【小話】景之亮の結婚 1

小説 STAY(STAY DOLD)

「いつまで部屋に閉じこもっているつもりだ」
 部屋の中でぼんやりとして寝転んでいると、叔父の宇筑が庭に回って来て外から声を掛けた。
 面倒な人ではあるが父の亡き後、自分を支えてくれた叔父である。景之亮は大きな体を起こして、簀子縁まで出て行った。
「閉じこもっているのではありませんよ。休んでいただけです」
 景之亮は答えた。
 ふん!と宇筑は鼻を鳴らして、階を上がって来た。
 叔父の勢いに押されて、景之亮は庇の間へと戻った。
「なんだ、その顔は。もっとしっかりとしろ」
 怒られて、景之亮は視線を落とした。
 二日ほど休暇願を出して、認められた。今日はその二日目である。
 その間、部屋に籠って、じっと物思いにふけっていた。部屋に籠っているから身なりをかまう必要もなく、濃い髭は伸び放題で、剛い髭が顔を埋め尽くすほどに伸びている。
 妻を失って、十日が経った。
 もう元の鞘に戻れないとわかって数日、いつも通りに働いたが、めまいがして立っていられず休暇をもらったのだ。体は丈夫であるが、心は思いのほか傷ついて、立ち直れていなかった。
 情けないと、自分の軟弱さを責めたが、それ以上に身も心も愛し尽くしていた女を失ったら、こんなふうになるものなのか、と思い知った。
これから今までのような生活ができるのだろうかと、景之亮は不安に打ちひしがれていた。
「なんという風体だ」
「少し体調を崩しており、寝ておりましたので」
 宇筑叔父は景之亮の言葉に反応することなく侍女の丸が用意した円座に座った。
 景之亮の傷心を思いやることもことはない。
 宇筑にとっては、こうなることを願っていたのだから、慰めてやることなどお門違いである。
 景之亮も叔父の向かいに座って叔父が話すのを待った。
 叔父上は何かを、話したくてここに来たのだろう。
少なくとも、景之亮には宇筑と話すことはなかった。
 傷心の自分を放っておいてほしかった。
 宇筑がいなければ、蓮と別れることはなかったはずだ。その原因の顔など見たくない。
「……今日は、無駄口をたたきに来たわけではない。晴れてお前は独り身になったのだから、新しい妻が必要だろう」
 宇筑の言葉に、景之亮は鼻白んだ。
 自分は独り身になることを望んではいなかった。新しい妻なんて、もってのほかだ。
 この先、妻を迎えることを考えなくてはいけないと思うが、蓮の面影がまだそこかしこに残っている今、新しい妻の話というのは違うと思う。
「叔父上、私は妻を失ったばかりの身です。なのに新しい妻を迎えるという話は性急過ぎます。今はそっとしておいてください」
「何を言うか、景之亮。お前はもう若くない。急いで新しい妻を迎える必要がある」
 景之亮は腹が立ってむっとした顔を宇筑に見せたが、若くないというのはその通りだった。
 宇筑が幼い自分の後ろ盾になって、今の地位を守ってくれたのは景之亮が跡取りを作り、鷹取一族を盛り立てて行ってくれると信じていたからだ。その思いを遂げるために、宇筑はどんなに煙たがられても、景之亮をせっついて来る。
 景之亮も三十となり、若いとは言えなくなって来た。
 蓮と縁を得るのも遅かったため、子供は早く欲しいと思っていたが、すぐにはできなかった。だが、結果として、できなくても仕方がない。蓮と一緒にいたいという気持ちに嘘はなく、今でもそうである。
 しかし、宇筑は既に次のことを考えているのだった。
 まだ、蓮の面影を感じるこの邸で新しい妻のことを考えることなどできない。
「私に当てがある。よい女人を知っているのだ。どうだ、会ってみないか」
 叔父の言葉に、景之亮は即座に首を横に振った。
「叔父上、どうか私を思ってくれるなら、もうしばらくそっとしておいてください。私は妻と憎み合って別れたわけではないのです。だから……」
 と言って、景之亮は口をつぐんだ。
 宇筑も景之亮を圧倒しようとして伸ばした首を引っ込めた。
「……わかった……。今日は帰ることとしよう。また話をしに来る」
 宇筑はそう言って立ちあがった。
 景之亮は立ち上がって見送ることはしなかった。代わりに丸が立ち上がって、玄関まで見送った。
 景之亮は宇筑の背中が見えなくなると、すぐに右手で顔を覆った。
 宇筑は自分の顔を見て、今日は帰ろうと決めたのだろう。それほど、自分の顔は酷かったのだ。
 景之亮は胸に込み上げるものを必死で抑えた。
 男の泣き顔など、見ていられなかったのだろうな。
 まだ蓮の温もりを、その体の実態をありありと想像できる今、他の女人の話を聞くことなどできない。

 淡々と日々の生活を執り行うこと。
 良くもなく悪くもなく。
 これが今、景之亮が求める生活だった。
 蓮との生活が新鮮で楽しく、幸せだったからあれほどのものを望んではいけないと思い、蓮と出会う前の生活は酷いわけではないが、味気ない日々だったから、あんな生活に戻ってはいけないと思う。蓮が残して行ったこの邸の明るさ、清潔さを最低限保っていたいのだった。
 景之亮の思いとは別に、宇筑は頻繁に訪れた。
 直接的に再婚の話をするわけではないが、景之亮の様子を窺っている。
 知り合いの娘のことを、いつ、切り出そうかと思っているのだ。
 景之亮もそのことがわかっているが、まだ自分の中には蓮がいるため、宇筑が黙っていてくれるのであればそれはありがたかった。
 しかし、宇筑はいつまでも景之亮の感傷に付き合うことはできなくて、蓮と別れて二月経つ頃口を開いた。
「景之亮、どうだろうか、おまえに女人を世話してくれるという人がいるのだ」
 景之亮はとうとう来たか、という気持ちで聞いたが、黙っている。
「お前は若くない……。いたずらに時間を取っていてはだめだ。そろそろ気持ちを切り替えないと」
 宇筑はそういうが、蓮と別れてまだ……二月ほどしか経っていない。
 まだまだ景之亮の心の傷は癒えないが、ではいつになったら癒えるのかと問われると、いつまでともわからない。
 時間は無限ではないのだから、いつまでもこの気持ちを引きずっているわけにはいかない。どこかで踏ん切りをつけて、蓮のことを忘れなくてはいけない。
その踏ん切りがつかず、景之亮は夜、目を瞑った時恋しさが去来して苦しんでいる。
 景之亮は黙って叔父の言葉を聞いていた。まだ早いなどと口を挟むことはしなかった。
 宇筑もそれ以上のことは言わず、その日は帰って行った。

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