New Romantics 第一部あなた 第三章8

小説 あなた

 佐々良の宮は多くの人が出入りして、宴の準備が着々と進んでいた。
 蓮と藍は宮の庭に作られた宴の舞台の周りに張られた幕を持ち上げて覗き見た。
「まあ、立派な机!机の上の敷物もとても美しい模様!」
 二人は感嘆の声を上げた。
「お料理もきっと豪華でしょうね」
 二人は配膳の手伝いをするときに対面する料理のことを思った。
 佐々良の宮は池と庭の組み合わせの美しい王族の遊び場である。邸というものはなく、雨風のしのげる簡単な建物しかない。そこに、今回の遊びのために幕を張り、野掛け気分を味わうというものだ。
 心配していた空も、秋めいた爽やかな青空が広がり、野掛けはぴったりである。
 宮の隅に今回の宴のために建てられた台所替わりの小屋からよい匂いが漂って来る。
 小屋と幕の間で配膳の手伝いを頼まれた貴族の女子七名が集った。蓮と藍を含む女人たちは子供の頃からどこかで顔を会わせている者たちだ。
「まあ、久しぶりね」
「本当に、いつ振りかしら?」
「元気にしていた」
 十五、六の乙女たちは次々と久し振りの再会を喜ぶ言葉を発した。
「そうそう!蓮!結婚が決まったとか?」
 蓮はいきなり言われて、驚き、顔を赤くした。
「まあ、そんなに照れることないじゃない」
「え?蓮、結婚が決まったの?」
 乙女たちは体を寄せ合って、蓮が何を言うのか待った。
「そうなのよ。父の薦めてくれた人と、決まったの」
「まあ、どんな人なの?」
 乙女たちの姦しい声に、宮廷から来ている女官は大きく咳払いをした。それを聞いた乙女たちは静かになった。
 すでに、この宴に呼ばれた貴族たちが庭の木の下で小さな輪を作って談笑して、王族の到着を待っている。
 塀の外を馬の歩く音、人の足音で騒がしくなった。どうやら、宮殿から王族の方々が到着されたのだろう。
 蓮は宮殿から王族の警護者として景之亮は来ているだろうか、と胸を高鳴らせた。もし、言葉通り、予定通りであれば景之亮は近くにいるのだ。
 賑やかな声が上がった。それは女人の声だ。突然のことで、どのような言葉を言ったのか蓮はわからなかった。
「桂様、こちらは初めてですか?」
 男の声が女人に問いかけた。蓮は、この声に聞き覚えがあった。有馬王子の声だ。
「そうよ。今までここの庭の見物に声を掛けてもらえなかった。池の周りに色々な草花が咲いて、美しいのだろう。昔、父から聞いた覚えがある」
 女人が答えた。
「有馬、もっと早くに誘って欲しかったな」
 有馬王子を呼び捨てにするとは、有馬王子より年上で、身分も同じなのであろう。王族の一員、王女なのだ。
 声は遠ざかって行った。
 有馬王子がこの宴にいらっしゃることはわかっていた。だから、岩城家は藍を遣わしたのだ。有馬王子とは宮廷の庭での宴にたびたび呼ばれて、顔を会わせている。何度も顔を会わせることで、自然と二人の間に親しみが生まれることを岩城家は望んでいる。
 おっとりとした性格の藍も、自分の運命がどっちを向いているのかは当然わかっていることだろう。今日も大人しく言われた通りにここに来たのだ。
 王族の到着で、池の周りで談笑していた貴族の男たちも、用意された席へと移動した。
 張られた幕が切れる手前に宮廷楽団数名が楽器を持って座っており、この場に音楽の彩りを添える。
 仮設の台所で用意された料理が膳に載せられた。小さな皿に色とりどりの山の幸、海の幸が盛られている。三皿が載った膳が上に一膳、下に二膳と三膳が一組となって、一人の料理になっている。手伝いに呼ばれた乙女七人は、三人一組になって一つの膳を持ってしずしずと参加者の前に膳を置いていくのが大きな役目である。
 中央の机の真ん中に座っているのは有馬王子だった。有馬王子の左右には女人が二人いる。王子の右にいる幼い人は妹の初様であろうが、左に座る王子よりずいぶん年上に見える女人は誰だろう。この方が到着した直後の雑談で聞こえて来た声の主ということか。後ろを垂らし髪にし、横の髪を頭上一髻に結っている。上瞼から目尻に掛けて朱色を入れた化粧が映えて、その女人の美しさを引き立てていた。
 自然と……という感じで、有馬王子の正面に膳を置いたのは藍だ。その右後ろに立つ蓮は、王族たちにあからさまに視線を向けないように気を付けて、膳を運んだ。
 藍は終始伏し目で膳を有馬王子の前に置いた。
 有馬王子は自分の前に三つの膳が置かれるのに合わせてその様子を見ていたが、置いた膳から手が離れるとともに目を上げた。そこには俯いた藍がいる。
「そなたは……藍……だったな」
 有馬王子に名を呼ばれて、藍は小さな声で返事をした。
「はい」
「……また会えたね」
「はい」
 蓮は二人の会話に耳をそばだてた。短い言葉だが、有馬王子の記憶に確実に藍は刻まれている。
 蓮は有馬王子の前を去る前に、その左隣りにいる女人が視界に入った。
 女人は、有馬王子と同じように三人の乙女たちによって目の前に置かれた膳の上の杯を取った。
「桂様、私がお注ぎしましょう」
「いいえ、次代の大王にそのようなことはさせられない」
「逆ですよ。将来、私がその位に立った時に、昔、酒を注がせた仲と自慢してくださればいいのです。今は小さな弟なのですから」
「まあ、そんなこと言ってくれるのか。嬉しいことだわ」
 と高い声を出して笑った。
 現大王には男の子は産まれていない。だから、何事もなければ次の大王は有馬王子になるのは明白なことだった。何の企みでもなく、水が高いところから下へと流れる理と同じように、ここでの会話で有馬王子を次代の大王と言ってはばかることはなかった。
 女人は有馬王子の方へ持っていた杯を向けた。手伝いに呼ばれた乙女を手招きし、持っていた徳利を受け取ると、女人……有馬王子が桂と呼んだ王女の杯に酒をなみなみと注いだ。
 蓮は岩城家に関わりのある有馬王子たち一部の王族のことしか知らないため、有馬王子の左隣りに座る女人がどのような王族の位置にあるのかはわからない。
 現大王の妹に当たる人かしら。有馬王子は自分を弟と言っていたわ。
 膳を運んだ三人は列になって裏方へと引っ込み、次に配る膳を渡されてまた運ぶということを数度繰り返した。
 全ての膳を配り終わった後はへとへとである。しかし、この手伝いをした褒美として王族の前に並んだ同じ料理が食べられるのだ。
 七人の乙女たちは仮設えの板の上に敷物を敷いて幕を張っただけの中に座り、大きな膳の上に並べられた小皿に載った料理を右から左からと一回り見てその美しさに感嘆の声を上げた。
 そして箸を取って、小さく裂いた料理を口の中に入れた。
 皆、頬を抑えてその味を噛みしめている。
 そこで、一人が小さな声で話した。
「有馬王子の隣におられた女の方、王族のおひとりかしら」
「そのように見えたわ。とても楽しそうにお酒を飲まれていた」
「有馬王子よりもうんと年上の方のように見えたわ」
 手伝いに来た乙女たちは料理を飲み込むのに忙しく口を動かしながらも、配膳や酒を注いで回る間に見てきた感想を話した。
 どこの貴族の男性が来ていただとか、あの一族の男性は容姿が良くて女との恋の話が絶えないだとか、誰それは最近結婚しただとか。いろいろな情報が飛び交った。蓮と藍はそんな話には少し疎く、聞き役に回っていた。どこの男性がどうしたと言った話に疎いのはもう相手が決まっているからだろう。蓮は景之亮がいるのでもちろんのこと、藍も他によそ見など許されない。一族皆が藍は有馬王子に選ばれなければいけないと監視している。
 乙女たちは頷いて聞いていると、時折幕の内側で大きな笑い声が起こった。男性の低い声の中に、あの、桂様と呼ばれていた王女の声が奇異に聞こえるほど高く目立っていた。
 食事も終わり、管弦と景色も堪能したところでその宴はお開きになった。
 蓮たちは王族のお見送りするため、幕の外側を門の方へ歩いているときに、内側からの会話が聞こえて来た。
「舞があればなおよかった。岩城の……よい舞手がいるではないか。有馬の伝手を使って頼んでくれたらよかったのに。私は食べること寝ることの次に舞を見るのが好きなのだ」
 席を立ちあがる音、椅子を引く音などの中に桂王女の声がした。
 蓮は岩城の…舞手…と聞こえて、実津瀬のことだと気づいた。周りにいる乙女たちも
 もうそれが誰のことを言っているのかわかった。
 実津瀬はこのように知らない王族にまでその舞を知られているのだわ。
 何度も大王や王族の前で舞っているのだから、知られているのも当たり前かもしれないが、こうして実津瀬の舞が見たいと言われるのは我が兄ながら感心なものである。
 幕の内側に乙女たちは姿を現し、整列した。呼ばれた貴族たち、宮廷から来ていた女官、手伝いの侍女たちも畏まって頭を垂れた。
 ちょうど門の前には乗ってきた輿の準備が整った。周りには警護者の左近衛府の武官たちが並んで、王子たちを迎えた。

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