New Romantics 第一部あなた 第ニ章14

小説 あなた

 月の宴の前日。
 実津瀬は予行のために塾が終わると、宴の会場となる夫沢施の館に向かった。すでに宮廷の楽団が組みあがった舞台の上を行ったり来たりしている。
 実津瀬が舞台の下まで行くと、師匠の麻奈見が上で指示をしている姿が見えた。
「麻奈見様」 
 声を掛けると、麻奈見は上がっておいでと手招きをした。実津瀬は近くの階を登って舞台の上に上がった。
「衣装や道具は持って来ているから、保管している部屋で確認して。ここの準備が整ったら、通しで演奏しよう」
 実津瀬は、舞台の上から見える景色をぐるりと見まわして、正面の位置や席の並びを確認した。
 それから衣装や道具を保管している部屋に向かう途中、食器や食材などの準備をしている部屋の前を通った。ずらりと膳を並べて、その上に皿を置く作業をしている。この皿はひびが入っているや、椀が足りるかと話している。
 格子の上がったその部屋の中を見ていると、並べた膳の間を歩いている数人の女人の中に、よく知った女を見つけた。じっとりとした視線を向けていると、下を向いて膳の上に決められた皿や椀がそろっているのを確認していた顔を上げて、女人はにっこりと笑った。
 女官姿の雪は、再び顔を下に向けて膳の上の食器を確認しながら、実津瀬が立っている簀子縁の近くまで歩いてきた。
「これから舞台で予行を行うのだ。終わったら会いたい」
 落とした声で実津瀬が囁くと。
「はい、ここの準備が終われば舞台の様子を見に行くこともできますから、あなた様にお会いできますわ」
 部屋の中にいた他の女たちから二人は、簀子縁から部屋の中を覗いた男に何かを訊ねられて、それに答えているように見える。
 実津瀬は頷くと、簀子縁を進んで、楽団が使う準備の部屋に入った。舞の衣装が整然と並んでいる。実津瀬が使う衣装の前に来て、全てがそろっているかを確認した。そして、舞で使う飾りや、手で持つ道具を持って舞台へと戻った。
 舞台の上には楽器が持ち込まれている。麻奈見が舞台上で、前にも実津瀬と一緒に舞った楽団所属の舞手、淡路と話をしている。実津瀬が舞台に上がると。
「揃ったね。何度も一緒に舞っている二人だから、なれたものだろうけど、観る方には新たな感動を与えられるように、君たちも真っ新な気持ちで舞ってくれよ。本番は明日だから、今日は程よい緊張感を持って、最後の練習を始めようか」
 飄々とした麻奈見の言葉に、逆に先陣を切って最初に舞いを舞う実津瀬と淡路は表情が引き締まった。
 細かい調整を繰り返して実津瀬は予行を終えた。控えの間で吹き出た汗を拭った。一緒に舞う淡路は、楽団の手伝いをするためにまた舞台下に戻るというので、明日の成功を誓い合って別れた。実津瀬は明日の配膳の準備をしている部屋の前を通った。整然と並んだ膳とその上の皿や椀が見えたが女官は誰もいなかった。
 雪はどこにいるだろうか……
 実津瀬は不安になってその部屋を通り過ぎると、庭の樹の陰に雪が立っているのが見えた。
 そのまま簀子縁を通り過ぎて、角を曲がって最初に見つけた階を下りた。庭に出ると、雪が繁る樹々の陰から姿を現した。
「待たせたね」
「いいえ、遠くから音楽が聞こえてきて、実津瀬様の舞う姿を想像していました。予行はうまくいきましたか?」
「うん。よく練習したよ。今夜はここに泊まるの?」
「いいえ、これから一旦宮廷に帰ります。また、明日の昼頃にこちらに来て、最終的な料理の準備をしますわ」
「そう、あなたたちの宿舎はどこになるの」
「この館の裏に建っている長屋の部屋になります。明日は、子刻には全てが終わっているでしょうから、裏の長屋の前であなた様を待っていますわ」
 実津瀬は頷いて、雪の手を引いてその体を抱き締めた。
「今は、あなたと朝まで過ごすことが楽しみでたまらない。舞のことは二の次だよ」
「まあ!」
 雪は実津瀬の腕の中でふふふと笑った。
「私は実津瀬様の舞が楽しみなのですから、お願いいたします。それが終った後に、私の望みが叶うなんて、夢のような気持ちですわ」
 雪も実津瀬の体に抱きついて、しっかりと抱き合ってから二人は体を離した。
 実津瀬は少しの間満ち足りた気持ちに浸って、邸へと帰って行った。

 明日は実津瀬が大王の前で舞うのだからと、元気づけるために夕餉は家族皆で取った。実津瀬の大きな舞台の前日には家族で食事をとるのが恒例となっていた。
「兄様!」
 後から入って来た宗清は庇の間に立っていた兄に飛びついてきた。
「宗清はいつも元気だな」
「兄様は準備万端ですか?」
「ああ、万端だよ。今日、最後の練習をして帰って来たところだ」
「私はまだ兄様が大王の前で舞をしている姿を見たことがないよ。いつか、兄様がそんな舞台で舞っている姿をみたいなあ」
 実津瀬は小さな宗清の肩に手を置いた。
「そうかい。ならば、宗清がもう少し大きくなって宮廷に入られるようにならないと難しいね」
 そう言って、部屋の中に入ると、すでに実言と礼、それに蓮、榧、珊の妹たちが座っていた。
「宗清、それは私たちも同じよ。家ではいくらでも見ているけど、本番の大舞台での実津瀬を見てはいないわ」
「そうね、私たちは観ていないわね」
 蓮が答えて、母の礼が答えたが。
「でも、私は実津瀬が舞い終わって、邸に帰って来るのを迎えるのが好きよ」
 と続けた。
「そうかい?でも、一度は礼にも実津瀬の舞を見てもらいたいね。それは、蓮や宗清、榧も珊にもだよ。ねえ、実津瀬」
 隣に座った実津瀬に顔を向けて父の実言は言った。
「みんなが見てくれていると思ったら、心強いと思うけど、緊張もしますよ」
 実津瀬は恥ずかしそうに答えた。
「でも、一度は見てほしいな……私の晴れ舞台を」
 小さな声で言った。
 そこから侍女たちが次々と膳を持ってなだれ込んできた。実津瀬の精をつけようと礼が献立を考えて用意させたものだった。
「兄様のおかげでご馳走が食べられるよ」
 宗清は父が箸を取ったのを見ると自分もすぐに膳の上の箸を取って言うと、皿の上の煮魚の身に箸を入れた。元気よく口の中に運び、咀嚼している。皆が幼くて元気な宗清に笑わせられて和やかな雰囲気になった。

 
 夫沢施の館の準備が終わると、宮廷から来ていた女官や従者はまとまって夫沢施の館の門を出て、道の端を二列に並んで宮廷に帰って行く。
 雪は列の一番最後を歩いて、前を歩いている女官二人のおしゃべりを聞いて頷いていた。宮廷で食べる食事より明日は豪華な食事が食べられるわね。私はあれが好き、これが食べたいと献立の中の好きなものを話していた。大路と交差する小路を通り過ぎる時に、雪の目には小路からこちらの大路に向かって歩いてくる男の姿見えた。小路の前を通り過ぎたところで、前の女官に気づかれないように立ち止まり、後づさった。
 雪は小路まで戻ると、その身を小路側へと滑り込ませた。
「どうだ?」
 男は雪に訊ねた。
「明日、あの方は来てくださるはずですわ。計画通りに行くかと……」
「そうか……では、首尾よく計画通りに行こう。こちらも、準備は整っている」
「……はい」
 雪は返事をすると、すぐに大路に戻って、最後尾の女官の後を追った。

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