New Romantics 第ニ部STAY(STAY GOLD) 第九章1

小説 STAY(STAY DOLD)

 蓮は消火隊の後ろについて走った。
怪我をしている人がいたら助けなくては!
 この緊急事態で自分ができることはそれだ、と今の蓮はその気持ちだけで動いていた。そこに、火に近づくことの危険や恐怖といったことはすっぽりと抜け落ちている。
 内膳司は王宮の食事を作るところである。常に火を使っているから、火事に気をつけているはずであるが、なぜ出火したのか。
 皆、今日の寒さが頭をよぎった。
 部屋を温めるのに、藍の部屋にも炭櫃を出してあった。そういった物を出しているのに、もう一枚引っ張り出してきた上着を部屋が暖かいので要らないと脱いで近くに置いてしまったのが原因ではないだろうか。
 しかし、それは消火し終わった後に探ればいいこと。今は一刻も早く火を消さなければならない。
 大王が住まう王宮に燃え移るのをまずは阻止しなければならないが、王宮のすぐそばに建つ内膳司の火は王宮に燃え移りそうで、そうはならない。王宮を取り囲む高い土塀が、火が入り込むのを防いでいる。しかし、内膳司の建物は炎に包まれた。風で舞い上がった火の粉が王宮内に落ちて新たな火を起こすかもしれない。
 消化隊は水を貯めておく甕から水をすくっては火に向かって撒くが、火の勢いを止めることはできない。そこへ取っ手のついた丸太が運び込まれた。それで建物を突いて壊し、火の広がりを防ごうとした。宮廷を守る者たちが大勢集まってきて、本格的に消火活動が始まった。
 暗闇の中、火事の炎は赤い怪物が現れたようで周りを取り囲んだ消火隊たちも、恐怖し震えた。
 蓮は怪我人を助けなくては、と思わずここまで来たが、両手を広げて襲いかかるように燃え盛る炎を前に、恐怖心が出てきた。
 内膳司の建物の前には、続々と男たちが集まり、丸太もさらに二本追加されて建物の破壊が加速した。壊した建物の上から人の列を作って井戸からすくった水の入った盥を隣の人に手渡して運び、火の上にかけた。
 蓮は集まってきた消火隊に押されて後ろに後退りした。男の中に女人がいることが目立ってきて、蓮はその場を離れることにした。
 考えてみれば自分一人がここにいても大したことはできない。もう怪我人が出ていたら、と思ってきたが、怪我をしているものは見当たらないし、今ここに薬を持っているわけでもない。こんな時は、一旦典薬寮に帰って、典薬寮の医官たちと一緒に薬を用意して怪我した者の手当をする方がいい。勝手なことをして岩城の名を汚してはいけない。
 蓮はそこで思ったらすぐ行動してしまういつもの自分が出たと気づいた。
 今は典薬寮に戻るべきなのだ。
 蓮は振り返って歩き出した。
 ………。
 蓮はしばらく歩き出して、自分の愚かさに気づいた。
 王宮の門を出たところで、付き添いの女官に、付き添いは要らないなんて言ったが、いつも歩いているのは昼間で、夜になると景色は変わった。そして、いつもは通らない火事の現場である内膳司の近くまで来てしまった。典薬寮に帰る道がわからなくなってしまった。
 さて、どうしたものか……。
 皆が力を合わせて火事の消火をしているときに、迷子になったので道を教えてくださいと尋ねられない。
 蓮は自分でこの状況を解決しなければと、しばらくあてもなく歩いた。
火から遠ざかってはみたものの、建物の裏手に回ると、真っ暗でここがどこかわからない。
 仕方ないので、来た道を戻った。
 火元の裏側に来たつもりだが、目の前の建物にも火は回っていて、ちらちらの小さな火が見え隠れしている。
 初めて見る火事に蓮は恐怖を感じた。
 知らず知らずに火の手は広がっているのだ。
 蓮は、この場からも離れなくては行けないと二、三歩後退りした。
 その時、人の声が聞こえた。
 蓮は目の前の建物を向き、中に目を凝らした。声は女人の声のように思った。
 真っ暗な室内の中に煙と赤い火の粉が見える。
 女人の声はもしかしたら空耳だったかもしれない。
 蓮は建物に近づき、耳を澄ました。近づくと、熱い空気が蓮を押し留め流ようだった。
 燃え盛る火は風で立ち上る炎となり、その勢いの音が女人の悲鳴のように聞こえたのかもしれない。
 蓮は自分の聞き間違いであって欲しいと思って、部屋の中を覗きながら廊下の端に沿って歩いた。
 その時。
「きゃあぁ」
 甲高い声がはっきりと聞こえた。
 蓮は顔を上げて確信した。すると、続けてもっと幼い子供の鳴き声が聞こえてきた。内膳司で雑用をしている子供も取り残されたのだろうか。
 蓮がどうするべきか考えていると、蓮が歩いて来た方から、大勢の男たちの声が聞こえた。
 蓮は自分が超えてきた建物の陰からそっと覗くと武官装束の男たち並んで目の前の恐怖に勝つために互いの威勢を見せ合って叫んでいる。
 逃げ遅れた人がいると伝えに行くべきか……行っても、相手にしてもらえるだろうか……火を消す方が先と言われるだろうか。大勢の人が火の危険にさらされているのだから。
 どうするべきだろうか?
 蓮は短い時間の中で考えを巡らせた。
 ここはまだそこまで火が回っていない。こちらに逃げるように教えられれば、助けることができるのではないか。
 蓮は離れて行く男たちの姿から視線を外し、背を向けた。近くの階から建物に上がり、部屋の中の端にある几帳から帷子を引きちぎって、すぐに階を降りて、水の溜まった甕の中に帷子と自分が身につけている領布を浸けた。そして、再び階段を駆け上がり、建物の中へと入っていった。
 ここは何の建物だろうか。内膳司の一部であろうが、がらんとした部屋である。
 もっと中に入っていくと膳や皿が重ねて置いてある棚があった。それでこの場所は配膳をする部屋だったのだろうと予想した。
 二人はどこにいるのだろうか、早く見つけたい。
 蓮は木の焼ける臭いに思わず水に浸した領布で鼻と口を覆って、火に近づいていることの危険を感じながらも、もっと奥へと進んで女人と子供の姿を探した。
 ぱちぱちと木が燃えて爆ぜる音がする中、蓮は自ずと屋敷の奥へと進んで、目を凝らして部屋の中を見渡すと朧げに人影が見えた。
「もし!」
 蓮は声を張り上げて叫んだ。
「こちらへ!こちらへ来てください!こちらが安全です!」
 蓮の張り上げた声が聞こえたのか、人影はこちらを向いた。女人の脇には幼い女の子が取りついているのが見えた。
「早く、こちらへ!」
 蓮はさらに声を張り上げて言った。それに負けじとこちらを向いた女人は声を張り上げて答えた。
「火の勢いが強くて行けません!」
 蓮はその言葉で自らの周りを見渡した。
 蓮は炎に近づきすぎたようだ。入ってきた部屋の火の手はまだ小さかったが、火の回りは早く、気がつけば蓮の周りは大きな炎の海になっていた。
 しかし目の前に逃げるに逃げられないでいる二人を放っておけないのが蓮である。
 蓮は水に浸した帷子を頭から被って前に進み、二人の前にたどり着いた。
 その時、火は部屋全体を覆っていた。上から横から風に煽られて噴き出してくる炎に二人はどこに身を置いたらいいのかわからず部屋の真ん中で抱き合って震えるしかない状況だった。
「これを被って」
 蓮は帷子を二人の頭に掛けた。
 濡れた二人の顔は炎による汗なのか恐怖による涙なのかわからない。蓮も自分の領布を頭から被ってあたりを見回した。
 そこで足がすくむ。
 二人の元に来るまでに見ていた向こう側の光景とは全く違う。
 炎に囲まれて、その熱にふらふらになり身動きが取れない。
 蓮は逃げ遅れた二人と抱き合って自分が来た方へと進みたいと思ったが、几帳の帷子や下げている御簾に燃え移って、通り抜けるのは困難であり、躊躇した。
 その時、横からはっきりとした声が聞こえた。
「こっちだ!こっちに来い」
 三人は声のする方に一斉に振り向いた。

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