New Romantics 第ニ部STAY(STAY GOLD) 第九章12

小説 STAY(STAY DOLD)

 必ず行くからと、何度も言うのだが、太良音は桂から必ず実津瀬を連れてこいと言われているから一緒に行くと言って引かない。仕方なく実津瀬は離れの部屋に戻って、芹に事情を話した。
「これから佐保藁に行かれるのですか?」
「ああ、桂様は大王から大切な役目をお願いされていて、それを受けるかどうか悩まれていた。その返事をするのが、明日なのだそうだ。その前に何やら相談したいことがあるとかで、佐保藁に行かなければならない。話を聞いたらすぐに帰ってくるよ。榧が帰ってくるかもしれないからね」
「ええ、今、お邸にはお義父様も宗清殿もいないのですから、何かあればあなたが頼りです。早くお帰りになってください」
 芹は実津瀬の外出の着替えを手伝いながら言った。
 確かに、舎人の忠道など邸を任せられる者はいるが、榧が戻らない不安を受け止めるには父や実津瀬、宗清がいたほうがいいだろう。
「お話を聞いたらすぐに帰ってくるよ」
 実津瀬は不安げな表情の芹の体に腕を回して抱きしめた。
 部屋を出ると庭に太良音が待っていた。
「お待たせした」
 実津瀬の言葉にそんなことはないと太良音は首を横に振り、二人は門をくぐって佐保藁の宮に向かった。太良音は忠実な従者として、実津瀬を佐保藁の宮に案内することに徹し、無駄口を叩くことはなかった。黙々と歩を進め、佐保藁の宮に着いた。
「ここまで歩き通しですので少し休まれますか?」
 門をくぐったところで太良音は尋ねた。
「いや、すぐに桂様にお会いしよう」
 実津瀬が答えると、太良音は頷いて庭へと案内した。いつもの庭に面した石畳の部屋に行った。
「桂様は中にいらっしゃいます。どうぞ、お入りください」
 中に主人がいることを確認することもなく、太良音は九日前と同じように実津瀬にその扉を開けさせた。五条に行って実津瀬を呼んでくるように言ったのも、この部屋だったからだろう。
 桂はずっとこの部屋で自分が来るのを待っていたのだろうか。
 実津瀬は扉の前に立ち、声をかけた。
「桂様、岩城実津瀬でございます。入ります」
 その言葉に、部屋の奥から。
「入れ」
 と桂の声がした。
 扉を押して部屋の中に入ると、炭櫃の前に置いた椅子から桂が立ち上がる姿が見えた。
「呼び出して悪かったな」
 自分の前に立った実津瀬に桂は言った。
「いいえ、問題ありません。明日が伊佐のお返事をする約束の十日後と聞きました。桂様は律儀に伊佐行きの話をした私にその答えを教えてくださるのだと思いまして」
「ふふ」
 桂は少し笑い声を漏らして椅子に座り、実津瀬にも座るように促した。
 実津瀬が座ると、桂は実津瀬の膝に自分の膝をぶつける勢いで身を乗り出して言った。
「十日は長いようで早かった。色々と考えを巡らせ、自分の気持ちを整理するのに必要な時間だった」
 どことなしか桂は目を爛々と輝かせているように見えた。なぜそのような目になるのか、実津瀬は分からないが返事をした。
「そうですか……」
「私の結論を聞かないのか?」
「桂様なら答えは決まっていると思っています」
 実津瀬は言った。
「ふむ……確かに……しかし、一つ条件をつけるつもりだ」
「条件?」
「そうだ」
「どのような」
 実津瀬は思わず尋ねた。桂はその反応を嗤った。
「実津瀬……そなたが伊佐まで私の供をすること、それが条件だ。それが叶わぬというなら、私は伊佐には行かない。そう答えるつもりだ」
「なっ!何をおっしゃるのですか?私は武官ではありません。随行しても役に立てると思えません」
桂の言葉は全く予想していない言葉だったため、実津瀬は驚き大きな声を出した。
「そんなことない。そなたがいてくれるだけで、道中私は機嫌がよいだろう。周りの者たちにとってそれは役立っていると言えるだろう」
 自虐的なことを言って、実津瀬を笑わせようと思ったが、今の実津瀬にそんなことは通じるはずもなかった。
「そんなことはありません!」
 実津瀬は強い口調で返事したが、すぐに桂がさらに強い口調で冷徹な言葉を発した。
「口答えは許さぬ。皆、私の機嫌を伺うはずだ。私はそなたがそばにいてくれさえすればそれだけでよいと思っている。それ以上の文句は言わず伊佐に行くつもりだ」
「………」
「答えは?もちろん、行くと言ってくれるだろう」
「………すぐには答えを出せません。申し訳ありません」
「……そうだな……そなたの一存では決められぬか。答えは一つしかないと思うが…わかった。明日のうちに返事をもらえるか?」
「……はい。善処いたします」
 実津瀬はやっとのことでそう答えた。
「わかった、下がってよい」
「では、失礼いたします」
「……実津瀬、よい返事を待っている」
 桂はそう言って微笑みをたたえた。
 実津瀬は頭を下げると桂に背を向けて進み、扉を押して庭に出た。
 扉の影には例によって太良音が立っていた。目が合い、実津瀬は言った。
「失礼する」
 実津瀬は太良音の様子など伺う余裕もなくその前を通り過ぎて、五条の邸に帰った。
 その道中、桂の言葉がぐるぐると頭の中を巡った。
 この申し出をどうすればいいだろうか……。
 実津瀬は五条の邸の門をくぐると榧のことで王宮に行った父は帰ってきているだろうかと思った。すぐにこのことを相談したかった。
「父上は?」
 出迎えてくれた舎人の忠道に尋ねた。
「はい、お部屋にいらっしゃいます」
「すぐに話したいことがある。行ってもいいだろうか」
「はい」
 忠道は先を歩いて、実言の部屋に向かった。
「父上、入ってもよろしいでしょうか?相談があります」
 庇の間に入る前の御簾の隙間から声を掛けた。
「ああ、入ってもよいぞ」
 奥の部屋に一人いる父の前に座るとすぐに尋ねた。
「榧は?」
 実言は暗い顔をして首を横に振った。
「だめだ……。大王が連れて行って、どこかに閉じ込めているらしい」
「なぜ大王が榧を閉じ込めるのですか?あの子が何をしたと言うのですか?」
「………」
「父上?」
「気に入ったのだと……榧を女人として気に入ったから側に置くと」
 実言はようやく言葉を発した。その言葉に実津瀬は驚き、言った。
「大王にはもう後宮にたくさんの女人がいるでしょう。榧は大王の目に留まるような特別な見目麗しい娘ではないです」
「分からない……分からないのだ。少しは世の中のことを知る必要があると思ったが、やはり、どこまでも邸に入れておくべきだった。……大王は日が経てば気が変わるかもしれない。明日、またお訪ねしようと思う。………それで、お前の話はなんだ?」
 苦悩に歪む顔の実言はそこで息子の相談を思い出した。
「こんな時に、新たな問題が起こってしまって。今日、桂様に呼ばれまして、伺ってきました。明日が伊佐行きの回答をすると言った十日後だそうで」
「そうか。それで桂様の答えはどうだった」
「……伊佐に行くとおっしゃいました」
 実言は安堵の表情を見せた。
「それはよかった。それに何の問題があるのだ」
「行くには条件があると」
「条件?」
「はい。……伊佐に私も随行しろとおっしゃいました。私が受けない場合は伊佐に行かないと言うと」
「ふー」
 実言は細く長く息を吐いた。
「行って帰ってくるだけならよいが……桂様はお前に執着されている。それだけで済むか分からない」
 と言って黙った。代わりに実津瀬が話した。
「すぐに答えられないと言って今日は帰ってきました。返事は明日までと言われています……それで今、父上から榧の話を聞いて、桂様にお願いしようと思いました。桂様から大王に榧を邸に返してもらうようにお話していただくのです。それで榧が帰ってくるなら、伊佐に随行してもいいと思いました」
「先の大王であれば、桂様にそのようなお願いをすることも策の一つと考えるが、有馬大王と桂様はそれほど親しい仲ではない。有馬大王が話を聞いてくださるだろうか。そして、桂様は王族の中の岩城家をよくは思っていらっしゃらない。どこまで本気で大王にお話いただけるか」
 弱気な実言に実津瀬は言った。
「それはやってみないと分かりません。榧を、あの子を返してもらわないと。ですからこちらも条件をつけましょう。………いずれにせよ、桂様には伊佐に行っていただかなくてはいけません。最後には伊佐に行く条件を飲まなければならないでしょう。ただ黙ってその条件を飲むのは私は嫌です」
「………ああ、そうだな。わかってくれているか。………芹には?もう話したかい?」
「いいえ、これからです」
 そこで実津瀬は芹を思い浮かべた。どう話したものかと考えた。
「礼には私が話しておくよ」
 それで話は終わって、実津瀬は離れの自分たちの部屋に向かった。
 部屋に入ると、庇の間で縫い物をしていた芹が顔上げ、実津瀬を見るとすぐに立ち上がった。
「お帰りなさい」
「うん」
 実津瀬は頷いて、側に来た芹を抱きしめた。そして、離れると奥の部屋に入って、炭櫃の前に座った。
「お父さまのところに行っていたの?」
「そうだ。榧のことを聞いてきた。………帰してもらえないそうだ。あの子は不安だろうな……ろくに邸の外に出たことがないのに」
「そうなの………心配だわ。私たちに何ができるでしょうか」
 と言って芹は目の縁に涙を滲ませた。
「………桂様とのお話はいかがでしたか?」
 芹は炭櫃の前に座っても繋いだ手を離さない実津瀬を見ないようにして、小さな声で尋ねた。
「ああ、桂様から頼み事をされた。それを父上にも話してきたところだ」
 実津瀬は自分から切り出せなかったことを内心恥じて言った。
「頼み事?」
「うん。桂様は今、伊佐の斎王の打診を受けておられる。それで私に伊佐まで供をしてほしいとお願いされた」
「伊佐に……あなたが?」
「そうだ」
「行かれるのですか?」
「まだ答えは出ていない。父上と相談中だ」
「もし行ったとして、伊佐からすぐに帰って来られるのですか?」
 芹は言った。
「そのはずだ。伊佐に桂様を送り届けることが役目だ、それが終われば帰ってくる」
「そう……」
 芹の顔は曇った。それを実津瀬は見逃さず尋ねた。
「あなたは不安げだ。この話を聞いてどう思ったか………正直な気持ちを言っておくれ」
 芹はしばらく黙って考えてから、口を開いた。
「私は……あなたに伊佐に行って欲しくありません。私と淳奈の側に、都にいてほしいです」
 芹の言葉に実津瀬を苦しめる。
 もう答えは出ている。しかし、それをすぐに言う気になれなくて検討中と言ったのだが、芹が聞き分けよく行ってらっしゃいと言ってくれると思うのは都合の良い妄想だ。それに、実津瀬だって行きたいとは思っていない。しかし、桂には伊佐に行ってもらわなければならない。代わりを探すのは至難の業である。自分の少しの犠牲で事が収まるのであれば、それは仕方ないと思っているのだが………芹のことを思うと申し訳ない気持ちで一杯になる。
「そうだね、私もあなたの側を離れたくない」
 と言って、握った手を引いて芹を腕の中に入れた。

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