New Romantics 第ニ部STAY(STAY GOLD) 第ニ章3

小説 STAY(STAY DOLD)

 外は明るい。朝はとうに来たようだ。
 その少し前から意識は起きていたが、目を瞑ったまま昨夜のことを思い出していた。
そして、自分の体に回された腕の温かさを感じた。眠りに落ちた後も、景之亮はずっと自分の体を離さずにいてくれたのかと思うと嬉しくなった。
 蓮はゆっくりと目を開けた。
 こちらを向いて眠っている景之亮の顔が始めはぼやけていたが、次第にはっきりと見えてきた。
 頬が剛い髭に覆われている。眠っている景之亮様の顔を見るのは初めてだ。閉じた目。睫毛が長い。
 蓮はじっと息をひそめて、景之亮の顔を見つめた。
 その時、景之亮が衾の中から左腕を上げて頬を掻いた後、んーと鼻から息を出した。酒の匂いのする温かい息が蓮の方へ流れて来た。
 こうして一緒にいたら体が近くにある分、匂いや音、体温、今まで見えなかった、感じなかったことを受け入れていくものなのねと蓮は思った。
全てが新鮮で、面白みを感じた。
 景之亮の髭に覆われた頬や、太い眉、長い睫毛を触りたくて、冬の朝の寒さに衾を肩まで被って胸の前に畳んでいた手をもそもそと衾から出して、景之亮の顔へ伸ばそうとした時、景之亮の目がぱちりと開いた。
「まぁ!」
 蓮は小さな叫び声を上げた。
 いたずらを仕掛けようとしたのを見つかって決まりが悪い時に似ている。
「起きていらしたの」
「うん。あなたが起きた頃に私も目が覚めた」
「なのに寝たふりさなさっていたのね」
「そんなことはない」
 景之亮は回している腕を引き寄せて、蓮を胸に抱いた。
「あなたと迎えた朝の余韻に浸っていたのだよ」
 蓮は引き寄せられた勢いで額を景之亮の顎にぶつけてしまった。景之亮は顔をずらして、蓮の額に唇をつけた。蓮は景之亮に引き寄せられてその裸の胸に置いた手を頬へと移動させた。剛い髭が逆に気持ち良い。何回か撫ぜて、蓮は顔を上げた。
 景之亮と目が合って、見つめ合う。
 景之亮の目尻が下がって、笑いしわができた。
「こんなにゆっくりでいいのかしら……。丸は」
「いいんだよ。今日は、呼ぶまで来なくていいと言ってあるから、丸から曜にも話してある」
 それを聞いてこんな朝もあるのだと、蓮は景之亮とその幸せを噛みしめた。

 蓮がこの邸に来てから三年が経ったが、蓮はあの日を昨日のことのように思い出せる。景之亮が言った言葉、景之亮が自分に触れた時の感触、どんな風に動いたか。それほど、新鮮で思い出深い朝だった。
 鷹取の邸に長く仕えている侍女の丸とは気が合った。自分の母よりは年上で、祖母というほどの歳ではない。なんでも知っている丸に、蓮はその都度訊ねた。嫌な顔をせず、反対に蓮にこの邸のことを教えることに喜びを感じているようで、根気よく丁寧に教えてくれた。
 蓮は景之亮と邸の者たちの間に入って、古びた色のない邸に彩りを加えていく。それを丸は止まっていた時が動き出したようで、嬉しいと言ってくれた。景之亮一人になってから、この邸の時は止まったように感じていたという。
 景之亮が十六の時に病で突然父を亡くした。まだ若く呑気にしていた景之亮には驚天動地で、父の弟である叔父の宇(う)筑(つく)の助けを借りて、しきたりを学び、宮廷に出仕し、役目を果たして、家を守ってきた。若い自分が認められるために、言われたこと以上のことをやってきた。三年が経ち、落ち着いてきた景之亮に、母や丸は早く妻を娶れと言っていたが、そうこうしていると母が病気になって寝付いてしまった。患い苦しむ母の看病もむなしく、二年後にその命は尽きた。
 父を突然に、母を長患いの末に亡くした景之亮は、妻を娶る機会を失ってしまっていた。侍女の丸は気を揉んで、何か機会があれば妻、妻と言ってくる。
 朝帰りをすると、女人のところに行っていたのか、と覆い隠すことなく訊き、違うというと、誰かいい人はいないものかと嘆いた。
 景之亮は生涯一人を貫くつもりなどないのだが、出会いや縁がなかった。しかし、その後四年の時を経て、蓮という女人と出会うことになった。景之亮は、時には待つことも大事だという教訓を得たのだった。
 蓮が来てから、邸の古くなったところは修繕された。新しい木の香りがする邸に使用人たちは皆、喜んだ。御簾とは名ばかりの部屋にみすぼらしい布が下がっていた頃はこんなものを垂れさせておく必要もないだろうと思うものだったが、なければないで体裁が悪いとそのままにしていた。今は御簾や几帳も順次新しくなって、人が訪ねてきても、恥ずかしいと思うことはない。
 これも、蓮という人がこの邸に来てくれたからだ。使用人たちの蓮への気持ちは好意的なものだ。
 特に丸は、主人の妻ということ以上に蓮を好ましく思っている。
 岩城家の娘を妻にする、と聞いた時は、何という縁だろうかと驚き、そして喜んだ。あの岩城一族の娘の夫になるのだ。年を取っていく景之亮に、早く妻を、と焦っていたが、こんな結果になったことを、丸は心の中でもろ手を上げて喜んだ。しかし、ある日、このなにもかも古びたみすぼらしい邸に蓮をよんで一緒に暮らすと言ったのには驚いた。岩城邸の蓮の部屋に通い、子供ができて大きくなれば、この邸で一緒に暮らすものと思っていたが、最初から一緒に住むというのだ。簀子縁の板が腐ってところどころに穴が開いている。使用人の部屋の屋根が落ちて、母屋の部屋の一室に重なって寝ていて、景之亮の部屋を狭くしているこの邸に、妻と一緒に暮らすというのだ。
 岩城邸を見たことはないが、少なくともこの鷹取の邸の何倍も大きく、美しく、豪華であるはずだ。蓮はこの邸の惨めさに嫌気がさすのではないかと心配していたのだが、それは杞憂でそのことに何一つ不平や文句を言わない。古びていることで不便なことはあるが、それも楽しんでいるところがある。邸は裕福ではなく、食事もこんなものかと思うほどに質素だが、それにも蓮はこだわることなく、おいしいおいしいと言って食べている。
 たまに、岩城家に届いた地方からのご馳走のおすそ分けがある。丸はこんなものが遠くの土地で取れるのかと、干した大きな魚を見下ろして思った。こんなおいしいものを毎日食べていたというのに、この邸で出される食事に満足するはずはないのだ。
 しかし、蓮は一族の力を笠に着て横柄な態度をとることなく、知らないことは知らないと素直に認めて訊く。明るく屈託がない。
 むくつけき男主人に呼ばれていたが今、丸は若い女主人の明るい声に返事をする楽しい生活である。
 梅の花が咲く頃。寒さも緩まった時に、蓮は丸と一緒に簀子縁に立って景之亮が宮廷に出発するのを見送った後、庭の方を向いて言った。
「このお庭、少しきれいにしたいのだけど、手伝ってくれる人いるかしら」
「……庭を……手伝う者はいますけど、近々どなたか岩城家から人をお呼びになるのですか?」
 蓮がこの邸に来る前に、庭の草は皆で刈って手入れをしたが、手を抜いて部屋から見えるところだけにした。それ以降は何もしていない。蓮は庭の奥の方まで見ていて、気になったのだ。
「誰も来ないけど、きれいにしたいの。私一人だといつ終わるかわからないから手伝ってほしいの」
「蓮様が!あなた様にそのようなことさせられません!」
「大丈夫よ、景之亮様はだめなんておっしゃらないわ」
「しかし……」
「五条では母を手伝って薬草作りをしているの。土を触ることや、草を抜くのは慣れたものよ」
 そう言った後、汚れてもいいように着古した衣装に着替えて、庭へと飛び出した。
 蓮には五条の邸から、蓮の侍女の曜と従者の鋳流巳が一緒に来て、鷹取家の使用人となった。その二人が蓮と一緒に枯れた草を刈り始めたので、元からいる鷹取の使用人たちも自分の仕事は置いて庭に集まって来た。丸も仕事を片付けてから、皆と一緒に草をむしり始めた。
「丸、あなたはいいのよ、家の中のことをやって」
 この邸の中で二番目に歳の多い丸を慮って言ったのだが、丸は言う。
「蓮様、私を年寄り扱いなさるのですか?私はそれほどの歳ではありませんよ」
「そんなつもりはないわ。手伝ってくれるのはありがたいわ」
 蓮はそう言ってみんなと一緒に草刈りや、落葉集めをした。
 日が高く上がった頃。
「皆、体を動かしたらお腹が空くでしょう。お粥を食べましょうか。準備を」
 蓮が屈めていた体を起こして空を見上げて言った。すると、丸が声を上げた。
「していますよ」
 蓮は丸を見た。
「みな、熱心に草刈りをしていて、お腹も空くだろうと思って、準備をさせています」
「まぁ、丸、ありがたいわ。みんな、お粥ができたら、今日は終わりにしましょう。そして、みんなでお粥をいただきましょう」
 粥ができると、丸は蓮を追い立てるように階の上に上げて、目の前に粥を入れた椀を置いた膳を置いた。作業を手伝った者たちも、若い侍女が持って回るたくさんの椀を載せた盆から椀を取って、階の下や庭に座って粥をすすった。
 蓮はきれいになった庭を眺め、そして粥をうまいうまいと言ってほおばっている皆の顔を見た。皆、おいしそうに粥を食べているのが嬉しかった。
 夜、帰って来た景之亮に蓮は粥と少しのおかずに酒を用意した。
「蓮、丸から聞いたよ。今日、皆で庭の草刈りをしたそうじゃないか」
 景之亮は灯台の元に置かれた円座に座ると言った。
「ええ、そうよ」
「あなたが先頭に立って草を引っこ抜き、土を掘り、枯れた葉をかき集めているのに、丸はたいそう驚いたそうだ。あんなことをさせてよかったのかと言っていた」
「景之亮様は丸になんて答えたの」
「こうしたいと決めたあなたを止めることはできないだろう。だから、丸にはあなたの言うようにやらせてあげて、と言っておいたよ」
「それでこそ景之亮様!私も丸にね、景之亮様はやってはいけないなんて言わないから、心配することない、と言ったのよ」
 蓮は言って、景之亮が持ち上げた杯に酒を注いだ。
 景之亮は注いでもらった杯を膳に戻すと、隣に座る蓮の手を取った。
 いきなり景之亮が手を握ったので、不思議そうに景之亮を見上げた。
「私が不甲斐ないせいで、この邸は目に余るところがたくさんあるね。あなたはそれに不満を言うことなくひとつひとつきれいにしてくれる。あなたの行いで邸の者たちは心が洗われているようだ。丸も庭をきれいにしたら、心が洗われたような気持ちになったと言っていたよ。……でも、あなたの柔らかい手が傷だらけだね」
 と言った。
「気にしないで、傷は治るわ。景之亮様は今日もお仕事に精を出されたのでしょう。さ、お酒を召し上がって」
 蓮が微笑むその顔はとても愛おしい。景之亮は再び杯を取って、愛妻が注いでくれた酒を口に含んだ。

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