「実由羅は年が明けてもしばらく都にいるのだろう?」
桂が尋ねた。
「いいえ、桂様。新年の行事が終われば、我が領地の左目浜に行く予定です」
「すぐに。もっとゆっくりすればいいのに」
「ええ。しかし、新嘗祭からずっと都にいますので領地の様子が気になるのです」
「それは、信頼のおける者に任せておけはいいではないか」
「もちろん任せているのですが、やはり私がやりたいのです。領地の発展を私の手でやり遂げたいのです」
「ふむ。そんなこと、自らやる王族など聞いたことがない」
「そうですか?では、私が前例になりましょう」
「どうして、まだ若い実由羅がそんなに領地の経営をやりたいのだ。いずれ、関わることになるだろうに」
「何事も早くから勉強しておきたいのです。私一人でも生きていけるように」
桂は怪訝な顔をした。
「一人で生きていく……そんなことにはなるまい。そなたはこれから我々王族の将来を担う有望な若者なのだから。誰もそなたを一人にはしない」
「ありがたい言葉。そのように期待していただける者になりたいです」
桂は見つめていた実由羅王子の顔から、右のすぐそばに座る男を振り向いて言った。
「佐渡見(さどみ)、志羅(しら)殿にお伝えしておくれ。この実由羅は齢、十六である。しかし、父から受け継いだ領地で一年の殆どを過ごして経営を学んでいるのだ。馬や牛を操り泥にまみれて田畑を耕し、川に入って魚を追いかけているとか。確かに、そんな生活をしていれば一人で生きていくことはできそうだ」
陶国人の志羅という男は隣の佐渡見の言葉が終わると、少々驚いた顔をして頷いた。
十六か、と朱鷺世は思った。自分は……この世に生まれて……どれくらい経った?少なくともこの実由羅王子よりは年上だ。それで、領地の経営か。全く自分の想像を超えている。
「実由羅、隣にいるのは朱鷺世という雅楽寮の舞人だ。月の宴で岩城実津瀬と一緒に舞い、勝負した」
桂は実由羅王子から朱鷺世に視線を移して言った。
「月の宴は去年も、今年も見ました」
実由羅王子が言った。
「ん?王族の席にはいなかったが」
「はい。私は岩城の席で見ていました。早く両親を亡くした私は、いっとき、五条岩城の邸で育ったのです」
「そうだったか」
「実津瀬は舞の才能のある人です。しかし、さすが雅楽寮の舞人ですね。良い勝負です。今年の勝負もどちらがいいなんて決めるのはやめてしまってはと思ったものでした」
「ふふふ。そうよ!私もそう言えたらどんなに楽かと思ったが、勝負だからこそ二人の工夫が引き出せて、我々が今まで見たことのない舞が見られるのよ」
「ええ……そうですね。桂様のおっしゃる通りです」
実由羅は言って、隣の男に顔を向けた。
「あなたでしたか……実津瀬と勝負していたのは。……実津瀬よりも年は下のように見えますね」
朱鷺世はなんと返事をしたら良いか分からず、ゆっくりと頭を下げた。
「素晴らしい舞でした。私は実津瀬を兄と慕っているものですが、桂様が今年の勝負はあなたが勝ちとおっしゃった時、悔しいですがその判定を受け入れなければいけないと思いました。……桂様が宴の時におっしゃった通り来年の月の宴も勝負することが決まったのでしょう。我々、観る者にとっては夏の楽しみができて嬉しいですが」
「そうよ!大王にも来年の月の宴をお話ししたらたいそう楽しみだと仰っていた」
桂は急に声を上げた。その時の大王の喜びの顔を思い出して声が高くなった。
「しかし、実津瀬や朱鷺世にとっては大変なことですね」
実由羅は舞う二人を案じる言葉を言った。
「そうだな………。そうだ、朱鷺世、そろそろ舞を見せてくれないか」
桂は朱鷺世に視線を移して言った。
「……はい」
「志羅殿、この者が素晴らしい舞をお見せしますよ。あなたの国の舞と比べてどうか、見た後に聞かせていただきたい」
隣に座る佐渡見という学生が陶国の言葉で桂の言ったことを伝えている。それを聞いて、志羅という陶国人が話し始めた。
「陶国でも宴に舞は必ずついてくるものです。私は舞を見るのが好きです。とても楽しみです。と志羅殿はおっしゃっています」
と佐渡見は訳して言った。
「うむ。この者の舞は期待していただきたい」
と桂は言って、朱鷺世に顔を向けた。
「朱鷺世、お前の舞は異国の人々が見ても心を動かされるものだ。いつも通り舞えばいいだけよ。しつこいようだが、月の宴で舞った一人舞を見せてくれ。……私はあれが好きなのよ」
桂はひと月前の佐保藁の宮での宴でも、月の宴での朱鷺世の一人舞を見たいと言った。朱鷺世は頷き立ち上がった。
簀子縁には笛と琵琶の奏者が控えていた。朱鷺世は庇の間に立ち、心を落ち着かせた。程なく今年の月の宴の曲が始まり、舞い始めた。
何の打ち合わせもしていないが、この舞であれば目を瞑っていても舞える。
ひと月前と同じで、桂の感嘆のため息が聞こえるほどの近さで舞い、その反応を感じ取った。
それは自分の舞が人の心を自在に動かしているような気持ちになる。今回も桂や陶国人は朱鷺世の動きを何一つ見逃すまいと見張った目で追って来ている。
こんな視線を向けられるのは快感だ。やはり、自分は舞うために生を与えられたのだ。
だから良い舞をしなければ自分は生きている意味がなくなる。
そういう思いになった時、朱鷺世はより心を込めて舞った。奢ってはだめだと自分を諌めて。
一人舞はそれほど長いものではない。宴の途中の余興にはちょうど良いのだろう。見ている者は音楽が終わり、朱鷺世が深々と頭を下げると音が高く鳴るように手を合わせて拍手した。
桂は叩く手を止めて言った。
「やはり、何度見てもいい。月の宴の実津瀬の舞もよかったが、朱鷺世は雅楽寮で麻奈見に基本を叩き込まれたのだろう。そういったところが垣間見えて好きだ。いかがでしたか、志羅殿」
「素晴らしかったです。美しい舞でした。我が国でも舞ってほしいです、とおっしゃっておいでです」
志羅の言葉を訳して、佐渡見が言った。
「志羅殿にも褒めていただける舞でよかった。実由羅、そなたは心の中では実津瀬の舞がよいと思うだろうが」
横目に桂が言うと。
「何をおっしゃるのですか、桂様。やはり雅楽寮で精進している者の舞は良いものです。確かに実津瀬も悪くないですが」
と実由羅が返事した。
朱鷺世はまた席に戻り、四人の会話を聞いた。
舞を舞ったから、それでお役が終わって放免されるというわけにはいかなかった。朱鷺世は四人の会話が退屈だったが、退屈な顔をしてはいけないと耳を傾けているふりをして、料理を口に運んだ。どれも美味しくて、がっつきそうになるがそのような勢いで食べるのはこの場には相応しくないと思い自制した。
酒の注がれた杯を手に取って、その中を覗き込んだ。酒の表面に自分の顔が写っている。
何とも言えない顔だ。
無表情のような、いや、笑っているような。いつもの自分とは違う目尻が少し下がっているように思う。その顔を見続けるのに耐えられなくなって、朱鷺世は杯の酒をあおった。
その時、桂がまた甲高い声を上げた。
「それはそうと、実由羅!そなたも十六。縁談が数多舞い込んでいるのではないか。年頃の王族の女たちは、そなたの妻になりたいと思っているだろう」
桂はニヤニヤと冷やかしの笑みを浮かべた。
「……私のところにはそういった話はありません」
「なんと!年頃の娘たちを親は何をしているのだろうか」
「というのは、私には心に決めた人がいるので、そう言った話があっても、私の耳に入る前に断っているのです。私の周りの者にもそのことは言っていますので。ですから、私はそう言った話は一切知らないのです」
「直接そなたに言えば良いではないか?」
「私はいつも領地におりますし、都に帰ると岩城の者たちといますので、なかなか私に話す機会がないのだと思いますよ」
「ふうん。そなたもなかなか隙を作らないやつだな」
「私は意志の堅い男です。こうありたいと思ったら、それを遂げるためになんでもやります。心に決めた筒井筒と一緒になることもそうです」
「ふむ。それは良いことだ。私は結婚に失敗している身だから、助言をしてやれないがな」
桂は自虐を言って笑った。
それから、桂は志羅に陶国の話を一心に尋ねた。実由羅王子も熱心に耳を傾けている。通訳の佐渡見は汗をかきながら志羅の言っている言葉を訳した。
朱鷺世は興味はないが、熱心に聴いているふりをした。ここにいる者として最低の礼儀だと思って。
そうして、夜は更けていき宴はお開きになった。
「志羅殿、楽しんでいただけただろうか。食事も口に合ったのであれば嬉しいが」
桂は心配顔で尋ねた。
通訳の佐渡見がそれを伝えると、志羅は首を振って言葉を発した。
「大変なもてなしに感謝します。食事は美味しく、有意義な話ばかりでした。そして舞が良かった」
佐渡見が訳した言葉を言う。
「そうであるか。それは良かった。気をつけてお帰りください」
志羅と佐渡見を見送ると桂は左隣の実由羅に顔を向けた。
「実由羅、今夜はここに泊まっていくか?」
「ありがたいことですが、邸に帰ります。遠くもないので」
「そうか。では気をつけて。また語らおう。今度はそなたが心に決めている女人のことを教えてもらおうか」
実由羅は笑顔で応じて、席を立った。
そして、部屋には桂と朱鷺世だけになった。
「朱鷺世……」
「……はい……」
「よい舞であった」
「……ありがとうございます」
「ふう……好きな舞を見て、よく喋り、よく食べ、よく飲んだ。少々酔ったようだ。手を貸しておくれ」
桂は左手を宙に上げた。
朱鷺世は貴人に触ることに躊躇いがあったが、桂に求められては断れず膝立ちになって先ほどまで実由羅王子が座っていた席に移動して、桂の手を取った。朱鷺世の手を支えに、桂は立ち上がった。そこで朱鷺世はすぐに桂から離れようとしたが、桂は力が抜けたように膝を折って前に転びそうになったので、朱鷺世は咄嗟に後ろから手を回して桂の体を支えた。
「朱鷺世、私を閨に連れて行っておくれ」
桂は顔を少し後ろに向けて、横目で朱鷺世の顔をとらえて言った。
「頼む」
朱鷺世は後ろから支える腕に力を込めて桂を立ち上がらせた。
「では、行こう」
New Romantics 第ニ部STAY(STAY GOLD) 第八章7

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