New Romantics 第ニ部STAY(STAY GOLD) 第七章25

小説 STAY(STAY DOLD)

「今宵、満ちておらずとも月は美しい。その光で我々は暗い中でもお互いの顔を見ることができる。今、こうして皆の顔を見ることができて、朕は嬉しい」
 舞台前の正殿の観覧の間におでましになった大王が、宴の始まりの言葉を述べられた。
 宴の始まりはしばし皆で夜空を見上げて煌々と光る月を眺め、虫の鳴き声に耳を澄ました。その間、大人から子供まで小声でも言葉を発するような無粋なことをする者はいなかった。
「今夜はもう一つ楽しみがあるな」
 大王が言った。
「なぁ、桂」
 大王は身を乗り出して右側の端に座っている桂に同意を求めた。
「はい。大王」
 桂も身を乗り出して大王の顔を見、返事をした。
「では、それを見せてもらおうか」
 月見のために明かりは最小限にして、庭に小さな篝火を置いていたが、大王の言葉で係の者が松明をもって現れ順に釣燈籠に火を灯して行った。観覧席前は明るくなり、舞台の上が露わになった。
 正面の観覧席の右端後ろに控えていた雅楽寮長官の麻奈見が手を上げて舞台に向けて合図を送った。

 さぁ、始まる。
 舞台の裏で実津瀬は気を引き締めた。それは朱鷺世も同じで背筋が一段と伸びた。
 実津瀬と朱鷺世。
 二人に個人的な会話は一切ない。個人的なこと以外でも直接お互いに向けて言葉を発したことはなかった。何か意思疎通を図りたいときには必ず間に麻奈見か淡路が入っている。
 しかし、舞を舞っていれば相手の気持ちはわかる。どんな思いで舞っているのかを。
 言葉を交わさずとも、舞を舞っているときにお互いが何を考えているかわかればそれで十分だ。
 だから、舞台下に待機している間も、話すことはなかったし、独り言を言うこともなかった。二人とも真っ直ぐに前を見据えて、その時を待った。
 大王の声が微かに聞こえる。しかし、なんとおっしゃっているのかまでは聞こえない。
 舞台の階段の横、二人の前に立っている淡路が二人に振り向いて、進めと手で合図した。観覧席にいる麻奈見の合図を見て指示を出したのだった。
 実津瀬、そして朱鷺世はその合図に頷いて、息を吐くと階を上がった。
 舞台に上がると前寄り正面に二人は並んで立った。 
 朱鷺世は顔を上げて眼前に広がる光景を頭に刻むように見つめた。
 正面には椅子が並べてあり、その中央に座っていらっしゃるのが大王だ。そしてその左隣が大后。左右に男と女が二重になって座っている。これは王族や位の高い臣下たちだと思うが顔と名前まではわからない。しかし、朱鷺世の左手側の端にいる女人だけはわかる。
 桂だ。
 麻奈見は大王に良いものを見せるのが使命と言った。それはその通りだが、裏ではあの人の目に敵う舞をしなければいけない。誰よりも清らかな目でこの舞台を見つめ、それでいて一番鋭く全てを見ている。
 今回も勝敗を決めるのはこの人になるだろう。
 朱鷺世は再び大王に視線を戻した。
 しかし、邪念を持って舞えば、桂はすぐにそれを見透かすだろう。
 今はただ、無心でこの舞台に集中するのみ。
 美丈夫が二人、すっと右手を上げた。目配せのような合図もないのに、手は同時に上がった。
 それが合図で、後ろに並ぶ楽器を持った演奏者の中から笛の音が二人の動きを追ってその音色を発し、二人を追い越した。そこから琵琶と笙の音が加わった。
 ゆったりとした動きで二人は手を上げた方へ体の向きを変えて、向きを変えて、と回転していく。
 円を四等分して音楽に合わせて回っていく動きも寸分の狂いもなくぴったりと合っている。
 実津瀬が舞うのだからと、礼が芹と淳奈を桟敷の一番に座らせたが、蓮も昨年見られなかったからと芹の隣に座らせてもらった。
 岩城家は左側すぐの部屋を与えられていて、少し斜めの位置から蓮は舞台を見つめた。
 実津瀬とは母のお腹の中にいる時から一緒だからか、二人を呼びかけたら振り向く動きが同時で、さすが双子だと言われた。本当に二人は同時に動いたり、同じ言葉を発したり、次にこうすると心で伝え合っているのではないか、と。
 今、目の前で舞っている実津瀬ともう一人の舞手は、まるで実津瀬と蓮がさすが双子ねと言われるように、言葉や仕草の合図がなくてもぴったりと合っていた。
 蓮は実津瀬とは言葉を交わさずともその心は全てわかると思っていた。それは実津瀬も同じだと思っていたが、実津瀬には妹の自分以外にも言わずとも全てわかる人がいたようだ。
 蓮は湧いてきた嫉妬の感情を噛み締めて、舞台上の二人の舞を見つめた。
 最初の二人舞は順調に進んだ。
 皆、二人の息の合った狂いのない同時の動きを息を呑んで見守った。
 笛の音と琵琶の低く唸る音で、二人の舞は静かにゆっくりと止まった。
 これから一人舞が始まる。
 二人が前を向いたところで手を下ろし、実津瀬はそのままゆっくりと真後ろに下がった。
 昨年は実津瀬が先に舞ったので、今年は朱鷺世が先に舞うことにした。二人ともどちらが先に舞おうとも大して気にしておらず、異論はなかった。
 朱鷺世は直立した状態で音楽が始まるのを待った。
 昨年は各自好きなように創作した舞を舞ったが、今年は二人ともが昔からある型を舞うというのが、今回の一人舞の決め事だった。独自色、個性は所々の細部に出すことになっている。
 二人はその細部をこれっと決めるまで、悩みに悩んだところだった。
 右足を一歩出して、後から右手を下から太ももをかすめて前に出す。手の先、沓を履いた足の先。どこまでも、優雅に美しく動かす。
 朱鷺世は生まれ持った体の柔らかさで、舞の型で反った体は重さを感じさせず、その体の大きさに似合わず天女が羽衣を纏って空に浮くような軽やかな舞をした。前より太ったとはいえ、まだまだ体の細い朱鷺世は動きによって女性的な表情を見せた。
 笛以外の楽器が音を小さくして音楽から離れて行く。それとともに朱鷺世の舞も小さくなって、止まった。
 今度は朱鷺世が前を向いたまま後ろに下がった。
 交代で実津瀬が朱鷺世のいた位置まで出てきた。
 音楽は同じである。
 朱鷺世がしたように右足を一歩出して、後から右手を下から太ももをかすめて前に出す動きは同じであるが、たおやかな朱鷺世の動きに対して実津瀬は直線的で力強い印象を受けた。その後も手の先、足さばき、どれも素早く動き、きっちりと止まる動きは美しかった。しかし、舞って行く中でその細部では手足を軽やかに動かし、強いだけの舞ではなかった。それは芹が淳奈と一緒に舞っている姿を見て取り入れた部分であった。
 音楽が笛の音だけになり実津瀬の舞が終わると、朱鷺世が実津瀬の隣に並んだ。
 これから再び二人で舞う。
 前半の二人舞は同じ型を同時に舞い、その追求した同時性を見せたが、後半の二人舞はまた別の趣向を凝らしたものだった。
 観客は実津瀬と朱鷺世、どちらを見ていたらいいのかわからない。目の玉を右に左に動かして、二人を交互に見た。それは二人がそれぞれ別の方向を向き、違った型の舞をしているので、二人の流麗な舞を見逃さずに見たいと思ったら、忙しなく目を動かすしかなかった。
 二人は舞台中央から左右に分かれ、舞台の東西にある観覧席にも正面に向いて舞を見せた。円を描いて舞台中央に戻り、再び正面の正殿に向かって舞っていると、観覧席から小さなため息のような歓声が上がった。
 それまで二人は別々の舞をしていると思っていたが、今、見ると二つの舞が合わさって一つの舞に見えることに気づいたからだった。
 二人で一つの形になった舞は力強くそして、しなやかで美しい。
 大王をはじめとした観客はしばしその舞に息をすることも忘れて見惚れた。
 笛、琵琶、太鼓、笙の音が混ざり合い、そして太鼓、琵琶、笙と旋律から離れていった。笛の音だけが響き渡り、二人はゆっくりと舞を終わらせた。それを知らせるかのように、大太鼓が一回、二回と鳴り響いた。
 観客は大太鼓の振動に身を委ね余韻に浸った。
 実津瀬と朱鷺世は胸を大きく上下させて上がった息をおさめようとした。桂が作った錦の上着が波を打つように動いているのは衣装の特性として炎の明かりに照らされるとそう見えるものだと思い、観客はどこまでも演出されていて素晴らしいと思った。
 大太鼓の振動が収まり、静寂が訪れた。
 宴の舞は終わった。
 皆、この静寂をいつ誰が打ち破るのだろうか、と思った。その役をするのはあの人だろうと息を潜めて待っていると拍手が聞こえてきた。
 それは舞台正面の、それも真ん中の席に座っている人物が手を叩いていた。
「素晴らしい。見事な舞であった」
 大王はその病弱を、今日、宴に出席できるのか心配した声を吹き飛ばすかのような大きな声でおっしゃった。二人の耳にも大王の声が届いた。
 皆、それを待っており、観覧席からは二人の完璧な舞を讃える言葉や拍手、感嘆のため息。近くの者同士で今、目の前で見た出来事の感情の昂りを共有するために言葉を交わし合った。
 二人は深く首を垂れた。その速さ、深さ、体を元に戻す時まで同時であった。
 まだ余韻と熱気の残る舞台を去るのは名残り惜しい気持ちがあったが、二人は前を向いたまま後退り、楽器演奏者の前まで戻ると翻って背中を見せ舞台から降りた。
 階下には淡路が待っていて、朱鷺世、実津瀬と降りて来た順にその手を握り、肩を叩いた。
「素晴らしい舞だった」
 昨年と同じなのに、淡路は興奮して目が吊り上がっている。
 用意されていた水筒を各々手に取って、水を口に含んだ。
 舞台の上の熱気が渇きを覚えさせ、二人は喉を鳴らして水筒の水を全部飲み干した。
「さあ、大王の御前に行って来い」
 淡路の上ずった声に送り出されて二人は舞台の裏手から、大王の面前へと向かった。

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