Infinity 第三部 Waiting All Night14

桜 小説 Waiting All Night

 実言は少し濡れた衣装のまま部屋に入ると、侍女たちが着替えを持って来た。奥から礼が出てきて、着替えを手伝った。
「礼、起きていたのか」
「ええ、少し書物をしていました」
 着替えが終わって、奥の部屋に行くと、礼の言葉通り机の脇に灯台が点っている。しかし、それは口実で礼が起きて自分を待っていたことがわかった。
「ひどい雷だったね」
「はい。子供達が恐ろしがって、なかなか寝付いてくれませんでした」
「そう、早く帰って来られたら良かったが、あの雨では難しかった」
「そうね。ひどい雨でした」
 二人は立ったまま向かい合って会話をしていたが、言葉が途切れたところで素早い動きで礼を横抱きにし、寝所へ連れて行き、褥の上に少々乱暴に思えるほどの勢いで下した。
 抱き上げられた礼は驚いたが声を出す間もなく、実言に身を委ねた。 
 それから時間は経って、夜明け前。
 右腕の中に収まっている礼が、少し身動きしたので、実言はその腕を緩めた。するとより体を縮こめて、実言の腕の中に礼は収まった。
 仰向けに寝る実言に対して礼は横になり実言の肩の付け根に頭を置いて、両腕は胸の前に折りたたんでいるのに、右足は衣の裾から大きくはみ出して、実言の足に絡ませている。眠る前に、二人はたっぷりと愛し合って、体を離したときそのままなのだ。礼は裸の上に、衣をかけて実言が抱き寄せたままだから、少し動けば衣から礼の肩はまる見えになる。しどけない姿であるが、実言を信頼しきって、何をされてもいいという姿に見えるし、不安や恐怖がないと分かっているから、無防備でいられると言いたげである。
 その姿に実言は満足する。
 愛しい女が何の疑いもなく自分に身を任せて寝ている姿は可愛らしく、何にも代えて守るべきものの一つと思う。
 また、礼が身じろぎして、今度は実言とは逆の方へ寝返りを打とうとした。腕の中からこぼれ出ようとする礼を、そうはさせじと実言は腕に力を込めて礼を自分に引き寄せた。強い力に引き寄せられて、礼はうっすらと目を開けた。
「……実言……朝?」
「いいや、まだ眠っている時間だよ」
 実言は背中を通して礼の右肩に手を伸ばして、自分に引き寄せ、顔を近づけた。礼の右肩には、鏃を受けた跡がある。それは礼が実言を守るために作った愛の証と言っていい。実言はその近くに口づけた。
「あなたは起きているじゃない……」
 まだ眠りの中にいる礼は、くぐもった声でそう言った。
 実言が右肩に口づけるために引き寄せたので、礼の顔はより実言の胸の上に近づいた。それで、実言の胸が小さく揺れているのに気づく。実言は礼の言葉に、それもそうだ、と声もなく笑っているようだ。
 今日の実言は変である。雷と大雨もここ最近なかった天気であったが、実言の今夜の態度も、いつになく厚いもので不思議であった。
 寝所に連れて来られ、褥の上に降ろされたら、覆いかぶさるようにして抱きしめられた。胸を潰されるのではないかと思うくらいきつく抱かれて、もう息ができないと訴える寸前で力が緩まった。ホッとして、閉じていた目を開けると、すぐそこに実言の顔が近づいていて、着ている上着の袖から腕を抜けと引っ張られた。声もなく、上着を剥がれると、次は腰紐に手がかかり、紐がその場に落ちるのと同時に着ている衣や裳は脱がされて、肌着も肌を滑って落ちていった。その間に、実言は自分の身に付けているものを自分で解いて脱いでいく器用さだ。
 裸になって胸と胸とを合わせて、褥の上に寝転ぶと、実言は礼にもっと強く自分にしがみつくようにと礼の腕をとって、自分の背中へ回した。礼は自分の力で実言にまとわりつくように背中にまわした両腕に力を込めた。実言の両手は礼の両頬をつかまえて、性急に唇を求めて吸った。礼が下を向こうとしたところを、強引に上に振り向かせて出会い頭に激しく吸う。
 雨が止んだ後の外は虫が鳴いているだけの静かな夜で、部屋の中は二人の息遣いがするだけだ。
 実言は、礼の左目を隠す眼帯を手の平に握って外す。これで、礼を覆うものは何もなく、礼を隠すものはなくなった。
 実言は礼の右の太腿に手を伸ばしてその内側を自分の左腿の外側に沿わせて持ち上げた。礼の足間に実言は体を入れて、礼の背中を引き上げてお互いの腹を合わせた。残り雨に打たれて冷えた体に、礼の素肌から伝わる温かい体温は心地よかった。礼は、背中に回した手を徐々に実言の頭に移動させ、上に束ねている結びを解いて、長い髪を下ろした。実言のそのような姿は寝所でしか見ることはできず、礼しか見ることのない姿だ。礼の手が実言の長い髪をかき上げて、夜にしか見ない趣の違う表情を見つめた。どちらからともなく、いや、礼は実言からだと思ったが、我慢しきれずに再び口を吸い合った。
 それから実言と愛撫を受けたり返したりしながら、じっくりと性愛に耽った。今夜のそれは激しく厚くて、驚いたが、嬉しかった。寝ている礼は自分の胸の前に畳んでいた右腕をそっと実言の胸の上に伸ばして、自分からより実言に密着した。今夜の熱の余韻を味わいたかった。
 今夜の自分は雷雨をやり過ごすための暇つぶしに男四人で話した女人の話にあてられたようだ、と実言は思った。定彬の伝わらなかった女人への愛情の話をきいたら、我が妻に対する思いが逸って帰るなり性急な行動をとってしまった。
 胸の上に忍ばせた礼の手を実言は敏感に感じ取って上から握った。とらえられた手を思いの外きつく握られて、礼は声を出した。
「……実言?」
 今夜の実言は本当に変だ。礼が知らない何かがあったようだ。何かなんて見当もつかないが。
 礼は実言の肩口に伏せていた顔を上げた。
 振り上げるのを待っていたかのように、実言は礼の顔をとらえてその唇を探した。急な動きがわからなかった礼は実言の思いをうまく受け取れずに、唇がぶつかりあった。しかし、合わさってしまえば、それは離れることなくかえって溶け合っていく。肩に置いていた実言の手はのけぞる礼の頭を支えて離さず、強く、深く吸った。
 本当に、実言はどうしてしまったのだろう。
 礼は、今夜の自分を不思議に思っているのだろう。少し激しくて、しつこいくらいに求めたことを。定彬の気持ちをわからなかった女人のことを思うと、自分の女にはわかってもらっているか不安になった。
ゆっくりと唇を離すと、実言は礼の頭を首元に引き寄せて、抱いた。
「礼……私は、お前を手放しはしないよ。……どんなことがあろうとも。手放すことは、自ら半身を引きちぎるようなものだ」
 実言は愛おしさを込めて礼の頭を撫でた。
 また、異な事を言う実言に、礼はどうしたものかと思った。そういえば、実言が新しい妻を迎えるかもしれないとあて推量していた時のことを思い出した。実言が離れていくのは怖かったが、それも受け入れなくてはいけないと思った。しかし、それまでは実言の傍にいたい。
「……どうしたの?……あなたがおいてくれる限り私は傍にいます」
 実言は何も言わず、礼の体を抱く力を強めた。
 礼は須和家の血を引くものである。須和家の血を引く女は不思議な力を持っているとまことしやかに言われていて、その血を求める者は少なくない。実言も礼が須和家の娘であることを知っていて、妻に迎えた理由の一つでもあった。
 須和の娘の力によるものか、実言は礼に三度命を救われている。礼が左目を失った時、右肩に矢を受けた時、そして北方の戦場まで旅をして死の淵にいた実言を快復させたこと。自分の女神といっていい。そんな女をないがしろにすることなどできようか。
 そして、そんな打算をとうに飛び越えて、実言にとって妻はこの女人でなくてはならないのだ。美醜など関係ない、信頼し合い心をゆるしあった女人は唯一の心安らぐ場所であり、一緒にいるだけでよかった。一族の中の役割や権力欲がなければ礼と都から離れたどこぞの山に籠って過ごしたい。
 雪平や定彬はまるで、礼が実言をつなぎとめるために、実言の弱みを握って脅しているように思っているが、それは全くの逆なのだ。
 実言はそう思うと、自然と笑えてきて、礼が見ていないことをいいことに隠すことなく唇の端を上げた。
 実言がその一族の権力を笠に着て、好き勝手に他の女人にうつつを抜かしていたら、礼は未練もなく実言から離れていくだろう。正妻の座を譲って、自由にどこかに、束蕗原の叔母の所にでも行ってしまう。実言の援助など必要ともしない。
 いや、違うのだ。実言はそっと頭の中をかすめる思いを今は煮詰めた。礼を手放したら、陰ながら礼を援助したい、あわよくば妻にしたいと思う者の顔が複数浮かぶのである。そんなことがわかっているのに、みすみす礼を手放すようなことをするわけがない。礼がその男達の元に行ってしまったら嫉妬の炎で焼かれる思いだ。
 礼に嫌われたくない思いでいるのはこの男の自分であるというのに。
「今夜のあなたは本当におかしな人……」
 礼はまだ眠たさの残る声で囁いた。
「おかしくないさ。私の熱情は途切れることなく、こうしてお前を包むのさ」
 実言は両腕を礼の背中に回して抱き直し、顔の下にある礼の額にそっと口づけた。

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