木の枝から葉が離れて落ちる。足元に落ちた葉が重なり合って溜まっている。
落ち葉を踏むとサッサッと音がする。
叔父にしては無言が続くため、その音がよく聞こえた。
景之亮は仕事を終えて宮廷から下がったところだ。いつもと違うのは叔父と共に歩いていること。
景之亮が下がる時、宇筑が左近衛府の詰所に現れた。
「叔父上……」
「お前が下がる頃だろうと思ってな。一緒に帰らんか」
景之亮は「はい」と返事をして、宇筑と並んで歩いた。
父を亡くして、その代わりに宮廷に上がることになった時は、叔父と共に出勤し、帰る時も一緒だった。
宮廷ではお手伝い程度の仕事をしたことはあるが、父の代わりとして仕事をするには力不足である。それを補うために、景之亮は毎日肩を並べて帰る途中、宇筑にその日会った人、出来事を話すように言われた。そして、会った人の家柄や出来事の意味を教えられ、次にどのような立ち居振る舞いをするべきかを叩き込まれた。
宇筑の鷹取の家を絶やしてはいけないという強烈な使命感のおかげで、景之亮はどうにか与えられた役をこなし、出世し、岩城実言の目に留まるほどの人物になった。
宮廷の門をくぐって外に出るまでは若いころのように叔父と肩を並べて歩き、昨日今日あったことを話していたが、いつの間にかお互い無言になってしまった。
景之亮は顔を上げて遠くを見た。見える山々は緑から黄や赤に色が変わりつつある。足元の葉は茶色だ。
蓮と離れたのはまだ暑さが盛りの夏だった。そこから時は移った、と景之亮はしみじみと思った。
「景之亮……。景之亮!」
自分を呼ぶ声が聞こえて景之亮は慌てて、隣の宇筑に顔を向けた。
「はい、伯父上」
「少し寄り道をしよう」
そう言って真っすぐ行くところを、右に曲がった。景之亮は叔父がどこに行こうとしているのか、全く見当がつかないが、とりあえず後を着いて行く。
宇筑の足取りに迷いなく、よく知った場所なのだろうと思うが、景之亮にとっては全く関わりのない場所だった。
「何があるのですか?」
景之亮は疑問が深まって思わず口を開いた。
丁度、景之亮が声を掛けた時に、宇筑は目的地に着いた。
「ここだ」
宇筑は顔で場所を示した。
景之亮は宇筑が顔を向けた方を向いた。
そこには景之亮の腰の高さほどの切った竹を適当に地面に立てて、割った竹を横に通して粗紐で結んだ垣があり、その中は筒抜けでよく見える。庭には背の低い木が植えてあり、秋の花が風に揺れていた。
「ここが女人が住んでいる邸だ。……もうお前のことは話している」
宇筑は低い声で言った。
そう言われて、景之亮は叔父が言っていた妻候補の女人の邸はここだと教えられていることに気づいた。
宇筑は体を翻した。景之亮はその後ろをついて、垣に沿って歩いて行った。歩いて行くと垣は塀に代わり、小さな門が見えて来た。
門の外にも内にも人は立っておらず、ひっそりとしている。
宇筑と肩を並べて歩く景之亮は、このあたりはどのような位の者たちが住む地区だったかを考えていた。
身分に囚われているわけではないが、この場所に連れて来られてもどのような家柄なのか、ぴんとは来ておらず、会ったことのある人物の娘ではないと考えたのだった。
門の前を立ち止ることはせず、そのまま通り過ぎた。
荒(あら)良(ら)木(き)という家門だという。
太政官に勤める男の最後の子である蜜という名の娘が景之亮の相手だった。
「身分は高くなくても、長年その職務を務めてこられた方だ」
「そうですか」
景之亮は聞いたこともない家門であるが、それは自分の勉強不足だと思って、叔父の言葉を聞いていた。
叔父を頼らなければ、この先自分で結婚相手を見つけることはできないと思っている。蓮の面影を見ている景之亮には、目の前の女人を見ているようでまだ見えていない。
「場所は教えたぞ。あちらも、先ほど我々の姿を見られたことだろう」
景之亮は驚きの表情を叔父に向けた。
門は静かだったが、内側に人がいたのか……。こちらの姿を見て、品定めをされていたのか。
「あちらは私でいいのですか」
「全て話してある。文句はない。その娘は幼いころは体が弱く、邸に閉じこもって過ごしてきたという。成長して体は丈夫になったようだが、邸の外に出る機会がなかったためか結婚相手が見つからず父親も気を揉んでいたところだ。お前の家柄、位、全てをありがたがっておった」
「私には妻がいたということも」
「そんなことにこだわる者はいない。どんな男でも妻一人なんてことない。まして、お前はその女とはきっぱりと別れているのだからな。……相手の娘は邸の中しか知らない世間知らずだ。父親からお前のことは聞いているだろうが、そんなことまで話すことはないだろう」
景之亮は黙って、邸の前に着いた。
「叔父上、寄って行かないのですか?」
「言いたいことは言ったから帰る。今夜にでも訪ねるのだ。いいか」
最後に宇筑は景之亮に念を押して帰って行った。
今夜……
今夜なんてそんな即行動に移す気持ちにはなれない……。
しかし、邸の前を通ったことを相手もわかっているし、叔父の顔もある。
景之亮は部屋に向かう途中で、侍女の丸に会った。
「どうされました?ご主人様、大変お暗い顔をされて」
「ああ、いや、何でもないよ」
景之亮は否定して、自分の部屋へと入った。
どうしたものか……。陽が沈んでから、あの邸に再び行くか……。
陽が沈むと、丸が夕餉の膳を持って現れた。
円座に座って腕を組んだままの景之亮に丸は怪訝な顔をして近づいて来た。
「どうなさったのですか、ご主人様?怖い顔をされて」
景之亮は顔を上げた。
「いや……何でもない」
「邸に帰って来てから、その言葉ばかり言っておられます」
丸は心底心配そうに景之亮の顔を見上げて言った。
自分が生まれる前から仕えてくれている丸には今の自分の気持ちを打ち明けようかと思ったが、余計な心配を掛けたくなくて押し黙った。
目の前に置かれている膳の箸を取った。
今夜は、無理だ。今日の今日では気持ちが追いつかない。
自分への言い訳を吐いて、景之亮は目の前の料理に箸をつけた。
今日がだめなら、いつがいいのか……。
明日は……明日は行かなければならないだろう。
景之亮は頭の中でそう決めた。
引き延ばして叔父に迷惑が掛かってはいけない。
蓮以外の女人を知らないわけではない。でも、蓮と出会ってしまって、時を共にしたらもう蓮以外の女人のことを考えることはできなかった。この歳になってもう一度、色恋を一からすることなどできるだろうか。蓮とも歳は離れていたが、あの邸にいる娘は蓮よりも若いという。
その娘にとっても、辛いことになるのではないか……。
「ご主人様……もう食事は終わりですか?……何か、味が違いますか?」
自然と渋い顔になっていた景之亮を丸が心配そうに窺っている。
箸が止まってしまって、今日の料理の味がおかしいのかと気になっているのだ。
「いや、そんなことはない。うまいよ」
急いで膳の上のものをかき込み、最後に汁を飲み干した。
景之亮は椀を置くと同時に、言った。
「丸……ありがたいことに叔父上が新しい妻を見つけてきてくれた……」
「まぁ……」
「どうなるかわからんが……叔父を袖にするわけにもいかない……。明日……明日は会いに行こうと思う」
「そうですか……」
「……早いか……早いよな?」
景之亮はたまらず丸に訊ねた。丸だからこそ、聞くことができる質問だった。
蓮と別れて、やっと三か月が経った。できることなら、早いと言って欲しいのだった。
「……ご主人様……遅いも早いもありません」
「……丸……」
「立ち止まってはいけません。待っても誰も現れないでしょうから」
止めを刺さすような丸の言葉に、景之亮はため息をついた。
丸はそれ以上は言わずに、景之亮の前の膳を提げると部屋から出て行った。残された景之亮は一人脇息にもたれて額に手を置いた。
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