New Romantics 第一部あなた 第三章5

小説 あなた

 鷹野の後ろを実津瀬が歩いている。
 前日、鷹野が邸に来て明日の踏集いに一緒に行ってくれと言われた。どうも、里に明日も会いたいというような内容の手紙を出して、里から行くと返事が来たらしい。
「いいよ。私も行くよ。でも、わざわざここまで迎えに来なくていいからね。私が本家に行くから。その方が近いのだから」
 そうして、当日、実津瀬は約束通り本家に行って鷹野とともに都の北西に位置する踏集いの集合場所に向かっているところだ。
 前回の集まりから二十日が経った。踏集いは夏から秋にかけて数回行われる。
 参加する者たちは何度も見る顔もあれば、初めて見る顔もある。最初によく見ていた顔が今では見ない場合は、早々に相手を見つけて相思になった可能性が高い。鷹野はそう言った様子をよく観察していて、うらやましいとこぼしていた。
 実津瀬は鷹野の後ろを歩きながら、あの姉妹は来ているかなと、思った。一人で音楽に合わせて踊っていたのを実津瀬に盗み見られていたことに素直な怒りを見せた姉は来るだろうか。
「実津瀬」
 首を後ろに向けて鷹野は実津瀬がついて来ているかを確認した。
 実津瀬は少し足を速めて、鷹野の横に並んだ。
「今日は、実津瀬も輪の中に加われよ。いつも笛を吹いていつの間にか雲隠れなんてしていないでさ」
 そうは言ったが、鷹野は実津瀬に里の様子を見てほしいのだろう。
 兄の稲生が早良家の絢とすんなりと相愛になって結婚したものだから、後ろで見ていた鷹野はそんなものかと思っていたのに、自分と里はそうはならないと、苛立つ気持ちがあるが、冷静に女人の機嫌を取らないといけないとも思っている。
 里の様子を見て脈ありなのか、実津瀬の目からも見てもらいたいのだ。
「そうだなぁ…。考える」
 はっきりと断ることなくそう言ったのを、鷹野は実津瀬に脈はないと分かった。
 広場に着いても実津瀬はすぐに鷹野から離れず、里の姿を探す鷹野の後ろに立っていた。
 大勢の女人たちが集まっているところに、里も加わって何やら姦しく話している。鷹野の姿に気づくと、里はその輪から離れた。だからと言って、鷹野の方へ歩いてくるわけではない。鷹野の方から一人向こうの林へと歩く里を追いかける。仕方なく実津瀬も続く。
「里…」
 鷹野がその背中に呼びかけると、里はもったいぶらずにすぐに振り向いた。
「今日も来てくれて嬉しいよ」
 里は恥ずかしそうに下を向いた。
 そこへ実津瀬が鷹野の後ろから現れた。里は鷹野より少し大きな男がぬっと現れたことに驚いて、より下を向いた。
「私は鷹野の従兄弟の実津瀬という者です。あなたを怖がらせたいわけじゃない。鷹野があなたに付きまとっているみたいだね。迷惑なら、辞めろと言ってやろうと思ってね。でも、あなたの本心が違うなら余計なお世話だからね。こうしてついて来たんだ。嫌じゃない?」
 里は実津瀬の言葉に顔を上げた。
「まあ……付きまとうなんて……そんなふうに思ってはいません」
 少し震えたような小さな声が答えた。
「そうなの?鷹野が強引にあなたのことを誘っているのではないのかな?」
「いえ、そんなことは。私のことを尊重してくれています」
「へえ、そうかぁ。では、私の勘違いということなのかな。鷹野は従兄弟で幼いころからよく知っている。しつこいという難点はあるけど、実は優しい男なんだ。あなたが嫌でないのならよかった。では、私は消えるよ」
 実津瀬は言って、鷹野に向かって手を上げて立ち去った。
 鷹野は実津瀬の背中をしばらく見送ると、里へと振り返った。
「あなたが、私のことを嫌っていないとわかって、嬉しい」
 里の下がっている手を取った。里も鷹野の手を握り返して、二人は林の中へと歩き出した。
 三十歩くらいは歩いただろうか。実津瀬は鷹野がどうしているか気になって、ゆっくりと振り向いた。すると、二人が手を繋いで林の中へと消えて行こうとしている後ろ姿が見えた。
 自分の登場は鷹野の今日の首尾を良い結果に向かわせたようだ。これは、帰りによくよく恩を売っておかなければならないな。
 実津瀬は、帰りに鷹野と落ち合うのを楽しみにして、楽団の方へと歩いて行った。
 いつものように実津瀬は楽団の後ろで持参した笛を取り出した。一曲終わると実津瀬は静かに楽団から離れた。次の曲の準備に取り掛かっている楽団は実津瀬が離れても気がつかない。
 実津瀬は池の方に向かった。前回、あんなことがあったからあの女人はいないかもしれないけど、もしかしたら……という淡い期待があった。
 こんなことを考えるなんて、なんだがあの女人のことを気にしているよう。
 向こうでは次の曲が始まった。実津瀬は、その曲に合わせて笛を吹く。吹きながら歩いて行くと、池が見えた。
 でも、女人の姿は見えない。
 そうか、やはり今日はいないか……。
 実津瀬は、今まで池のほとりに近づいたことはなかったから、そのまま池のほとりまで歩いて行った。水面に揺れる自分の顔を見つけて、空が青いことに気づいた。しばらく、ほとりに突っ立って笛を吹き、どこか木の元に腰を下ろそうかと振り向いた時に、鴇色の布がひらひらとはためいているのが見えた。それは、女人が着ける裳であると気づいて、顔を上げた。そこには、木の幹に体を預けてこちらを見ている例の女人の姿があった。
 実津瀬は池のほとりで左右を見回し、笛を吹いている姿を後ろから見られていたのかと思うと、少しばかり気恥ずかしさを覚えた。
 しかし、実津瀬は気持ちを取り直し、驚いた表情を笑みに変えて女人へと歩いて行った。
「先日、あなたの姿を盗み見て怒らせてしまったから、今日は会えないかと思っていた。それでも今日、あなたの姿が見えたら、隠れることなく挨拶をしようと思っていたのだ。姿が見えなかったので、今日は来ていないのだと。……でも、違った。うまく仕返しされてしまったようだ」
 女人に近づくと、女人は身を預けていた木の後ろへと体を滑らせて、幹越しに顔を出して言った。
「まあ、仕返しに今日は私が盗み見をしていたとおっしゃるの。笛の音に耳を澄ましていたら、あなたが池のほとりまで歩いて来てこちらを振り向いただけよ」
 それを聞いた実津瀬は声を上げて笑った。
「そうか、それもそうだなぁ!でも、私はあなたが躍っている姿を見たかったのだ。だから姿が見えないのが残念で、しばらく佇んでいたのだけど、こうして会えてよかった」
 実津瀬の言葉に、女人は少し表情を和らげた。
「前回、あなたの姿を盗み見ていたことで、あなたを傷つけてしまった。すまなかった。そんなつもりはなかったのだが、謝りたかった。あなたが躍っている姿が楽しそうで、つい魅入ってしまった」
 実津瀬の言葉に女人は幹から体を出して、実津瀬の前に立った。
「そんなに、気になさっていたの。……確かに、あの時はとても恥ずかしくて、怒りが先だってしまったわ……でも、私も呑気なのですわ。誰かに見られるなんて想像もしていないんですもの」
「今日は踊らないの?」
「あなたがいたら恥ずかしいと思って」
「踊りたいなら踊りなよ。私はあなたの自由な踊りが好きなんだ。見ていて楽しくなった」
 次の曲が始まっていた。実津瀬は手に持っていた笛を唇に当てて旋律を奏で始め、女人に背を向けて池のほとりへと歩いていく。水面を見つめていると、さっと影が動いた。よく見ると女人が踊る姿が映っていた。
 実津瀬が顔を上げて横を見ると、手を下に開いてくるくると回っている女人がいた。
 型も何もない自由な動きが実津瀬には楽しそうに見える。
 宮廷での行事で求められる舞は型や手足の先の伸び、向きなど細部まで神経を行き渡らせて舞っているが、隣で舞う女人はそんなものの前に自分の気持ちの赴くままに自由だ。
 ああ、また、舞を舞おうかな……まずは舞が好きで、舞が舞いたいという気持ちのまま、自由に。大王の前で舞うような責任感のある舞を舞う前に自分のために舞いたい。

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