New Romantics 第ニ部STAY(STAY GOLD) 第八章19

小説 STAY(STAY DOLD)

 蓮は邸に帰ると、母屋には父の実言と兄の実津瀬だけなく、本家の稲生が来て、三人で額を寄せ合って話をしていた。
「あら、稲生が来ている」
 蓮は稲生に挨拶した。
「やあ、蓮。出かけていたのかい?」
「今日、蓮は典薬寮に出仕していたのだ」
 実津瀬が代わりに応えた。
「そうか、ご苦労さま」
 稲生の言葉に頷いて、蓮は実津瀬に顔を向けて言った。
「お母様は?」
「母上は珊のところにいるよ」
「そう。では、そちらに行ってきます。稲生、ゆっくりしてね」
 蓮は男三人に笑顔を向けて、珊の部屋へと向かった。
 両親の部屋で額を寄せ合って話している男たちのことが気にならないわけはないが、首を突っ込んではいけないことだとわかっている。
 男たちが話している内容。それは、大王のことだ。
 大王は花の宴が終わった後、王宮の奥の自分の部屋に引きこもることが多くなった。
 実際に大王は一日の多くを寝室で横になって過ごしている。なんとか花の宴まで気力を保っていたが、それが終わると一気に体調を悪くした。
 大王の責務については、寝たまま、大后や母君から読み上げられた書類に承認を与え、大王の印を押してもらう。
 出席しなければならない話し合いの場には、弟の有馬王子が代わりに出席することが増えた。
 予定された行事に大王は自分が出席すると言うが、当日、めまいで起き上がれなくなることが往々にしてあり、結局有馬王子が出席することになる。
 この事態に宮廷は隠密裡に話されていた。来るべき日について、そんな話をしているとは顔にひとつたりとも表すことなく。
 今日の集まりも、岩城家は密かに王族と臣下の動向をさぐり、来るべき日に備えることの一つだった。
 大王に男子の後継者はいない。子供は王女が一人いるだけだ。そうなれば先代大王の子であり、現大王の異母弟である有馬王子がその位を継ぐことになる。
 有馬王子の母は岩城本家の娘、碧である。碧は大王の妻、妃として後宮で大王を支えつつも出身である岩城家と王族との橋渡しをしてきた。また、岩城家を頼ってきた。
 母の姿を見てきた有馬王子はもちろん、岩城家の気持ちを理解し、支持してくれている。
 岩城家の血が入った大王を誕生させること。
それは岩城一族が時間をかけて回らせてきた作戦だ。それがとうとう叶うのだ。
 決して大きな声で言えないことだが、岩城家はその来るべき時のために、粛々と準備を進めているのを、蓮は感じ取っていた。
 
 夏真っ盛りの時。
 この暑さが大王の体力を奪い、大王は褥から起き上がれない状況が続いた。
 会議や行事にはほぼ姿を見せることはなくなった。その代わりは有馬王子が行う。それを岩城家が水面下で支援している。
 この頃、五条岩城には二つの大きな出来事があった。
 一つは、有馬王子に嫁いでいる一族出身の藍が懐妊したとの知らせが入ってきた。
 夏の暑さで藍は体調を崩したものと思われて、岩城本家の父が様子を見に後宮に伺うと、臥せたままの藍は体は辛いのであろうが、晴れやかな表情で迎えた。
「藍?」
 不思議に思った父の蔦高に。
「お父様、とうとう待ち望んでいたことが起こりました」
 と、藍は言った。それだけで、蔦高は何が起こったのかを悟った。
「本当に?」
「はい……早くに気づけばよかったのですが、体調がすぐれないことが続いていたので、医師にもそのことばかり言ってしまって」
 と詫びた。
「そんなことはいい。体を大事にしておくれ」
「はい……新しい年を迎える頃には」
「わかった。あなたは自分の体のことを一番に考えなさい。いいね」
「はい」
 藍は力強い声で応えた。
 すぐさま藍懐妊の話は岩城一族に伝わった。父の実言からその話を聞いた蓮はすぐに典薬寮に藍の面会を依頼して、それは早くに叶った。
 会えば子が成せない悩みを口にしていた藍がとうとう懐妊したことを手を取り合って共に喜んだのだった。
 もう一つは、大王が公務に出席できない代わりに、有馬王子がその代わりを行なっているが、それまでの有馬王子の役割がいないとなって、実由羅王子が行事に積極的に出席することになった。
 実由羅王子はその都度領地の左目浜から都に帰って来ていたのだが、行事が立て込むとそれも面倒だということになり、実由羅は主に都にいて、たまに左目浜に行くことにした。それによって、五条岩城に頻繁にくることが出来るようになったのだ。その時は、榧の部屋で、宗清も加わって子供の頃と同じように話し込んでいる。
 今、榧は十八、実由羅王子は十七である。
 もう、二人はいつ結婚してもいい歳であった。
 周りは一年前から結婚と思っていたが、実由羅王子がうんと言わなかったのだ。しかし、花の宴で都に帰って来た時から少し結婚の話が具体的になってきた。
 王子もやっとその気になったかと思う者もいた。遊び人ではないが、麗しい青年をただ見ているだけとはいかないのだ。周りから誘いがあって然るべきであり、王子も密かにそれに乗ったとか。自分の魅力を思う存分知ったところで、一つ落ち着いて、幼い頃からの許嫁である榧を娶ることにしたのだと。
 本当のところはわからない。女人のことはおくびにも出さないのだから。
 王子は明るく飄々としていて、それでいて真面目で仕事に情熱を持っている。その姿に信頼を寄せる者は増え、支持を集め、有望な王族の代弁者の一人になっていくのだった。

 蓮は明日、七条の伊緒理の邸に行くことになった。
 午前中に七条からの使いが伊緒理の手紙を持ってきた。簡潔に、明日、七条の邸に来て欲しい、と書いてあった。
 蓮は机に戻って、会えることが嬉しい。必ず行きます。と書いた紙を丁寧に折って使いの女人に渡し。
「伊緒理様に承知したしました、とお伝えしてください」
 と、言葉も添えた。
 それから蓮は曜に風呂に入りたいと言った。
 体や髪を綺麗にして明日、伊緒理に会いたいと思ったのだ。
 束蕗原には温泉があるから、五条岩城の人々は温かい湯に浸かることを好む。誰かが湯に浸かりたいというと、それに合わせて他の者も湯に浸かることにする。最近、風呂に入っていないので、皆、入ることに異論はないと思われた。
「蓮様、準備が整いました」
 曜が呼びに来た。
「芹様が喜ばれていました。淳奈様が外で遊ばれて汗みずくで体を拭いて差し上げていらっしゃいましたが、風呂に入れた方が早いとおっしゃって」
「そう、それは良かった。宗清も毎日外を走り回っているから、入れてあげられるといいわね」
 都にいることが多くなった実由羅王子のそばに宗清は時間がある限りついている。都にいる王子はあちこち自分から訪ねて行ったり、呼ばれたりで外出が多い。そのためつきそう宗清は大路の砂埃で毎日真っ黒になって帰ってきているのだ。
 蓮は服を脱いで、風呂の部屋に入った。外で沸かした湯が樋を伝って桶の中に入ってきた。湯気を体に当てながら、湯がよい温かさになるまで待つ。
「蓮様、いかがですか?」
 曜が外から尋ねた。
「湯をもう少し入れてちょうだい。あとは自分でやるわ」
 蓮は湯の貯まった桶に足の先をちょっとつけた。
「つっ」
 熱くてすぐに足を引っ込めた。
 壁に立て掛けてある板を持って、桶の中を掻き回しながら、膝を抱いて蓮は幸せな空想に耽った。
 ここひと月は伊緒理と顔を合わせることもできていなかった。伊緒理は伊緒理で忙しかったのだろうが、蓮は蓮で藍の懐妊の知らせがあり、藍を優先して行動していたので、二人はすれ違ってばかりだった。
 それを気にしてくれた伊緒理が時間ができたので、七条の邸に呼んでくれたのだろう。
 優しい人……
 蓮は膝を抱く腕に顔を預けて伊緒理に想いを馳せた。
 会ったら、会えなくて寂しかったこと伝えよう。そして、藍のことを優先して、伊緒理との時間を作れなかったことを詫びようと思った。
 再び片足を桶の中にこわごわ入れて、お湯の温度を見た。少し熱いと思ったが、裸の体は冷えていて蓮は桶の中に蓮は身を沈めた。すると、蓮の長い髪が湯の表面に放射線状に広がった。
 温かい湯に身を浸して、じんわりと温まるのを感じながら蓮は伊緒理のことを思った。
 愛する伊緒理。
 この体を抱いてもらえる喜びが気持ちを高ぶらせて、蓮は自分で自分の体を抱いた。
 その手が触れただけで、蓮の体は喜んで動いてしまう。明日が待ちきれない気持ちをぐっと抑えるのだった。
 ………。
 しかし、心の奥でちくりと刺す痛みがあることに気づいている。そして、それを無視できなくなっている。
 蓮は湯の中でじっと自分の気持ちを考えた。
 ……景之亮……さま。
 宮廷の中で会い、言葉を掛けられた景之亮の影が胸の内にちらつくのだった。
 厩近くでの怪我人を助ける出来事、朱雀門前での手助けが封じた景之亮の思い出の扉を開けてしまったようだ。
 これからも宮廷で景之亮と顔を合わせることはあるはずだ。その度に動揺していてはいけない。少しずつ景之亮とのことを整理して、平気にならなくてはいけない。
 蓮は湯を両手の平ですくって顔を洗い、自分の弱さを戒めた。

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