New Romantics 第ニ部STAY(STAY GOLD) 第九章8

小説 STAY(STAY DOLD)

 政治的空白を作らないために、有馬王子が即位した。
 正式な即位の儀式は後に執り行われるが、都の臣下に向けて即位式が厳かに行われた。
 その前日、藍は岩城本家から大王の後宮に入った。
 本家から蓮が付き添いとして、藍と一緒に後宮に行くことが話し合われたが、蓮はやんわりと断った。それは藍が後宮に戻ったら、当然大后に挨拶に行かなければならない。そこについて行くのは憚られたらからだ。伊緒理と一緒に大后のところに薬湯を持って行った時に、顔を合わせている。女官の顔などいちいち覚えていないという人もいるだろが、あの時の典薬寮の女官が岩城一族の一人とわかったら、どう思うだろうか、と気にした。しかし、それは表向きの理由で、蓮の本心はもしかしたら、再び景之亮に出会うのではないか、と考えたのだった。
 それとなく兄の実津瀬に衛府の仕事について聞いてみた。
 王宮の警備についている衛府は、場合によっては後宮の警備をすることもあるのだそうだ。
「それがどうかしたの?」
 実津瀬は怪訝そうに問うた。
「ううん。何もないわ。聞いてみただけ」
 蓮はそう言って話をはぐらかした。景之亮が後宮の中にいたことは不思議なことではないとわかったが、あの場で出会ったのは偶然としてもとても稀有なことだっただろうと思った。
 景之亮に会うのが怖い。会ったら、景之亮は続きの言葉を言うだろう。それを聞いてはいけないと思うから、蓮は藍の付き添いをしたい気持ちはあるが、行けないと言った。
 では、藍の付き添いに誰を生かせるか考えた末、榧を行かせることになった。
 榧はこれまで五条の邸の外に出ることはほとんどなかった。それは父の実言がことさらに榧を外には出さずに過ごさせたし、また榧のおとなしい性格から、外に行きたいということはなかったからだ。
 榧は実由羅王子の妻として、王族と付き合っていかなければならない。それを学ぶ良い機会を得たといって、藍の付き添いをさせることにしたのだった。
 いつものことだが、何を着ていくかを五条の女人たちは集まって時間をかけて考えた。
妃の藍より目立たない、しかし、榧の良さが出る簡素でも美しい色の組み合わせの上着、裳、帯は何か。そして、控え目でも榧の美しさが出る髪型や髪飾りなどの装飾品は何かと。
 藍が出産のため本家に帰った時に発った後宮の部屋は王子の後宮だったが、今戻る先は大王の後宮で、それは王子の後宮よりも広く凝った調度品の置かれた美しい部屋だった。
 岩城本家も豪華で贅沢な造りの邸で調度品も手の込んだものが数多くあるが、王宮は榧がそれまで目にしていたものよりも一段豪華で、調度品も手の込んだ装飾が施されているものが並んでいた。
 五条の邸は着る物には贅沢をする方で、身につける装飾品も美しいものを作らせたりするが、部屋の中は質素である。藍の部屋にある棚や物を入れる箱、文を書く机など、それはそれは見たことのない美しい品物で榧は目を見張った。
 藍が言うにはここにあるものは全て新しい物だという。子を産んだ藍を労う意味でも有馬大王が新調したものを用意させたのだ。
 藍は眠っている早良王子を抱いて新しい部屋の設えを見て周り、嬉しそうに話しかけた。
「お父上はなんと素晴らしいお部屋を用意してくださったのでしょう。どんなに王子を愛してくださっているのでしょう」
 その後、王子を乳母に託して、大后の部屋を訪ねる準備しているところに、当の大后が女官を二人連れて藍の部屋を訪れた。
「わたくしが訪ねなければならないものを」
と、藍は恐縮して言った。後ろに控えていた榧は一瞬大后を見たが、驚いてすぐに視線を落とした。
 大后は堅苦しい挨拶を受けるのもそこそこに乳母の腕に抱かれた早良王子に目を移して、その穏やかな寝顔に目を細めた。
「子供は皆、可愛いものね」
 大后はそう言って、早良王子に手を伸ばし頬をさすった。
 大后である冴は有馬大王の祖父である先先代大王の弟君を父に持つ女王だ。
 優しい笑みを浮かべて、藍にも早良王子にも接している。藍は有馬大王の妻たちから嫌がらせやいじめのようなことを受けていると言っていたが、榧は周りの女官や侍女たちの仕業で、大后が主導してやっているとは思えなかった。
 今後、王族の付き合いの中で、この方と頻繁に顔を合わせることがあるのだろうか……。
 榧はこれまでのほとんどの時間を五条の邸の中で過ごしてきたので、そんな付き合いを自分ができるだろうか……心配に思った。
 藍曰く、そんなに会うことはないと言うが、そんなものだろうか、と榧は思った。
「後宮とはすごいところね」
 藍の助言を受けながら、どうにか後宮のお供をやり終えて帰ってきた榧は言った。
 五条の外を知らない榧にとっては、後宮で見たことは刺激的だったようで、部屋に集まってきた母と姉の蓮、妹の珊に話して聞かせた。大人しく、いつも聞き役の榧だが、この時は皆が榧の話を聞きたがるし、本人も少し気持ちが高揚していてよく喋った。
 蓮は妹の話を聞きながら、頭の中は違うことを考えていた。
 伊緒理に会いたい。早く、会いたい。
 あの日……後宮で景之亮と会った日。
 あの日から、蓮の心の中には景之亮がさらに頻繁に現れる。昔の……夫婦だった時の思い出や火事からの脱出を思い出し、後宮で偶然会った時、景之亮は何を言おうとしたのか、と考えを巡らせるのだった。
 一時でもそんな思いに支配されてはいけないと、蓮は伊緒理を求める。
あの日、典薬寮の一室で伊緒理に抱きしめられて以来、伊緒理に会えていない。
 伊緒理といる時は、伊緒理のことだけに満たされるはずだ。
 今、後宮の話を聞くと、再びあの日のことが思い出されて、蓮の心は伊緒理ではなく、景之亮のことを思い出してしまうのだった。

 それから三日後、蓮は伊緒理に会うことができた。
 前日に七条の邸から遣いが来て、蓮はすぐに行くと返事をした。
 あの日以来の逢瀬に、蓮の心は喜びで膨らんだ。
 一方、典薬寮で絶対に恋人の親密さを表すことのない伊緒理が蓮を抱きしめて、話さなくていいと思いやる言葉を言ってくれたが、この先、景之亮のことを話さないままいられるわけはない。火事の日の黙っていた部分を伊緒理にきちんと話さないといけない。
 あの日、景之亮の思わせぶりな言葉に疑念を抱かせてはいけないと火事の日の伊緒理に話していなかったことを、勢いで言ってしまおうとしたが、止められて、今は話すことを躊躇してしまう。
 事実は言えるが、そのことが自分や景之亮にどんな影響を与えたのか、そして何を思っているのか、を問われると答えられるだろうか。
 だからと言って、それで伊緒理に会わないなんて考えはない。
 会いたい。会いたい。会って、抱きしめてほしい。心の中はもちろん、体の隅々まで伊緒理で満たされたい。
 蓮は少しの怖さを抱えつつも、曜を連れて七条の邸に赴いた。
 すぐに七条の従者、高海が出迎えてくれた。
 曜はこの邸の侍女仲間たちに会いに行き、高海が伊緒理のいる部屋まで連れていってくれた。
 庇の間に入ると、机の前に座っていた伊緒理は顔を上げて、蓮を見、立ち上がった。
「手を止めさせてしまって、ごめんなさい」
 机の前にいたのを見て、蓮は目の前に立った伊緒理にそう声をかけた。
 伊緒理は声の返事なく、蓮の手を取った。
 これまで三人で少しの間の世間話をする時があったが、それを見た高海は、黙って部屋を出ていった。
 その姿を視界の端で見た伊緒理はまだ高海の遠ざかる足音が聞こえるのに、蓮の手を引いてその体を自分の腕の中に入れた。
「蓮……会いたかった」
 伊緒理はそう言って、蓮の体に回した腕に力を込めた。
「……私もよ……伊緒理」
 蓮も伊緒理の背中に手を回して抱きついた。
 如月の終わり。梅の香る中まだまだ寒い日が続く。伊緒理に抱かれ抱きつき、その温もりを感じて蓮は安堵した。
 二人ともしばらく抱擁を味わって、顔を上げて見つめ合った。
「伊緒理……今日はあの日の続きをはなすわ。宮廷で火事があった日の」
 蓮は伊緒理の顔を見つめて話し始めると、すぐにその発言は止められた。
 伊緒理が蓮の唇を自分のそれで塞いだのだ。
 蓮の息が止まりそうなほど強く吸った後、離して言った。
「奥へ行こう」
 伊緒理は蓮の背中に手を当てて促した。

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