New Romantics 第ニ部STAY(STAY GOLD) 第八章9

小説 STAY(STAY DOLD)

新年を迎えた。
 宮廷の年賀の行事はつつがなく終わった。
 しかし、表に出てはいないが、その内では大王の健康問題で一波乱、二波乱あった。
 新年の神への祈りの儀式では、当日、大王の体調が思わしくなくご自身でできるか、という問題が起こった。一握りの臣下の者たちは代理を立てるか、それは誰にするのかを協議しなければという時に、大王は議場に現れて、朕はできると言った。
 顔色は良くないが、誰の支えもなくお一人で大王の座に着き、心配をかけたと詫びられた。
 すぐに支度をして、大王の後ろに母君と大后が控えた上で儀式を執り行った。
 大王の健康問題の危惧は深まるばかりで、箝口令がしかれ、表立っては誰も言わないがその心配は陰で人の口から口へと伝わっていった。
 神に捧げる舞を雅楽寮で取り仕切った。大王や重臣たちが見つめる中、朱鷺世が厳かに舞って儀式は終わった。翌日には大王が開催する宴が行われた。そこでも朱鷺世が、淡路と一緒に二人舞を披露した。
 新しい年を祝う優雅で華やかな舞だ。
 当初の予定と違っていたのは、舞をする時間が早くなったことだった。もっと料理と酒が進んだところで舞うことになっていたが、皆が杯に二、三度口をつけたくらいですぐに舞を始めることになった。
 王族の席の後ろの方に座っている桂は、朱鷺世の舞に熱い視線を送った。
 大王は杯を持ち上げてその縁に唇を付けるが、飲む振りだけで食事も箸で小さくさいて、それを二、三度口に運んで長く咀嚼していた。
 大王が主催する宴であるが、昨日の儀式の疲れがあるのでと、舞が終わって早々に席を立った。代わりに弟の有馬王子がその後を仕切って新年の宴は終わった。
 それからも毎日何かしらの行事があったが、睦月の終わりまでにほぼ終わった。大王は出席したり、途中で退出したりして、人の口からその様子は伝播した。
 実由羅王子は左目浜の領地に行く前に、大王に挨拶するため王宮に向かったが、大王には会うことはできず代わりに大王の母君が相手をしてくれた。
 大王の謁見の間で対峙した母君は実由羅王子の都をいっとき離れる挨拶を聞いた後に訊ねた。
「実由羅、そなたは五条岩城と懇意にしているのだろう」
 突然の言葉に実由羅王子は不思議に思ったが素直に答えた。
「はい。父が早く亡くなりまして、父である岩城実言が幼い私の後見をしてくれているのです」
「ほう。私も岩城本家とは懇意にしている。臣下と仲良くするのは良いが、そなたは王族の一員である。王族の者からもしきたりや振る舞いを学ばなければならない。何より、我々は結束して我々の発展に尽くさなければならないのだから」
「はい。もちろんです。都にいる時は父や母の親類縁者を訪ねて、お話をさせてもらっています。若輩の私のために誰もが時間をとって、王族の振る舞いを教えてくれます。また、最近は桂様に色々とご指南いただいています。雅楽のような優美なものは苦手で学ぶことを避けてきましたが、桂様からお誘いいただいて、間近で音楽や舞を鑑賞したりしております」
「桂と……。そなたの血筋は本流からは外れている。だからと言って、端に置いておくのはもったいないほどたいそう有能な者だと聞いている。ゆくゆくは大王を支える一人になって欲しいと思っている」
「ありがたいお言葉です」
「だから、領地にいるのも良いが、都に戻った時は王宮にもよっておくれ」
「はい。……大王は……」
「あいにく……今日は気分がすぐれぬのだ。次に都に戻ってきた時に来ておくれ」
 実由羅王子は王族の一人ではあるが五条岩城家で育ったために王族との縁は薄くなった。父母の親族と細々と交流しており、大王やその近くの王族とは疎遠であった。しかし、青年となると岩城実言は実由羅王子を権力の中枢にいる人物と会う機会を設けた。その繋がりで桂と知り合うことになった。桂は顔の広い人物で、実由羅王子を多くの王族、役人、異国から来た人々と会わせた。そして、こうして王宮にも挨拶に行けるほど近しくなったのだった。
「はい。大王にお目にかかれる日を楽しみにしています」
 と言って、実由羅王子は王宮を辞した。
 実由羅王子が王宮を訪ねた翌日、密かに桂も王宮を訪れた。
 大后が応対に出て、大王は少しだが桂に会いたいと言っているから待つようにと言われて、案内された。
 桂は全く見たこともない部屋の前を通ったので、大王の私的な場所に案内されているのだと思った。今まで来たこともない場所だった。
 部屋の真ん中に置かれた円座の上に座って待っていると、程なくして大后と一緒に大王が現れた。一段高い畳の上に座ると、大后はすぐに脇息を持ってきて、大王の脇の下に入れた。
「……大王…・ご機嫌麗しくと申し上げたいのですが……お風邪を召されましたか?」
 小さな咳をする大王に桂は思わず言った。
「ふう……朕の命はいつ尽きるか」
「大王!何をおっしゃるのですか!」
返ってきた言葉に桂は顔色を変えて声を荒げた。
「年の瀬の頃から、体調を崩しておってな……」
 桂の心配顔を安心させようと大王は笑みを見せた。
「無理はなさらずお休みください」
 桂は身を乗り出して、大王に訴える。
「うむ。しかし、体が動くのであれば、務めは果たさなければならぬ」
「大王……」
「……桂……夏は暑いな……」
 突然の大王の言葉に桂は戸惑いを隠さず返事をした。
「?はい……昨年の夏も暑うございました」
 夏と言えば、月の宴が頭に浮かんだ。すると、大王からその言葉が出た。
「月の宴に出席できぬかも知れぬ……」
「何をおっしゃいますか!月の宴は舞の勝負がありますのに」
 桂は右手を大きく前に出して、身を乗り出し言った。
「それだ……」
 大王も即座に返事した。
「大王も楽しみにしてくださっているではないですか!」
「桂……舞の勝負をもっと早められないか……夏の暑さにまいってこの宮から出られないかも知れないから」
「そんなことはありません!」
 桂は激しく首を横に振って大王の言葉を否定した。
「私の体は私がよくわかっておる。……好きなものを最後にとっておく方ではないのだ。早く見たい。……桂、段取りを行ってくれないか」

 宮廷で働く女人たちが寝泊まりする部屋の前に来て、朱鷺世は露を呼び出した。新年の慌ただしさは一旦終わって宮廷で働くものたちも束の間のゆっくりとした時を過ごしていた。露はすぐに妻戸を押して出てきて、朱鷺世の前に来た。それから二人は並んでいつものように宮廷の森の中に入って行った。外は寒くて露は持っている服を重ねられるだけ重ねて着ていた。
 いつも座っている樹の元に来ると朱鷺世は着ている皮の上着を脱いで敷いた。
「まあ、朱鷺世が着るものよ」
「地べたは凍るような冷たさだから」
 朱鷺世の言葉に、露は素直に座り、その隣に朱鷺世も並んだ。
「新年の宴の舞も多くの人に褒められているみたいね。朱鷺世の舞の話はよく聞こえてくるわ」
「ん」
 朱鷺世は露から舞のことを言われると短い返事だけになる。
「朱鷺世が褒められると私のことのように嬉しい」
 露は言って、にっこりと笑った。
 朱鷺世は夕暮れ前のひと時を露と過ごそうと思って会いに来た。
 痩せている露が今日は少しふっくらして見えるのは、寒さを凌ぐために薄い下着や上着の中に着る袖なしの服を重ねているからだ。身動きしにくそうにしている。
「ん」
 膝を抱えて、その上に顎を載せて前を見ている露の腕を朱鷺世は指で突いた。露は朱鷺世に顔を向けると、朱鷺世は自分の足の間に入れと顎で言っている。露は立ち上がり、広がった朱鷺世の足の間に体を入れて朱鷺世の方を向いて座った。
「ふふふ。暖かい」
 露は言って、朱鷺世の背中に腕を回して抱きついた。
 真冬の寒い時だというのにこうしていつものように外で会うのは人目を憚らず、暖を取るという名目で引っつくことができるからだ。そうして、引っ付いていると辛いことがあろうとも、同じ境遇の二人が身を寄せ合っていれば、特別言葉を交わさなくとも辛いことが溶けてなくなっていくような気がするからだった。
「……朱鷺世は舞が褒められてたくさん褒美をもらえるのね」
 露の息が自分の首にかかって温かった。
「皮の上着か?……それはお古だよ。雅楽寮の先輩にもらった」
 実際に皮の上着は淡路が新しい上着があるからやると言われてもらったものだった。
「そう?でも、下着もとても綺麗なものだもの。着るものをご褒美でいただけるのはありがたいわね」
 と朱鷺世の上着の下に手を入れた露が真っ白い下着を目ざとく見て言った。
「ふん」
 朱鷺世は鼻息のような返事を返した。
 二日前、あの日以来佐保藁の宮に呼ばれた。あの日とは、客として佐保藁の宮でもてなされた時だ。
 前日に佐保藁の宮からいつものあの若い男が稽古場に現れて、明日、佐保藁の宮に来てもらえないかと言った。
 朱鷺世は断る理由もなく、頷いたのだった。
 何をするとも言われなかったが、客として呼ばれるわけではなさそうだ。そうであれば、きっと小さな宴をするからそこで舞を舞えということだろうと思った。
 あの日から二月ほど経った。
 朱鷺世は稽古場からとぼとぼと自分の部屋に戻る間、あの日を思い出していた。
 あの夜を思い出すのは、初めてではない。いや、ほぼ毎日思い出している。何かする度に、あの夜の桂の閨での残像が頭の中を埋め尽くした。朝目覚めた時にあの夜の桂の体を思い出して夢精していることもあった。それほどに強烈な一夜だった。
 そして、その夜は今生の夢として終わると思っていた。
 だから、もう呼ばれないと思っていたが、こうして呼ばれたのは舞を手放せないということか。そうであればこれからは一番の理解者である桂のために舞に精進しなくてはいけないと思った。
「案内は要りますか?」
 桂お気に入りと思われる若い男はいつものように訊ねた。
「いいえ」
 これからも舞を舞うために佐保藁に行くかも知れないと思い、覚えた道。もう呼ばれないかもしれないと思ったが、しっかりと記憶していて、案内は要らなかった。
「わかりました。申刻(午後四時)までに佐保藁の宮にいらしてください」
 太良音の言葉に朱鷺世は頷いた。
 そして、翌日、朱鷺世は佐保藁の宮に行った。大切に着ている春を思わせるような淡い薄桃の上着に淡路のお古の皮の上着を着て、佐保藁の宮に行った。
「裏門からお入りください」
 と言われていたので、今回は舞をするだけでいいとわかった。
 長い塀の続きを歩いて、正門を通り過ぎ裏門まで来ると、門番に雅楽寮の朱鷺世だと言った。
 顎で入れと言われて、客として扱われるよりこちらの方が良いと思った。
 門の内に入って待っていると、連絡を受けたいつもの老爺が現れて部屋に連れて行ってくれた。控えの間で待っていると、年老いた侍女が現れて。
「どうぞこちらへ」
 と言われた。桂のところに連れて行かれるのかと思ったら、湯屋へと連れて行かれた。着ているものを脱ぎ捨てて湯屋の中に入った。
 温かい湯をかぶって、体を洗った。
 寒い中、体を拭いてきたのだが体の臭いや汚れが目立ったのだろうか。
 朱鷺世は念入りに体を洗った。毎日寒い中で、ふんだんに湯を使えることは、やはり権力者は違うなと思った。風呂を出ると再び控えの間に戻って、舞をするように呼ばれるのを待った。

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