津留という地名の川のほとりに集まることになっていた。
 実津瀬は自邸で狩りの衣装を着けて、本家にやって来た。本家の二人は庇の間に衣装を広げて、着ている最中だった。初めてと言っていい狩りの装束の着付けに、鷹野は半分投げ出し気味で、実津瀬に頼りっきりだ。
「鷹野、自分でやりなよ」
 反対の手も出してきた鷹野に、実津瀬は鬱陶しい表情をしながらもかいがいしく鷹野の世話をしてやった。もう一人の本家の男子である稲生には妻の絢が本家に来ていて、少し離れたところで着付けを手伝っている。
 ちらちらと鷹野は稲生夫婦の様子を盗み見るので、実津瀬はたまりかねて鷹野の耳を引っ張った。
「わぁ、痛いじゃないの」
「いい加減に自分で着ろよ」
「怒らないでよ。……うらやましいんだよ」
「鷹野には里がいるじゃないか。会っているんだろう」
「うん……だけど、手を握らせてくれるだけだ。男女の仲は遅々として進まない」
 呟くように鷹野が言った。
 実津瀬は鷹野の愚痴には付き合わず、跪いて袴の上から、膝下を結って留めた後にそのままの態勢で上半身を上げて言った。
「……そう焦るな。向こうも鷹野に会いたくないなんて言っていないのだろう。そうなら芽はあるさ」
「恋とはこういうものかね?あちらの二人は陸上の亀のようなゆっくりとした進み方ではなかった。二人で手を取り合って川の中に飛び込んだら、その速い流れに身を任せて、最後は滝を落ちるように突き進んだ。それが恋だと思っていたのに」
「まあまあ、あちらのような恋もあれば、私のような場合もある。誰も同じ恋の橋を渡っていくわけじゃないのだろうよ」 
「ふん!言ってくれるね」
 鷹野は気に入らないというように顔を斜め上に向けると、簀子縁へと出た。
「天気は上々だ」
 空を見上げて、鷹野が言った。
「そうですね。よい天気です」
 庭から返事があった。実津瀬と鷹野が振り向くと、庭には鷹取景之亮が蓮と一緒に立っていた。
「景之亮殿」
 景之亮は実言邸に寄って蓮を伴って本家に来たところだった。
 先ほど鷹野が苦労して着た狩りの装束を体格の良い景之亮はきれいに着付けていた。背中には弓矢を背負い、手には弓を握っていた。
「準備は整っていますか」
「何とか衣装を着ることはできました」
 稲生も簀子縁に出てきて、岩城家の三男子がそろった。
「少し休まれますか?」
 景之亮が自分の邸から実言邸、本家と歩いて来たことを気遣って隣に立っている蓮が訊くと、景之亮は首を振った。
「私は平気だ。準備ができているのなら、出発しましょう」
 言葉の後の方は簀子縁に立っている岩城家の男子に向かって言った。三人は頷いて、階へと移動した。
 そこから鷹野は沓を履くのにも一苦労で、階に座らせて稲生と実津瀬が跪いて片足ずつ沓を履かせてやったのだ。
「いってらっしゃいませ。盛大な成果をお祈りしています」
 蓮が言った。
 稲生の妻の絢と本家の娘、藍が簀子縁に出てきて、狩り場に向かう四人を見送った。
 口ばかりの鷹野は体力がなくて、狩り場の集合場所である津留まで馬に乗って行った。その脇には岩城本家の従者が二人、弓を持って付き添っている。
 津留にはすでに数人の男たちが集まっていた。こちらに気づいた学友たちが実津瀬たちに挨拶をする。気が早い者は試射をしていて、その腕を見せつけていた。
 実津瀬たちの後ろからも音たちが集合場所にやって来るのが見えて、鷹野が手を振った。

 房は一人の侍女を伴って姉の芹と一緒に秋の実りを摘みに出ていた。踏集いで集まった場所の近くにあった池の様子を見たいという芹の希望をかなえつつ、山の実りを採取して帰るのだ。
 姉の気分転換のため、元気になってもらいたいという気持ちでの外出であるが、裏の気持ちはこの日、この近くで狩りをしている岩城一族の岩城実津瀬に運よく出会えたらと思っている。
 もう一度出会えたら実津瀬と芹の仲がうまくいくなんて奇跡が起こるとは思っていないが、それでも偶然の出会いが二人の気持ちに変化を起こさないか、起こしてほしいと一縷の望みをかけていた。
「姉さま、疲れていない?」
 隣を歩く姉に房は訊いた。
 食事の量はもとに戻ったが、食欲を無くした時に痩せた体はまだ元に戻っていない。細い体では踏集いまでの往復が堪えないだろうか心配した。
「いいえ、平気よ」
 芹は言って、元気を見せるために少しばかり走った。
「姉さま、走らなくてもいいわよ。元気なのはわかったから」
 二人はあれやこれやと思うままに話しをした。
 主に房がお見合いをする粟田家の息子のことだ。
 二人とも顔を覚えていない。どんな顔だったかと、想像する。房は自分の記憶の中をさらうと、出て来る男性の顔は実津瀬しかいなかった。姉のことを思ってくれた男の人。
「いろいろ考えても仕方ないわね……房のことを見初めてくれた人だもの。悪い人ではないでしょう」
 芹は言った。
 自分のことのように、芹は二日後に決まった粟田の子息と房の出会いの日に思いを馳せている。
「姉さま、待って」
 晩夏から初秋にかけて通った踏集いの集合場所の手前で、芹は道を左手に逸れて林の中へと入って行く。びっくりして房が追った。
「姉さま!」
「池にはこの林を抜けるのが近道なのよ」
 芹はどんどんと歩いて行ってしまう。 
 その体力を心配していた房だが、今は芹の後ろを追いかけるのが精一杯だ。
「姉さま、速いわ……」
 房は芹に追いついてその背中に向かって言った。その時、芹は立ち止まっていた。房は前に視線を向けると池が見えた。
 踏集いに来てもその輪に参加することなく終わるまで、この池のほとりで過ごしていた姉。今、少し池から離れた場所でしんとした池の佇まいを見つめている。
 そんなにこの場所が好きだったのね。
 房も芹の後ろから燃え盛る紅葉の季節の終わりを見つめた。赤や黄色の葉はだいぶ落ちて地面に堆積している。
 それとも、踏集いに通う途中からこの場所を好きになったのかしら。この景色の中で出会った人との思い出があるから。
「……初めて来たときは緑が映えて爽やかな気持ちの良い場所だった。今、葉が落ちて丸裸のような樹々は寒そうだけど、その風景はそれでいいものだわ。白くなっていく姿が水面に映って」
 芹は呟くように言うと、なだらかな傾斜を下りて、池のほとりに移動した。水面を覗き込んで自分の顔を映す。芹の足元で小さな虫が驚いて、水面へと逃げていく。そうしたら、水面には小さな波紋がいくつもできて水面に映る芹の顔が波打った。
 房は遅れて芹の後に続いて池の近くまで行き、後ろを振り返った。
 鷹野の手紙には、この日に狩りをすると書いてあった。何気ない予定を書いただけだろうが、房にはこの上ない有益な話だった。狩りの場所は踏集いの近くと書いてあったが、どこらあたりだろうか。
 狩りの途中に水を求めて、この池のほとりを訪れないだろうか。
 淡い期待に房は、周りをきょろきょろと首を振って見回した。
「房!」
 芹が離れた場所から手招きしている。
 房が後ろを振り返っている間に芹は向こうに歩いて行ってしまったのだ。慌てて房は後を追った。
「林の奥には木の実があるかしら?踏集いの時はそれほど池の周りを探索しなかったから。もっとよく歩いておけばよかったわ」
 芹は侍女と一緒に林の中に入ろうとしていた。
「姉さま、待って。あまり奥に行くのは怖いわ」
 房は知らないところに分け入るのが不安だった。それに、もし、実津瀬たちが運よくこちらに来たとしても、その時芹がここにいなくては意味がない。一縷の望みとして、偶然が起こることを祈っていた。
 房は急いで姉の元へと走った。
「どうしたの?」
 芹が房の様子を訝しがって訊ねた。
「……う、ううん。何でもないのよ」
 歯切れの悪い妹に、芹は怪しむ視線を送る。
 そんなことはない、と沸き上がる疑念を何度も打ち消してきたけど、もしかして妹はもう一度私を謀ったのだろうか。随分と心から私を励ましてくれていたのに。
 芹の目を見つめて房は、何と答えようかと言いよどんだ。
 その時、房の後ろで地を覆う熊笹が揺れる音がして、林の中で陰が動いた。
 房は獣が出たのかと振り向いたが、芹は違った。
 房が振り返って後ろを気にしていたのは、このことなのだ。やっぱりここに誰かが来ることになっていたのだ。
 それは……もう思い出したくない人……私に関わってほしくない人……きっと、あの人なのだろう。
「房!あなた!」
 芹の鋭い声に、房は前を向いた。そこには、猜疑に満ちた姉の目があった。
「姉さま……」
 房は姉の目の意味がすぐにはわからなかった。
 戸惑う房の様子に、芹は弁解の言葉を探しているのだと思った。
「私の気持ちをわかってくれないのね!」
 芹はそう言い放って、房に背中を見せて走って行った。
「ああ!」
 芹の素早い動きに、房も侍女もすぐには動けなかった。
「姉さま!」
 慌てて房は追いかける、その後を侍女も追う。
「待って!姉さま!」
 芹は房の後ろに誰かが立っているのではないかと思い、振り返ることもなく走った。
 家の中に閉じこもってそんなに動くこともなかった芹が、この時ばかりは素早かった。追いかける房との間はどんどんと距離が広がって行った。
「待って!違うわ!」
 房は音のした後ろを振り向くと、子供の鹿が飛び出してきた。やはり、獣だったのだ。
 しかし、獣とわからない芹が何と誤解しているのか、その時にやっとわかった。だからあんな疑いの目をしていたのか。
 芹は池の淵を周って林の中へと入っていった。
 房と侍女も芹が消えて行った林の入り口に辿り着いたが、そこから林の中を見ても芹の陰すら見えなくなっていた。
 闇雲に林の中に入って行くのは迷子になりそうで怖くて、立ち止まった房は林の奥に向かって叫んだ。
「姉さま!戻って来て!」
 枝にとまっていた鳥が房の声に驚いて鳴いて羽ばたき、樹々を揺らす音が聞こえただけで、芹の様子は伝わってこなかった。
「あなたはここで待っていて」
 侍女に手に持っていたかごを手渡した。
「房様はどこへ?」
 房は考えていた。ここらには集落があるのだから、住人を見つけよう。その人に助けを乞うのだ。もしかしたら狩りに来ている岩城実津瀬や本家の鷹野たち大勢の人に出会えるかもしれない。そうであれば、心強い。
「ここは踏集いで集まっていた場所に近いの。近くには集落があったわ。このあたりに詳しい人を探してくる」
 房は言って、芹が走って行った方向とは反対に走り出した。一人残された侍女は不安そうな顔をして芹と房が走って行った方向を代わる代わる見た。

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