New Romantics 第ニ部STAY(STAY GOLD) 第九章6

小説 STAY(STAY DOLD)

 正月の終わり、香奈益王の葬送が行われた。
 岩城家の男たちは子供でも香奈益王の葬送に参列し、亡くなった大王を見送った。
 実津瀬は淳奈の手を引いて葬送の列についていた。幼い子はもう歩けないと言い出すかと思ったが、黙って最後まで歩いた。流石に帰りは疲れて、従者の背中に乗って帰った。
 火事の後、すぐに岩城本家に里帰りしていた有馬王の妃である藍はいつお産が始まっておかしくなかったが、とうとう、新年になってすぐに藍は産気づき、初産の苦しさを乗り越えて初めての子を産んだ。
 生まれた子は男児だった。
 玉のように美しい赤さまが元気よく泣く声を聞いて、その体を胸に抱いた藍は喜びで涙を流した。
 蓮は二月に入って妹たちと一緒に本家を訪ねた。もちろん藍が産んだ王子を見るためである。
 大王に即位した父の有馬大王は、藍との間の初めての子の誕生を大変お喜びになり、密かに使者を遣わして、藍に労いの言葉と祝いの品を届けてくれた。
 有馬大王が里帰りのお産を許したのは、生まれた我が子を見に行くという口実で、岩城本家に行きたいという気持ちがあったからだった。自分の母の出身である岩城本家には、子供の頃に幾度か行ったことはあるが、政に関わるようになってからは近づいていない。いくら母のゆかりの邸でも、岩城一族に過度に肩入れをしていると思われるのは具合が悪いこともある。血縁のある岩城と程よい距離と緊張を保って、他の臣下、そして身内である王族と共に政を進めなければならないのだ。
 だから、こんな口実がなければ岩城本家に行くこともできないのであった。
 しかし、香奈益大王の崩御という悲しみの中で即位した今、王宮をおいそれと離れるわけにはいかない。だから、大王は早く我が子の顔が見たいので、すぐにでも後宮に帰っておいでと言って来たが、お産に苦しんだ藍はもうしばらく実家で気楽に休みたいという気持ちがあって、父の岩城蔦高から恐れ多くも体が回復するまでもうしばらく実家で面倒を見たいと申し出たのだった。
 大王の即位式が行われる前には新しく用意された後宮に戻る予定になっている。
 王位の継承は大きな混乱はなく行われた。
 香奈益王に男児の子供はなく、兄弟も今は有馬王子だけであった。体調を悪くしていった香奈益大王の代わりに儀式や行事を執り行っていた有馬王子を、皆、自然と次代の大王であると考えるようになった。
 また、香奈益王の母である皇太后が有馬王子の継承を認めているとの話があり、王族の中で別の王子を擁立する動きもなかった。
 その有馬大王にはすでに二人の子供がいる。二代前の大王の弟の血を弾く女王を妻にして五つになる王子をもうけた。そして、もう一人の妻に二つになる王女がいる。
 藍が産んだ子が男児であるとわかった時、岩城一族は喜びと共に、その王子の将来を思うと、手放しでは喜べない気持ちになった。
 一族の血を引く有馬王子を大王の座に近づけるために、岩城一族は一つ賭けをした。岩城の所業を知っている者たちが十数年後に同じ賭けを仕掛けてくるかもしれない。それを防ぐためにも岩城一族は、命懸けで有馬大王の第二王子を守らなければならない。全ては一族の繁栄と永続のためだ。
 本家の藍が暮らしている部屋に入ると、母の乳をたっぷりと飲んで満腹になり静かに眠っている王子がいた。隣の部屋で蓮たちは代わる代わる抱かせてもらった。
 最初に榧が真っ白な産着に包まった御子を受け取り、その顔を覗き込んだ。眠っているため、その顔の表情はわからない。
 御子は早良(さわら)と名付けられた。
「まぁ、なんて可愛らしいのかしら。目元は有馬大王にそっくりだわ」
 まだ目を開けている顔をそれほど見せてくれない早良王子であるが、もうそんなことを言って、大王の第三妃にすり寄る者がいる。
 早良王子は抱く腕が変わっても、起きる気配なくすやすやと眠っている。時々乳を探すように唇が動き、その仕草が可愛らしい。
 榧、珊の腕から蓮が受け取り、同じように王子の寝顔を覗き込んだ。
 小さくて温かくて愛しい存在である赤さま。
 久しぶりに赤子を抱いた蓮は幸せな気持ちになった。
 もし、このような愛しい存在が景之亮様との間にできていたら、どんなに良かったか……。
 そこで、蓮ははっとした。
 何を、景之亮様との生活を思い出しているのだろうか。これから伊緒理と暮らし、そして、願わくは伊緒理の子を宿したいと思っているのに、昔のことを悔いるような思いを抱くなんて私はどうかしている。
「姉さま?」
 呆然とした蓮の顔を見て、榧が声をかけた。
「………何でもないわ。王子がかわいくて見惚れていたの」
 蓮は言うと、早良王子を榧の腕に渡した。
 火事の夜の出来事が私をおかしくさせている。
 ふとした時に蘇ってくる昔の思い出……息をするように自然に相手の望むことがわかり、それを行動で表し、相手を思いやっていた愛に溢れた生活。
 美しい思い出は悪くない……しかし、その思い出が蓮を苦しくするから心の奥に鍵を掛けてしまったが、そんな心掛けをしなくてもいいように、克服することにしたのに……。
 伊緒理に会いたい。
 蓮は思った。伊緒理が蓮の心を平静にしてくれる。
 しかし、あの日、伊緒理の邸での逢瀬の最中にもたらされた大王崩御の報を聞いてから、会えていない。典薬寮への出仕も、止まったままで、伊緒理や典薬寮から何らかの知らせがあるはずだが、二月に入っても何の連絡もない。
 蓮は早良王子とその体を愛おしそうに抱いている榧を瑠璃玉のような目で見つめていた。

 伊緒理に会いたいという蓮の願いはそれからすぐに叶った。
 伊緒理からも典薬寮からも連絡が来て、蓮は打診のあった日に典薬寮に出仕した。
 蓮は玄関で賀田彦と一緒に蓮を迎えてくれた伊緒理を見て、思わず笑顔になったが、すぐに引っ込めた。
 部屋に入るとすぐに伊緒理から今日の仕事の説明があった。
 新しい大王の即位式の準備で忙しい中、有馬大王の大后が寒さで咳が止まらないということで、部屋まで薬湯を持って行くことになった。
 うかがう医師は伊緒理で、伊緒理は付き添いに蓮を指名したのだった。
 蓮は伊緒理と連れ立って、後宮に向かった。
 初めてお目にかかる大后について、蓮は人知れず考えた。
 大后にとって岩城家は複雑な気持ちにさせる一族だろう。岩城家出身の母を持つ夫にとって、岩城家は最強の後ろ盾であるが、夫の側室になり、男児を産んだ女の一族でもある。
 味方でもあり、我が息子を脅かす敵にもなる一族だった。
 蓮は典薬寮に出仕する時はいつもだが、質素な服を纏っていた。煌びやかな織りや刺繍の入った衣服は着ない。色も落ち着いたものを選んでいた。
 言わなければそんな女が岩城の娘だとはわからないだろう。
 典薬寮を出る時、蓮が薬草の入った箱を持っていたが、典薬寮を出るとすぐに私が持とうと言って伊緒理が代わって箱を持った。
 二人は並んで歩き、王宮に入る門の前まで来た。
 そこでは火事で焼けた内膳司の建物の残骸を必ず見なければならなかった。蓮はあの日以来、初めてこの場所に来た。
「あなたにとっては苦しい記憶になっているだろうね」
 王宮に入る前、伊緒理が言った。
 蓮は頷いたがその実、怖い思いをしただけではなかった。
 炎に包まれた中、景之亮が現れた時のことが思い出された。
 蓮はその記憶と共に湧き出る思いを表に出さないようにした。
 後宮の入り口の部屋で呼ばれていることを示す手形を出して照合し、大后の部屋に通された。
 大后はそばに五つになる明乃王子を置いて、伊緒理から薬湯の説明を聞いた。
「ふむ。よくわかった。この薬湯をしばらく飲んでみよう」
 伊緒理の説明に頷いて、大后は言った。
「そして、私のそばにいるものだから、明乃も咳が出ているのだが、これを飲ませても良いか」
 伊緒理は頷いて言った。
「そうでございましたか。問題はございませんが、少し薄めたものを飲んでいただきましょう。王子のお口には少し苦いでしょうから」
 大后の隣で背筋を伸ばしてきちんと座っている明乃王子は母に似て、目尻の下がった優しそうな顔をしているが、咳をする母を思いやる仕草は見えるだけではなく優しさを持った人と思われた。
「また五日にお伺いします」
 薬湯の効果を見るために伊緒理は申し上げた。
 蓮は伊緒理と共に大后の御前を辞した。途中までは女官が案内してくれたが、それは通行手形を見せる部屋まででそこで別れた。伊緒理は何度も王宮に来ているので、道に迷うことはない。
「大后の体調もそれほど酷いこともなく安心したね」
 伊緒理が言うと、蓮は頷いた。
 大后も夫の即位で、自分の役割が増えて忙しくしているので体調を崩しやすいのだろう。蓮も白い顔であるが、元気そうな大后を見て安心した。
「こっちだ」
 不案内な蓮の前を歩きながら伊緒理が声をかけた。
 大后と王子が暮らす邸を出て、他の妻が暮らす邸が立ち並んでいる間を抜けて行き、王宮の外に出る門まで行く途中、誰とも会わなかったがそこに大きな影が向かい側から歩いてきた。
 武官の装束であり、道を譲るべきであったので、伊緒理は一歩下がって石畳の道を外れた。蓮もそれに習って道を外れて武官が通り過ぎるのを待った。しかし……武官は通り過ぎもせず、それよりも立ち止まった。
 どうしたのだろうか、蓮は怪訝に思った時にその声は聞こえた。
「……蓮」
 その声は……紛れもなく景之亮のものだった。
 蓮は咄嗟に顔を上げた。
 こんな場所になぜ景之亮がいるのだろうか。

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