New Romantics 第ニ部STAY(STAY GOLD) 第八章24

小説 STAY(STAY DOLD)

 蓮が師走に入って初めて典薬寮に出仕する日。
 その日は前日と比べ、とても寒かった。急に冷え込んで、おの冬一番の冷え込みになった。
 そのような日、五条岩城家は朝から騒々しかった。
 箱入り娘の榧が泊まりで外出するので、車や付き人が朝から準備で忙しくしている。
 蓮は宮廷に向かう前に榧の部屋に顔を出した。
 この日のために用意した衣装を着、髪を結い上げて、化粧をした榧は一段と美しい女人になっていた。
「姉様」
 気づいた榧が立ち上がった。
 部屋には妹の珊もいて、姉妹全員が揃った。
「榧、私は典薬寮に行くからあなたの見送りはできないわ。道中、気をつけて。実由羅王子によろしく伝えてね」
「……はい」
 榧は小さな声で返事した。
 来年は十九になる榧は、もう結婚をしていてもいい年齢である。
 許嫁の実由羅王子側の結婚の意向を待っているところだったが、今日、実由羅王子は榧を連れ出したいと言ってきた。とうとう榧は実由羅王子と契りを交わし、結婚することになりそうだ。
 今日、榧が訪れる場所は、実由羅王子が懇意にしている王族が持つ丘の上の離宮である。
 心踊る話であるが、榧は嬉し恥ずかし半分、不安半分の表情をしている。
「実由羅王子がきっとこれからのあなたを幸せにしてくださるわ」
 榧はこくりと頷き、蓮はその手をさすって力強く握った。
 可愛い妹を幸せにしてくれる男は実由羅王子以外にはいないと思えるほど、逞しく頼もしく成長した王子である。榧より一つ年下だったため、自分の力を高めるために少し時間を要したが、やっとその時が整ったのだ。
 父も母もその日は特別だと考え、榧の着るものから首輪、腕輪などの装飾品など特別なものを用意し、髪型、化粧も数日前から、母を含めた女人たちで考えて準備して来たのだった。
 今、蓮の前に立つそれらを纏った榧はさらに美しい女人となり、自信を持って実由羅王子に託せると思えた。
 蓮は愛する妹の顔をしばらく見つめて微笑み、典薬寮へと向かった
 典薬寮に着いた蓮がその仕事を終えた頃、藍から呼び出しがかかった。もう、いつ身二つになってもいい時期になった藍は、前回会った時にお腹の中で動く赤様のことを話した。また、蓮を相手に話をしたいようだ。
 蓮は賀田彦に見送られて典薬寮を辞して、後宮へと向かうことにした。付き添いの鋳流巳は典薬寮の控えの間で待たせることにした。
 このところ寒くて防寒のための上着を鋳流巳が着せ掛けてくれた。
「では、鋳流巳、遅くなると思うけど、待っていてちょうだい」
 蓮は玄関に出てきた鋳流巳に言って、後宮から来た女官と一緒に後宮に向かった。
 外に出ると思わず首巻に手をやって、顎まで引き上げた。
「今日はとても寒い日でございます」
 遣いの女官も蓮と同じように首巻を引き上げて首全部を覆った。
「そうですね」 
 蓮は返事した。
 二、三日前は陽が照って、暖かな日もあったため、今日は急激な冷え込みに外を歩く者は皆、背中を丸めて足早に歩いて行く。
 後宮の藍の部屋に入ると、脇息にもたれかかっていた藍は体を起こそうとした。
「そのままで、そのままでいいのですよ」
 蓮は手を前に出して、藍の動きを止めようとした。
 大きなお腹を抱えて大変そうな藍はそれでも表情は明るい。
「今日は一際寒いから、部屋にこもっている。大后、皇太后も今日は部屋で過ごせばいいとおっしゃてくれた」
「そうですか」
 藍の前に置かれた円座に座って蓮は言った。
 後宮にいる者は毎日、大王快癒の祈りのために、祈祷所へ行っている。それを、今日の藍はこの部屋で祈ることを許されたのだった。
 大王の寝室の近くには医師が交代で詰めて、昼も夜もなくそのご様子を見守っている。また、その隣の部屋には巫女が祈りを捧げる部屋があって、毎日二回、祈りを捧げている。それに合わせて、王宮にいる者たちは祈祷所で祈るのだった。
 大王はもう自分では起き上がることもできず、大后と皇太后の呼びかけに瞬きで応えるような状態であった。
 咳き込むと苦しそうで、大后は大王の体を右を下にして起こし、背中をさすった。
 薄くなった背中が大きく波打つように上がり下がりする姿に、大后は涙が滲むのだった。
「今日は蓮が来る日と思い出して、呼びに行かせたのよ」
「今日は急に寒くなりましたから、特に体に気をつけなくてはいけません」
 蓮が言ったが、藍の脇息の隣に炭櫃が置かれていて、中の炭が赤く燃えて部屋の中を暖めていた。
「ここは暖かいわ」
 藍は無意識にお腹を撫でて、蓮にもっと近くに寄れと手招きした。
 蓮は笑顔で膝立ちしてにじり寄って藍に顔を近づけた。手を口元に立てて、藍は内緒話をする。
「二日前、有馬王子が出産前に本家に帰っていいとおっしゃったの。初めてのことだから本家に帰った方がいいだろうと。……内心、そうしたいと思っていたから、嬉しくて。有馬王子は私と産まれてくる子供のことが一番だから、すぐに会えなくても我慢しよう。岩城本家に私が会いに行っても良い、とおっしゃったの」
 蓮は驚いた顔をしたが、声は出さず、ふんふんと頷いて藍の言葉を漏らさず聞いた。
「年を越す前に本家に帰るわ。でも、そんなことは今から大きな声では言えないの。きっと何か言いたい人がいるはずだから。当日、身一つでここを出るつもり。迎えは兄様二人が来てくれることになったの」
「稲生と鷹野が?」
 蓮は目を丸くして囁いた。
「そう。二人とも後宮に来たことがないから、部屋や女官たちを見てみたいだけだと思うわ。ただの見物よ。でも、嬉しい。蓮も本家に来てね。本家ではこうして小声で話すこともないわ」
「ええ、もちろんよ。伺うわ」
 小声で話す時は立場も忘れて、昔のようにくだけた言葉で話している。稲生と鷹野の話が出たので、最近の二人の話をしたが、大きな声で笑うことはできず、そっと口元を隠して微笑むだけだ。
 大王が苦しんでおられるのに、この世に喜びなど無くなったと言ってもいい。だから、高らかに笑うことなどないと言って皆、声を出さずに口元を覆って緩めるだけである。
 いつもは不安だと言う言葉ばかりの藍も今日は、実家に帰って出産できることになって、嬉しい気持ちが収まらないのか、大王のことが頭にありつつも、終始にこやかに実家の話をするのだった。
「藍様……」
 後ろに控えている本家から連れてきた侍女が藍の話を遮った。
 外は暗くなって、灯りが部屋の中に入った時だ。そろそろ、蓮を返さなければならない。
「あら……私ったら、喋りすぎたわ。蓮、またね」
 藍は夕方になったことに気づいて、すぐに蓮を解放した。
 蓮は丁寧に頭を下げて部屋を辞した。
 日が暮れると、寒さは増した気がした。
 典薬寮まで呼びに来た女官が再び典薬寮まで送るために現れた。何度も往復している場所なので、蓮はもう迷子になることもないので、付き添いはいいと言うのだが、藍が典薬寮まで送れと言うので、女官と一緒に藍の住む邸を出た。
「……今日は一日寒い日でした」
 女官が口を開けると白い息が吐き出され、夕闇の中に消えて行く。
「ええ、本当に。藍様の部屋は暖かいので余計に外は寒く感じます」
 蓮はここに来る時と同じように襟巻を顎まで上げて女官と並んで歩いた。
 今日はいつ以上に長居をした。鋳流巳も今か今かと待っているだろうし。自分を置いて私が帰ってしまったのではないかと疑い出しているかもしれない。
 蓮は鋳流巳に申し訳ないことをしたと思って、早足に後宮から出ようと王宮と役所を隔てる門へと向かった。
 門の前には番人が立っていて、女官の持つ手形にちらりと目をやって締めている門を引いて開けた。
 蓮は門を出たところで、女官に付き添いはここでいいと言おうと思った。遅くまでつき合わせるのは申し訳ない。
 蓮は女官の方を向いた。
「今日は遅くなってしまったから、ここまででいいです。あなたはここから帰ってください」
「いいえ、典薬寮までお送りします」
 二人が会話していると、いきなり悲鳴と怒声が聞こえて、二人は驚いて声の方を向いた。王宮を囲う塀に沿った道から大勢の人が蓮たちに向かって走ってきた。
 宮廷に勤める女官に舎人、侍女や従者たちが次々と走ってくる。
 蓮は思わず、男の腕を掴んで呼び止めて訊ねた。
「何か起こったのですか?」
 男は目を見開いて、唾を飛ばす勢いで口を開けて叫んだ。
「火事だ!内膳司で火が出た!」
 それを聞くと蓮も女官も男と同じように目を見開いて驚きの表情になった。
「結構な火が上がっている。早く離れろ!火が来るぞ!」
 そう言って立ち去った。火から逃げるために、人々が王宮側の道に雪崩れ込んできた。
 蓮は大勢の逃げる人たちを避けるために後ろに下がっていたら、目の前にいた女官と離れてしまった。そこに、宮廷内の火事に対応するために消火隊が大勢で火元に向かって走っていく。道には逃げる者、火元に向かう者で人がいっぱいになった。蓮はそれまで目の前で会話していた女官に合流することはできないと思った。
 火事なら火の粉を被って火傷を負う者、こんな大勢が逃げ回っていたらぶつかった、転んだといって怪我する者もいるだろう。
 そう考えると蓮の生来の好奇心とお節介が働いて、蓮は消火隊の後ろを追ったのだった。

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