朱鷺世は花の宴に変更になった対決のための舞の練習を終えて、久しぶりに露のところに行った。
すぐにいつもの宮廷の森に入り、朱鷺世は露を腰の上に跨らせて交わり、放った後にそのまま露を胸に抱いて、考え事をしていた。
あの日。
桂と麻奈見が突然やってきて舞の対決は花の宴に行うと言った日だ。
月の宴から四月も早くなって麻奈見の顔は厳しい表情だった。その後ろで発表を聞いた淡路はもろに驚きが顔に出ていた。
朱鷺世は発表を聞いても何も変わらない。やれと言われたことをやるまでだ。朝から夜まで舞えと言われたら舞う。
その場で平静なのは朱鷺世だけだった。
翌日、稽古場ではまずは前年の二人で舞った舞をやろうということになって、朱鷺世は淡路と一緒に並んで舞った。午後には実津瀬も合流して二人で舞った。それから、麻奈見と淡路が新しい型を見せて、実津瀬と朱鷺世がそれを真似たがまだ模索中の型である。途中でこうしよう、ああしたほうがいいと修正が入った。
稽古が終わって稽古場の片付けをしていると、佐保藁の宮に何度か案内してくれた宮の従者の老爺が稽古場の扉の前に現れた。
もう稽古場には実津瀬も麻奈見も淡路もおらず、朱鷺世以外に二、三人が片付けをしているところだった。
朱鷺世は気づいて扉の前に行った。
「もう稽古は終わったのですか?」
老爺の問いかけに朱鷺世は頷いた。
「桂様がお呼びなので、一緒に来ていただけませんか?」
「……これから?」
今度は老爺が頷いた。
「準備は要りません。全て宮で行うので」
朱鷺世はまだ片付けている者たちに自分は帰ると声をかけて、外で待っていた老爺と一緒に佐保藁の宮へと行った。
昨日、桂から対決は花の宴ですると言われて、すぐに呼ばれるとはなんだろうか、と考えを巡らせた。
佐保藁の宮の裏門から入ると、待ち構えていた年老いた侍女がさあさあ、と言って風呂に案内してくれた。風呂から出ると新しい下着が置かれていて、朱鷺世はそれを身につけて侍女の後ろをついて桂の部屋に向かった。
日もすっかり暮れて庭には篝火が焚かれていた。桂の部屋にも高灯台に火が灯っていて、その下で桂はすでに食事を始めていた。
「ああ、朱鷺世、来たな」
桂の左側に用意してある膳の前に導かれて座ると、すぐに料理が運ばれて来た。
侍女が給仕をしているところに、何度か朱鷺世を訪ねてきたあの若い従者の男が徳利を持って現れた。
「ああ、太良音。注いでおくれ。ちょうど無くなったところだ」
桂は杯を持ち上げ、太良音は桂の右側に座るとその杯に酒をなみなみと注いだ。
「朱鷺世も飲めばよい」
桂の言葉に、太良音は立ち上がって、朱鷺世の右側に座り徳利を傾けた。仕方なく朱鷺世は膳の上の杯を取って、酒を注いでもらった。注ぎ終わると太良音という桂お気に入りの男は部屋を出て行った。本当はそう見せて、几帳の裏で待機しているのかもしれないが。
「朱鷺世、今日ここに来てもらったのは花の宴が終わるまではそなたをここに呼ぶことができないからよ。度々そなたを呼ぶと贔屓していると思われるかもしれない。私は舞においては公平な目で見るからな。だから、しばしの別れを告げるために来てもらったのよ」
桂はそう言って笑顔を見せた。そしていつものようによく食べ、よく飲み、よく話した。
「朱鷺世、そなたは海を見たことがあるか」
桂の問いかけに朱鷺世は首を横に振った。
「そうか、実津瀬も見たことはないと言っていた。大王もだ」
その言葉で朱鷺世はすでに桂は岩城実津瀬に同じことを尋ねているのだと知った。
「そういう私も海を見たことはない。海とはこんなものだと、陶国人や留学から帰って来た者、難波津に行った者たちから聞いたことはあるがな。見たこともないものを表すのは難しいことだろうなぁ……我々は幻想を見ることになるかもしれない」
最後は呟くように桂は言った。
それから食事が終わると酔った桂の腰を抱えて、閨に連れて行った。それは予想していたことだった。三度目はどこをどういけば良いかしっかりと覚えていた。
部屋に入って御帳台の前に立つとお互いの帯を解き合って、裸になり御帳台の上にあがった。
滑らかで柔らかい桂の肌。
恐れ多くも三度目となると、朱鷺世はその腹に頬をつけて柔らかさ温かさを味わう余裕ができた。
「朱鷺世」
上から声がして、朱鷺世は顔を上げた。桂が手を伸ばした。
「早く」
朱鷺世は桂の手を取って、桂の体の横に体を寝そべらせ、三度目のまぐわいをしたのだった。
露の痩せた体を桂と比べるのはおかしな話だが、こうして露の体を抱くと嫌でも桂の体が思い出されるのだった。花の宴が終わるまで桂と会えない。いや、もう桂の閨に行く機会がなくてもおかしくないのだが、もうあの体に触れることはできないと思うと強烈に欲していると自覚するのだった。今日も、露の体を求めたようで桂の代わりをさせたのだった。考えたら代わりにはならないことくらいわかるのに。
「……朱鷺世どうしたの?」
露が朱鷺世の胸から顔を上げた。
「ん……」
朱鷺世はいつものように鼻息のようなため息のような返事をして、露の体に回した腕に力を込めた。
「疲れたの?舞の練習が忙しいのね……。もう花の宴までひと月と少し……今年は台所のお手伝いに呼ばれたいわ。たとえ朱鷺世の舞っている姿が見られなくても、近くにいたいもの」
そう言って露は朱鷺世の胸の肌に再び頬をつけた。
確かに舞の練習で忙しい。
海を表現するために麻奈見と淡路が寝る暇を惜しんで型を作って、実津瀬と朱鷺世に教える。実津瀬と朱鷺世の舞を見て、もっと見栄えのよい美しいものにならないかと四人で試行錯誤している。
海は波が浜に打ち寄せてくるのだという。水平線から幾重にも続いてやって来る。それはどこまでも連続していて、未来永劫の穏やかさを見るようなものだという。
そのような姿を表せられないか、と四人は時には日が暮れるまで頭と体を使って考え準備した。
実津瀬は舞の練習で毎日、稽古場通いだ。時には夜に帰って来ることもある。それで息子の淳奈が父に会えなくて寂しそうだと芹が言っている。
蓮はそんな甥を慰めようと度々離れに行って遊び相手になっている。
父の舞を見様見真似で舞うのを手を叩いて褒めた。
「将来はお父さまと同じように宮廷の行事で舞を舞うことになりそうね」
淳奈はそれがどんなことなのかまだわかっていないが、蓮ににっこりと笑顔を返した。
舞の準備で大変な実津瀬を支える芹は、実津瀬に先に寝ておいてよいと言われても寝入る事などできない。実津瀬が横になっていろというので、御帳台の上で横になっているが眠ることなく実津瀬が帰ってくるのを待っていた。
実津瀬は帰ってくる時間は様々だが、毎日帰ってきて芹の隣で寝た。
練習で虐めるように動かした体は熱を持っており、芹を背中から抱く胸は温かい。まだ肌寒い日々で、ある日、芹は実津瀬に抱かれると体の向きを変えて実津瀬の方に顔を向け、その胸に抱きついた。
「起きていたのか……」
「眠れるわけないわ。あなたがこんなに苦労しているのに」
と答えた。
「うん……今日は特に疲れたな……これだというものを何度も何度もやっても、会心の舞にはならなかった」
「それは大変ね」
「うん……私の舞の女神にたくさん慰めてほしい。……帯を解いて裸になっておくれよ。あなたの肌に触れたい」
芹は起き上がって自分で細帯を解いて、下着を脱いだ。途中から実津瀬の手も手伝って芹は裸になった。芹の下着と細帯は御帳台の下に落ちた。
「寒いかい?」
裸の芹を抱いた実津瀬が尋ねた。
「いいえ、あなたの体は温石で温めた褥のように温かいもの。ちょうどよいわ」
「そうか、では遠慮なく抱けるな」
実津瀬は芹の体を強く抱きしめて目を閉じた。
慰めてほしいと言っても体は疲れていて、すぐに眠ってしまい慰めの行為は翌日の朝になった。
蓮は典薬寮へと向かっていた。今日の付き添いは鋳流巳である。だから、江盧館での伊緒理との逢瀬はない。しかし、二日前に七条にある伊緒理の邸に行ったので、今日、伊緒理と江盧館で会えなくても我慢できる。
人通りの多い大路を避けて、小さな道を歩いて宮廷前まで行き、宗清が守る美福門から宮廷に入った。少し門の左右を見回したがその時、宗清の姿は見えなかった。
今の蓮は宮廷に入る時かわいい弟がいるかと探すだけでなく、あの人がいるのではないかと気になるのだった。
あの人とは、前夫の景之亮のことである。
昨年の秋、宮廷の厩近くで馬が暴れて怪我人が出た。その時に典薬寮の医師である伊緒理が呼ばれて手当をしたが、その時偶然景之亮と会ったことは母にも、実津瀬にも言わなかった。
実津瀬と一緒に二度目に典薬寮に出仕した時、実津瀬が言っていた。
景之亮殿に会うかもしれない、と。
蓮は遠くからその姿を見ることはあるかもしれないとは思っていたが、あれほど近くで再会するとは、それも言葉を交わすとは思ってもいなかった。
師走の半ば、寒いから毎日夕餉は家族皆で集まって食事をしていた。食べ終わると小さな子たちは自分の部屋に戻って行った後、実津瀬と蓮が残っている中で母の礼が呟くように言った。
景之亮様の二人目の子が生まれたけど、妻は程なくして亡くなり、景之亮様は二人の幼子を抱えて大変そうだと。
それを聞いた蓮は、景之亮様も大変な道を行く人だ、と思った。
二度目の結婚は幸せそのものだったはずだ。二人の子に恵まれ、これから夫婦で子供の成長を楽しみに自身は出世していくところだというのに、その幸せを分つ妻を亡くすとは。
しかし、蓮はもう自分には関係のない人と思って、心を動かさないようにした。母の言葉を聞いていないふりをした。
景之亮にまた会いたいか、と問われたら答えは否だ。もう二度と会ってはいけない人だ。
だから景之亮の影が見えたら逃げなくてはいけない。
蓮は顔を伏せて足早に典薬寮の館に向かった。
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