New Romantics 第ニ部STAY(STAY GOLD) 第八章3

小説 STAY(STAY DOLD)

「あ……ん……」
 抑えても細く開けた露の唇の間から声が漏れた。
 朱鷺世に組み敷かれて、朱鷺世の性欲を受け入れていた。
 別にこれが嫌ではない。抱くためだけに朱鷺世が自分に会いに来ているのではない、とわかっているから。
 朱鷺世とまぐあうことは、体が痛いと思うこともあるが、それ以上に喜びの方が大きい。
 大きな手が露の頬を覆い、撫でる。朱鷺世の激しさに露はたまらず宙に手を伸ばすと、朱鷺世はその手を握ってくれる。時には、露の手を頬に当てたり、手の平に口づけてくれたりする。果てた朱鷺世の大きな体に包まれて、安心するのだった。
 特に今日は嬉しい気持ちが大きくなった。薄桃色の糸で作られた上着を羽織って現れた伊緒理は、宮廷の広大な森の庭の中に入って、いつもの場所まで来るとその上着を木の根の上に置いて、そこに座れと言った。露はその上に寝そべって、朱鷺世に抱かれたのだった。美しい着物に包まれて特別な気分になった。
 体が離れた後はそのまま美しい上着に包まれたまま抱き起こされた。露は胸から朱鷺世が月の宴で勝った褒美でもらった櫛を取り出して朱鷺世の髪をといた。
「……俺の髪なんてとかなくていい。……貸して」
 朱鷺世の背中に垂れた髪を首から下に向かって櫛を通していた。漆を塗って持ち手の部分に螺鈿が施されている。埋め込まれた貝の細工がきらめいて、いつまでも眺めていられる品だった。
 朱鷺世に貸せ、と言われて露は手を止めて櫛を差し出した。朱鷺世は背中を向けていた体を露に正対させて、櫛を受け取ると先ほど組み敷いていたために乱れた髪に何度も何度も櫛を通した。
「今度はどこで舞うの?」
 露が尋ねた。
「新嘗祭の後の宴がある」
「それは王宮であるのかしら?」
「そうだ」
「残念。きっと手伝いの女官は足りているでしょうね」
 本番の朱鷺世の舞っている姿が見たい露は、宴の手伝いで会場に入り込みたかった。朱鷺世の舞の型で手を上げた姿だけでも一目見たいと思っていた。しかし、今回も叶いそうにない。
「では、次に宮廷以外で行われる行事はまた月の宴の時かしら……あれは翔丘殿で行われるはずだものね」
「ん」
「また、勝負をするのでしょう?」
「……ん」
 朱鷺世は鼻息のような返事をした。
 桂は来年の月の宴の勝負をすると言ったが、それから大きな動きはない。雅楽寮では秋から新年の間の行事の準備で忙しくしており、月の宴のことはまだ話に出ていない。麻奈見は本当にやるかわからない、と言っていたのでもしかしたら勝負は流れるかもしれない。朱鷺世にとっては関係ない。やれと言われたらやるしかないのだから。
「その勝負も朱鷺世が勝つわよ。そうしたら、都一の舞人ね」
 露は満面の笑みを朱鷺世に向けた。

 新嘗祭の準備が行われる中、新嘗際の後の大王主催の宴の準備も進められていた。その宴で朱鷺世は舞を舞うことになっており、その練習に追われていたが、その間に桂の住まう佐保藁の宮に呼ばれた。
 太良音という従者が稽古場にやってきて、桂が三日後に佐保藁の宮で小さな宴をするので朱鷺世に舞いにきて欲しいと言っていると麻奈見に言いにきた。
 午後の練習のない日で朱鷺世は自由だから朱鷺世に直接聞いて欲しいと言ったようで、稽古場の扉近くに一人座り込んでいた朱鷺世の前にその従者が立った。
 目の前が暗くなったので朱鷺世は顔を上げた。
 知らない顔の男が見下ろしていた。
「私は桂様の遣いの者です。朱鷺世殿にお願いがあってきました」
「…は」
 訝しむ目で男の顔を見上げた。
 きれいに櫛を通して、髪をひっつめにし高い位置でまとめて結っている顔は少し目が吊り上がってきつい顔に見える。
「三日後、申刻(午後二時)までに佐保藁の宮にきていただきたいのです。桂様が王族の方々を招いて小さな宴を催す予定です。そこであなたの舞をご所望です」
「う……」
「先ほど麻奈見様にはお話ししました。稽古が終わっているので、あなたに決めていただいていいそうです」
「……あ……」
「いかがです?」
 朱鷺世はまとまった言葉が出ないが、桂からの依頼を嫌と言えるのだろうか、と考えていた。
「難しいですか?」
「……は……いいえ、行きます」
「そうですか。よかった」
 桂の遣いの男は吊り上がった目を細くして、安堵の表情をした。
「佐保藁の宮はご存じですか?」
 朱鷺世は首を横に振った。
「そうですか?では、三日後、別の者を案内のためにここに来させます。その者について佐保藁の宮に来てください」
 そう言って遣いは踵を返した。
「……わ、わたしは!……何をすれば!」
 遣いの男は顔だけ振り向けて言った。
「あなたの舞をお見せするのです。これまで舞ってきたものを。難しいことではありません」
 
 三日後、朝、新嘗祭後の宴の舞を音楽に合わせて一通り舞った。
 新嘗際まであと十日。今年も天候に恵まれて豊穣であった。大王と神との儀式が終わった翌日、大王は豊穣の感謝を臣下たちとともに行い、食を供する。その時に朱鷺世は一人で舞を披露するのである。朱鷺世がもしものときのために淡路が一緒に舞っている。
稽古が終わると、この日のこの後の朱鷺世の予定を知っている淡路は無言で朱鷺世の肩にポンと手を載せた。視線を合わせただけで、言葉はない。目配せで語っている。
 桂が住まう佐保藁の宮にどのような出立ちで行けばいいのかわからず、夏の宴の勝利でもらった褒美の中の薄桃色の上着を持って来ていた。
 稽古が終わってそのまま帰る者、片付け、掃除をする者たちが蠢いているところ、稽古場の扉の前に人影が差した。
「朱鷺世!」
 扉近くで掃き掃除をしていた男が声を上げた。
 これからどうなるかとびくびくしていた朱鷺世は稽古場の奥で持って来た上着を抱きしめて扉に顔を向けた。
 老爺と呼ぶべき年配の男がぺこりと頭を下げる姿を見て、朱鷺世は扉に向かって歩いて行った。
「……あ」
「朱鷺世さん?」
 老爺は尋ねた。朱鷺世は頷くと。
「佐保藁の宮までご案内します」
 と言って、歩き出した。朱鷺世は急いでその背中を追いかけた。
 無口な老爺は自分の後ろを朱鷺世がついて来ていることを時折振り返って確認しながら歩くだけで会話はない。
 朱鷺世は佐保藁の宮までの道のりを全く知らない。こんな道があるものかと左右をキョロキョロと見回しながら、高い塀が続く道を、景色が変わらないと思って歩いていた。やがて大きな門が見えて来た。その豪勢な出立ちはただならぬ権勢を窺わせるものだった。
 老爺はその前を通り過ぎ、角を曲がって随分歩いたところにある小さな門を入っていく。続いて朱鷺世もおずおずと門の中に入った。
「こちらでお待ちください」
 老爺に案内された部屋で朱鷺世は持って来た上着を羽織って待っていた。殺風景なこの部屋は見るからに使用人たちが使っている部屋のようだ。朱鷺世はこの先どうなるのかを想像できず、自分に何ができるのかと不安になった。小さな物音でも逃すまいと耳を澄ましていると、こちらに近づいてくる足音が聞こえた。足音は簀子縁を歩いて、半分下りた御簾の前までくると、三日前にここに来いと言った遣いの男が御簾をくぐって現れた。
「桂様がお呼びです。ついて来てください」
 言われて朱鷺世は急いで立ち上がった。
 自分と同じくらいの背格好の男の背中をただただ追いかける。再び同じ部屋に一人で戻ることはできないな、と思いながら庭の中に入っていった。
 森というべき庭を抜けると別棟の入り口が見えてきた。扉は開いていて、扉の前に立ち止まると従者は声をかけた。
「桂様、朱鷺世殿をお連れしました」
 朱鷺世は男の後ろから部屋の中を覗いた。部屋の床は石畳で奥に机があり、桂はその前の椅子に座って、何か書き物をしていた。声で顔を上げると、すぐに笑顔になった。
「朱鷺世!よく来てくれた!」
 椅子から立ち上がり、扉まで歩いてきた。従者は朱鷺世を振り返り、部屋の中に入るように手で示した。吸い寄せられるように朱鷺世は一歩一歩と部屋の中に入っていった。朱鷺世の前までくると、桂は言った。
「お前の舞は今度の宴で見られるとわかっているのだが、十日が待てなくてな。今日、小さな宴だが、少し舞って欲しいと思って頼んだ」
 朱鷺世は桂に何度も会っているが、桂との会話はいつも自分以外の誰か、麻奈見や淡路、実津瀬が行っていたので、今、自分が話さないといけない状況になって、すぐに何を言ったらいいのかわからなかった。
「……私は何を舞えば……」
「うん。月の宴で舞った一人舞をお願いできないか。音楽は笛と琵琶だけだが準備はしている。体に染み込んでいるだろう。それを舞ってくれ」
 桂が言うようにあの時の舞はまだ体に染み込んでいる。音楽が流れれば、すぐに舞えるだろう。
 朱鷺世は頷いた。
「衣装はそのままでよいな。美しい上着だ。では、よろしく頼む。そろそろ客人も到着することだろう」
 桂は同じ数人の王族を招いた、極私的な宴なのでそう畏まることはないとも言った。
 朱鷺世は再び最初に案内された部屋に戻って、その時を待った。
 頭の中で音楽を流し、舞の型をおさらいした。
 陽が西に傾き、空を茜色に染めた時に呼ばれた。
 今度は母屋の部屋に向かった。そこには雅楽寮の笛と琵琶の演奏者二人が来ていて、音楽を奏でた。桂と他に三人の男が料理を前に朱鷺世の舞を鑑賞した。
 舞終わると朱鷺世は座って深く頭を下げた。
「朱鷺世、素晴らしかった。あの日の夜を思い起こさせてくれた。皆様、これが月の宴で披露された舞です」
 男三人は頷き、目を細めた。
「下がって良いぞ」
 朱鷺世は下げた頭の位置を一段低くしてから立ち上がり、部屋を出た。簀子縁の角を曲がるとあの従者の男が待っていた。
「控えの間に案内します。お食事を用意していますので」
 部屋に戻ると、邸の侍女が膳を持って現れた。
 月の宴で舞った後に出された膳とまではいかないが毎晩食べている食事と比べたらたいそう豪華な料理が並んでいた。煮た魚、焼いた海老、鹿肉の塩辛、貝の汁、青菜の蒸したもの。そして白い米。朱鷺世は緊張から解き放たれて、一気に平らげた。食べ終わった頃に、再びあの男が現れた。手には箱を持っている。
「これは桂様からの贈り物です。今日、時間をいただいたことへのお礼ということです。どうぞお収めください」
 箱の中には帯が入っていた。
 朱鷺世はそれを掴むと、稽古場から佐保藁の宮まで連れて来てくれた老爺とともに、宮廷内の宿舎に戻った。

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