「実津瀬、夏の宴で舞を舞う依頼が来たよ」
実津瀬は机を出して書物を読んでいたところに、ふらっと現れた父の実言から言われた。
宮廷楽団と一緒に舞の練習をしていた際、楽団を引っ張る楽長の麻奈見からそれとなく舞の依頼について言われていたから、それほどの驚きはなかった。
「あれ、もう聞いていた？麻奈見が言ったのかな」
実津瀬は頷いた。
「じゃあ、断る必要はないね。夏の宴はまた趣の違う舞を披露しないといけないね」
父に言われて、また舞に追われる日々を送るのだと、覚悟した。
舞の練習の合間に雪との逢瀬は続けていた。別れようとした理由、雪はもしや岩城一族を滅ぼそうとする勢力陣営の間者かもしれないという疑念を実津瀬は腹の中に飲み込んだ。普段の雪は実津瀬に何をするでもない。ただ、好きだと言葉と態度で示すだけだ。実津瀬もその気持ちに応える、いや、それ以上に思っていると伝える。
いつものように宮廷で働く者たちの宿舎の空き部屋に潜り込み、雪と春情のままに抱き合っていた。実津瀬の胸の上で、雪は話し始めた。
「宮廷では夏の宴のことが話題ですわ。と言っても、何を着るか、どのような装飾品で飾るかばかりを話していますけれども。……でも、私と同じように舞や管弦の好きな者たちとは、どなたが舞を舞うのかしらという話で盛り上がりました。実津瀬様に依頼があったのでしょう」
雪に言われて、実津瀬は頷いた。
「どうも、王族のどなたかから私の舞が見たいとおっしゃってくださったようだ。どのような舞を舞うか、今考えているところだよ」
「まあ、王族のどなたかから。あなた様の舞は宮廷の隅々まで評判になっているのですね。そうなると、舞の練習に精が出ますわね。私と会うことはなかなか叶いませんわね」
「いや、そんなことはないよ。私はあなたに会いたいもの。時間は融通できる」
「……嬉しい……」
実津瀬は自分の腕の中で身じろぎする雪を抱き締めた。
「……ゆっくりと会えるといいが、そうはいかない。会える時は大事にしたい」
「……ええ、今でもとても大切に過ごせていますわ。ねえ……」
と雪は言った。
外から申刻を告げる鐘の音が聞こえた。
「今日は私、急がないといけませんわ」
雪は言って体を起こすと、脱ぎ捨てた下着を手繰り寄せた。
実津瀬に背中を向けて手早く着付けると、くるりと実津瀬の方を向いた。
「お約束の日まで……その日が待ち遠しいですわ」
次に会うのは五日後と約束した。五日と言っても二人には長い間だった。
「まったくだ。五日後が待ち遠しい」
実津瀬は雪の腕を掴むと自分へと引き寄せ、裸の胸に掻き抱いた。雪もその体に腕を巻き付けて抱きついた。
実津瀬は舞の練習を終えて邸に帰える。邸に近づくにつれて蜂の巣をつついたように多くの従者たちが門の前で右往左往しているのが見えた。
実津瀬は門の中に入ると、青い顔をして立っている忠道に訊ねた。
「どうしたの？こんなに人が」
「実津瀬様……実は、榧様、宗清様の姿が見えず……実由羅王子も一緒なのです。今、皆で探しているところで」
それを聞いた実津瀬も一瞬で忠道と同じで真っ青な顔色になった。
「父上は？」
「邸のことは私に任されて、自ら御三人を探しに行かれました。礼様も同じです。邸の者たち皆、探しに行っています」
「そう、では私も探しに行こう。心配だ」
実津瀬は忠道の傍にいた従者と一緒に門の外に出た。
「どこに行ったのかしら？」
実津瀬が訊ねると。
「お庭で遊ばれていたのですが、そのうち裏の垣から邸の外に遊びに行かれたようで」
「誰か付き添いはいなかったの？」
行方知れずになった三人のうち、実由羅王子は王子と呼ばれる通り、王族の一人である。歳は、榧と宗清の間で十歳の少年で、歳の近い榧と宗清はよい遊び相手として邸を行き来している。この実由羅王子は、父の実言が子どもの頃から交友のあった王族の子息で、実言は我が子以上にこの王子のことを大切に思っている。だから、今我が子とともに王子が行方知れずになったことを知って、血相を変えて自ら探し回っているのだろうと思った。
実津瀬も我が妹弟が心配であったが、実由羅王子のことも心配だ。
「どうも、付き添いを煩わしいと思われたようで、画策して目が離れた隙に外へと出てしまわれたようです」
実由羅王子は幼いながらも、将来王族として政を担うための教育を実言から施されている。本来の資質もあるのだろうが、賢い子である。今回の場合は、悪賢さというべきか、何か機転を利かせて監視の目を盗んで子供だけで遊ぼうと外に出たのだろう。しかし、日も暮れるというのに邸に帰って来ない。十一から九歳の子供たちだから、どこか森の中に分け入った後、来た道がわからなくなり、道に迷って帰って来られなくなったのかもしれない。
「みなさまが大路から小路まで隅々探しまして、今は裏の山や近くの竹林の中などを手分けして探しております」
日が暮れたら野犬の徘徊や野盗の出現など危険が増す。日暮れ前にどうか三人を見つけ出したいと、皆血相を変えて探し回っているのだ。
今は近くの小高い山を隈なく山狩りしているところらしい。
そこに実津瀬たちは向かった。竹林の傍の道に蓮と鋳流巳が立っているのが見えた。
「蓮！」
実津瀬が声を掛けると、蓮はこちらを振り向き走ってきた。
「どうなの？」
「今、お父さまたちが山の中に入っているの。行き違いで山を下りてくるかもしれなから、私たちはここで見張っているのよ」
実津瀬は蓮と一緒に下草の生えている林の中に入って、竹林の中から小さな三人の影を見つけようと目を凝らした。
「ああ、きっと宗清が外で遊びたいとわがままを言ったのよ。あの子は束蕗原で自由に外を駆けまわるのをとても嬉しがっていたから。でも、実由羅王子を巻き込むなんて、もう、本当にどうしようもない子ね」
不安で、声を震わせながら蓮は言った。
岩城実言邸の庭は広いから一日二日では飽きない。しかし、毎日のように遊んでいてはついに飽きが来てしまって、昔から宗清は子守を連れて外を歩きたがった。それが子どもたちだけで外に出てしまうまでに発展したのかもしれない。
近くで「榧さま～」と呼ぶ声が聞こえた。普段榧の世話をしている侍女の声だ。耳を澄ましてもその声にこたえる榧の声は聞こえない。
そろそろ松明が必要かと、先ほど蓮たちが立っていた道には火を持った男が現れた。
まだ幼い三人だから、そんなに遠くには行けないはずなのに、まるで神隠しにあったように出てこない。
実津瀬も焦る心で草をかき分け、竹の間をすり抜けて山裾を少しの隙も無いように見回った。
「どこにいるのよ、榧、宗清、実由羅様！」
少し離れたところにいた蓮が言った。苛立ちを言葉にしないと、不安に押しつぶされそうになったのだ。
そこへ。
「発見！お三方を発見！」
と山の中腹から走り下りながら叫ぶ声が聞こえた。その声は周りの者たちに伝播されて、探索に関わっている者たちに共有された。
「発見……」
これも、蓮が聞こえた言葉を繰り返した。
「実津瀬、三人は見つかったの？」
実津瀬は蓮の傍に歩いて行って、その肩を抱いた。
「そのようだ……よかった」
その先触れの後に、山に登っていた者たちが一斉に山を下りてきた。
山道の入り口に実津瀬と蓮が立っていると、父の実言の姿がみえた。その腕には榧が抱かれている。
「榧！」
蓮が近寄ると、父が説明した。
「足を挫いたようだが、大丈夫だよ」
榧は疲れ切った顔で、父の腕の中でうなだれている。
その後ろには実由羅王子が舎人に付き添われて下りてきた。
「王子……お怪我はありませんか？」
実津瀬はとっさに声を掛けると、実由羅王子は微笑んで頷いた。頬に少し泥がついているが、怪我などはなく自身で歩けるようだ。
その後に従者の耳丸に抱かれた宗清と母の礼が下りてきた。
蓮がたまらず耳丸に近寄り腕の中の宗清の顔を覗き込むと、規則正しい寝息を立てていた。
「……宗清？」
蓮はこの状況に寝ている宗清に呆れた声を上げた。
「遊び疲れてしまったようで、眠っているのよ」
母の言葉に、蓮と実津瀬は怒りが込み上げるような安心したような気持ちになった。
実由羅王子が言うには、邸の外に探検に行こうと言って、付き添いの監視を欺いて裏庭の垣からあの山の中に入ったらしい。奥に進みながら植物や虫を観察して、さて帰ろうとしたら、幼い宗清が疲れて座り込み眠ってしまったので、実由羅王子が宗清を背負って山を下っていたら、次に榧が蔓に足を取られて転んでしまい、動けなくなったのだという。そんな状況だというのに、宗清は実由羅王子の背中で眠り続けていたらしい。
宗清はともかく、実由羅王子と榧は疲れているだろうからと、邸で手当と食事をして眠らせた。
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