New Romantics 第一部あなた 第三章10

小説 あなた

その翌日、景之亮が実言邸にやってきた。景之亮が来たことは侍女たちを通じてすぐに蓮に伝わっているが、景之亮は例によってこの邸の主人である実言に挨拶をしてから蓮の部屋に来るため、すぐに会えるわけではない。
 昨日、景之亮様は王宮と宴会の場である佐々良の宮の道中を王族たちの警護したのだから、お父さまはいろいろと聞きたがるはずだわ。
 と蓮は思った。景之亮が来た、と聞いても写本の筆を止めることなく、気長に景之亮を待つことにした。
「景之亮様……遅いですわね……。旦那様も蓮様がお待ちになっていることはよくよくわかっていらっしゃるでしょうに」 
 侍女の曜が庇の間に出て、実言の部屋の方を窺う。
「まあまあ、お父さまもいろいろと聞きたいことがあるのでしょう。景之亮様も聞かれたら、誠実にお答えしないと気が済まない方だから時間がかかるのよ。予想できることよ」
 蓮はそう言うが、蓮が小さな頃から傍にいる曜は、蓮の隠した本心を慮って庇の間から簀子縁まで出て首を伸ばした。
 蓮は曜をたしなめたが、さすがに遅いわね……と、筆を置くと、曜の後ろに立って、渡殿の方を一緒に覗く。
 すると不意に渡殿を渡る足が見えて、蓮も曜も部屋の奥へと引き返した。
「きゃあ、曜、押さないで」
「蓮様、早くお座りくださいな」
 曜に押されて机の前まで行き、蓮は座った。
「蓮……」
 体の大きな景之亮は、巻き上げられた御簾でも体を屈めて庇の間に入って来た。
 机の前に座っている蓮、それを押さえつけるように肩に手を置いた曜、二人とも少しばかり息を切らしている。
「どうしたの?二人とも息が荒いみたいだ」
 蓮の前に座った景之亮は不思議そうに言った。
 簀子縁で普通に迎えればよかったのだが、覗き見ていたことに心咎めて反射的に部屋のいつもの場所に戻った二人だった。蓮が勢いよく座って体が傾いたのを、曜が後ろから支えて肩を押し付けて平静を装おうとしたのだ。
「あら、そうかしら。二人で話していたら、早口になったからかしら」
 蓮は取り繕って、曜と二人で嘘笑いをした。
 景之亮は蓮の言ったことを素直に受け入れて。
「女の人は良くしゃべるものだね。息が切れるほどに言い合っていたの」
 と笑った。
 曜は、ほほほと笑った。
「景之亮様、いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
 といながら立ち上がり、早々に部屋から出て行った。その影が見えなくなってから、景之亮は言った。
「待ったかい?」
 景之亮も、自分が邸に着いたらそのことがすぐに蓮に伝わっていることを知っているので、主の実言と話せは話すほどに、蓮を待たせていることはわかっていた。
「はい。でも、昨日佐々良の宮までの行き帰りを警護なさったのですから、今日はお父さまが離さないとわかっていましたもの」
 景之亮は笑った。
「そうだね。私も今日は実言様からいろいろと質問されると思っていた。話していたら以外に長い話になってしまった」
「私もお父さまから有馬王子のご様子を訊かれたわ。だから、景之亮様にはもっといろいろと訊くだろうと思っていた。でも、少し待ちくたびれたわ」
 最後は少し唇を尖らせて蓮は言った。
「悪かった。……昨日は……蓮の姿を見られて嬉しかった。美しかったよ」
 景之亮は昨日の蓮を思い出し、目を細めて蓮を見つめた。
「……景之亮様…………そんなこと……美しいなんて……私の隣には本家の藍がいて、他の手伝いに来ていた子たちもきれいな子ばかりよ」
「そうだったかな?私は蓮しか見えていなかったからね。隣の女人たちのことはわからなかった」
「それに私は特別めかし込んでいたから、いつもと違うように見えたのだわ」
「そうだね、いつもよりいい衣装を着ていた。それが悪いよう思わないよ。私の妻になる人がよい衣装をつけ、髪や化粧を整えて美しくなって人の前に出ているのをみると、嬉しいよ。だけど私だけの人と隠しておきたい気持ちにもなったよ」
 景之亮の言葉に嬉しくて涙が出そうになるのを我慢して、蓮も言い返した。
「私も佐々良の宮で景之亮様のお姿を見ることができてうれしかった。煌びやかな衣装が良くお似合いでした。景之亮様の大きな体に隣にいた藍が気づいて、私に話しかけるものだから、他の子たちもなになにと訊いてきて、景之亮様のことを話してしまったわ。そうすると、みんなが景之亮様の姿や様子を褒めるの。私、くすぐったい感じで、とても誇らしい気持ち。でも、不安よ。景之亮様を取られてしまわないかしら。だって、みんながいいというのだもの……」
「嬉しいね……あなたがそんなふうに思ってくれるなんて」
 景之亮の手が伸びて、蓮の膝の上の手を握った。
 蓮は握られた手から視線を景之亮に戻して、笑顔を見せた。
「ねえ、景之亮様」
 と、昨日の景之亮のことをあれこれと訊いた。
 景之亮は、衣装は美しいが重くて動きにくいので、馬に乗る上げる時が大変だとか、帰りに王族の乗った輿が止まれと言っては、通りの人や馬を観察するので、宮廷に戻るのに時間がかかったなどと裏話を教えてくれた。
 輿を止めた王族を景之亮は言わなかったが、有馬王子の隣で楽しそうに酒の入った杯を白い喉を見せて何杯も飲んでいた桂という姫だろう。
 蓮は景之亮の話を微笑んで聞いている間も、頭の中は別のことが渦巻いていた。
 こんなに私のことを思ってくれていると分かるのに、なぜ、景之亮様は私を妻にしてくれないのかしら……。心は妻の気持ちだけど、それだけでは嫌だもの。もう、このまま部屋に居続けて今夜にでも……。
 蓮はそんなことで頭の中をいっぱいにしてはいけないと、景之亮を見上げた。
「蓮……」
「……」
 それから何も言わない景之亮に蓮はさらに顔を突き出すように上を向いた。
「その唇、触れたら突き刺さりそうはほど、とがっているよ」
 そう言われて蓮は上を向いている自分の口が突き出ていることに気づいた。
 あら、やだ!と蓮はすぐににっと口を左右に広げて、笑い顔を作った。
 すると、景之亮は即座に蓮の顔に自分の顔を寄せて、平たくなった唇に自分のそれを重ねた。
 軽い接吻ですぐに離れた景之亮は蓮を抱いて言った。
「どうしたの?あなたらしくない。何かあったのかい?」
 蓮は自分の気持ちを言ってしまおうか、と思ったがこんなに思ってくれる景之亮が何も考えていないはずがない、とも思うのだった。だから……。
 妻にしてくれるその時まで待とう。この気持ちは……今の自分の機嫌は自分で取ろう。
「ううん。景之亮様、とても人気だったんだもの。私、嫉妬してしまった」
「そんなこと……」
 景之亮は言いかけたが、口をつぐみ、蓮を懐深く抱いた。

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