【小話】景之亮の結婚 5

小説 STAY(STAY DOLD)

 景之亮は蜜の元から邸に戻ってすぐに横になり、短い時間ではあるが眠って、いつも通りの時刻に目を覚ました。今日は、遅めの出勤のため、褥の上でしばらく考え事をした。
 朝餉の準備ができた丸が簀子縁をばたばたと歩く音が聞こえて、景之亮は体を起こした。丁度、蔀戸を開けるために従者も来たところだった。
「ご主人様、お目覚めでしたか?」
「ああ」
「朝餉をお持ちしていいですか?」
「頼む」
 朝餉の準備をした丸は少し離れたところで景之亮が食べ終わるのを待っている。
「今夜も夕餉は」
「承知しておりますよ」
 丸は景之亮の言葉を最後まで言わせなかった。
 景之亮は気まずい思いで椀の中の粥をかき込み、丸に食べ終わった膳を下げさせた。
 景之亮は息脇に肘をついて、今夜のことを考えた。
 この二日、景之亮と蜜だけでことが進んでいるように見えるが、これは叔父たちに言われて進めている結婚である。裏では親族たちが固唾を飲んで二人を見守っている。
荒良木家では蜜が食事を用意するのに事細かに話をしているはずだから、今夜が三日目の夜だとわかっている。
 まだ、同じ床で寝たわけではないが、三日通ったならば、それは結婚したと言われても仕方のない状況である。
 景之亮は自分にその覚悟ができているかを問うていた。
 蜜という女人に好感を持っているが、それはまだ愛情というものではない。これから一緒にいればいずれそのような気持ちが芽生えればいいが。若い蜜のことを思うと、自分が相手でいいのかという引っかかりが拭いきれない。蜜は親の決めたことと受け入れるしかないという覚悟なのかもしれないが、そんな境涯にしてしまうのが心苦しいのだった。
 また石のように固まって考え込んでいると丸が部屋に入って来た。
「ご主人様、そろそろではありませんか?」
 宮廷の鐘が鳴ってからどれくらい経っただろうか。丸の言う通り、そろそろ宮廷に出仕する時間である。
 景之亮は立ち上がって手早く支度をした。
左近衛府の詰所に到着すると、入り口の扉には大勢の人が集まっていた。
「何かあったのですか?」
 近くにいた同僚に声を掛けた。
「鷹取殿。急に王族のどなたかが外出するそうで、警備のことを話しているところです。退出時間の直後の呼び出しだったために、多くの者が帰るところを呼び止められてこのように集まっているのですよ」
「それであれば、私が行こう」
 景之亮は詰所の中に入って行った。
部屋の奥では机を挟んで、人数の割り当てが考えられていた。
「鷹取殿」
「急な外出があると聞いたが」
「そうなんだ。有馬王子が二番目のお妃と一緒に外出したいとのことだ。急なことで皆に残ってもらって配置を考えているところだ」
「私は遅番だったから今来たところだ。私を加えてくれ」
それから、警備の人員をそろえて、有馬王子の住まう館まで行く。
有馬王子が新しく迎えた妻の藍妃に都の中にある離宮の庭を見せたいと言って、妻と同じ岩城一族出身の母君である碧様にも声を掛けたようだ。王子が妃二人の久しぶりにこの閉ざされた宮中を出てみたいという気持ちに応えたのだろう。
母君が同行することによって規模が大きくなって、警備の人数が必要になった。
  早急に準備は進められ、有馬王子と藍妃、そして王子の母君の碧を乗せた車はゆっくりと大路を南へと向かった。
 離宮では池の中にある四阿で色づいた庭の樹々を眺めながら、急遽宮廷の台所に用意させた料理を夫婦、親子で一緒に食べているのを、景之亮は遠くから鋭い目つきであたりに気を配り、警備していた。
 王宮では自分の傍に多くの人がいることに気後れして、その生活に馴染めないでいた藍妃は、少数の気心の知れた人と散歩をするのは楽しかったようで、日が暮れる間際まで離宮で過ごされた。
 それから来た時と同じように車に乗って帰って行くのだが、途中、母君の車の車輪が道のくぼみにはまってしまって出られなくなった。景之亮たち警備の者や従者は、車輪の下に板を敷いて、押したり引っ張ったりと難儀した。
 ようやく宮廷に帰って来て、詰所に戻ると今夜宿直をする者が集まっていた。景之亮達大勢が詰所に戻って来たので、何事が起ったのかと言う話になった。ひとしきり今日の苦労を話していると、外出の警備をした者に夜食が出ると台所から人が呼びに来て、宿直の者たちと一緒に食堂に向かった。
 景之亮は同僚たちと一緒に食堂で粥をかき込んで、昼間の警備の話の続きに加わった。
 しかし、頭の中は今夜あの女人の元に行くべきか考えている。
 切りの良いところで帰ろうか、それともこのまま同僚ともっと語ろうか。そうなると、今夜、荒良木邸に行くのはいつになるか。
 そんなことを考えながら、景之亮は誰かがそろそろお開きにしようというまで、今日の警護の話から、日頃の仕事の鬱憤、はたまた今の自分の悩み事まで、酒も入っていないのに、話は盛り上がって夜が更けた。
 明日の朝は早いのだった、と誰かが言い出して、急に皆が帰ろうという雰囲気になった。そうなると早いもので皆、さっさと帰って行った。
 景之亮は昼の警護を担当した者の中で、最後に宮廷の門をくぐった。
 今から、自分の邸に戻ってからでは、荒良木邸に着くのは相当遅い時間になる。行くのであれば、ここから直接行かなければならない。
 しかし、再び景之亮の心には逡巡する思いが押し寄せた。
 今夜蜜の元に行くことはお互いにとっていいことなのだろうか。いや、蜜にとっていいことなのかわからない。
 景之亮は蜜のいる荒良木邸へと体を向けた。
 とぼとぼと歩いて、繰り返し、今から蜜を訪ねる理由と訪ねない理由を考えた。
 しかし、結論が出ないまま、気がつけばこの二日間立ち止まって来た柵の前に辿り着いた。
 顔を上げた景之亮は、一昨日、昨日見た様子と全く違うのだ。
 どうしたものか、と考えて、灯りがないからだと思い至った。まだ早い時間に訪れた時は、松明が燃えていて、あたりを照らし、庭の様子が見えた。今は、燃え尽きて炭になった中が紅く燻っているのが見えるだけだ。
 灯りが景之亮の目指すべき場所を教えてくれていたのだ、と改めて感じた。
 邸全体が真っ暗で、皆寝静まっているように思える。景之亮は立ち止って、じっと庭を見つめた。
 蜜も待ちくたびれて、もう眠っているかもしれない。
 景之亮は立ち去ろうと思ったが、蜜の部屋の方に揺れる小さな炎が見えた。
 それを見つけると、景之亮は今夜このまま立ち去ってはいけないような気がした。
 柵に手をかけると、内側に開いて、景之亮は暗い庭の中を歩いて行った。
 蜜の部屋の前の階の上で、ゆらゆらと心もとなく揺れる炎が見えた。
 置かれた油皿は昨日までは、階の下にあったはずだが、今夜は階の上に移動している。
 移動した油皿。小さいがしっかりと火をともしている灯り。
 景之亮は思わず、沓のまま階を上がりかけて慌てて沓を脱いだ。
 蜜がこの部屋の前だけは、景之亮がいつ来てもいいようにと、灯りを切らさないようにして、待っていたに違いない。
 階を踏み鳴らす音に気付いたのか、部屋の中でも床が軋む音がした。
 妻戸の前に立ち、声を掛けた。
「鷹取景之亮だ」
 すぐに妻戸が内側に開き、蜜が目の前に現れた。
「……すまない。今夜はこんな遅くに訪ねてしまって」
 蜜は頷くとすっと身を引いて、景之亮に部屋の中に入るように示した。
 部屋の中に入ると、昨日と同じように席と膳が用意してある。部屋の中を照らす高灯台の油も少なくなって、薄暗い。
「どうぞ、お座りください」
 蜜は言ったが、景之亮はすぐに座れずに、隣に立っている蜜の方を向いた。下を向いていた蜜はいつまでたっても動こうとしない景之亮を不思議に思って、顔を上げた。
「……密殿」
 景之亮が呼びかけると、蜜は一瞬笑い顔になったが、その顔は崩れて目に沸き上がった涙が、目尻からこぼれ落ちた。
 景之亮はその顔を見ると、思わず蜜の肩を抱いた。
 今夜、蜜は自分が来なかったらという不安の中にいたのだ。婚期を逃しつつある自分が景之亮に振られたとしたら、この先の自分はどうなるかと考えていたのだろう。
 蜜のためには来ない方がいいのではないかと思っていたが、この女人の不安を思ったら、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「すまなかった。こんなに遅くなって、あなたを不安にさせてしまった」
 蜜は首を横に振った。それで多くの涙が落ちた。
 景之亮はたまらず人差し指の背で蜜の頬を拭った。
「私……鷹取様に嫌われたと思ったのです。でも、こうして来てくださったから……」
「嫌うなんて、とんでもない。あなたの細やかな気遣いに私は良い気持ちだったよ。私の方があなたに不快な思いをさせていないかと心配していたんだ」
「そんなことはありません!こんな立派な方が私のような世間知らずと話して、退屈な時間を過ごさせたと思っていたのです」
「私は立派などではない。ただ歳を取っているだけだ。体も大きくて髭も濃くみてくれはよくない」
「頼もしい方です。私はあなた様と一緒にいるととても安心します」
 蜜はいつの間にか景之亮の袖を掴んで力強く話していた。
 その眼を見つめながら、景之亮は思った。
 蜜は……。
 大きな目が……蓮に似ている……。
 射干玉の髪は長く艶やかで美しい。蓮の髪も黒くて艶やかだった。
 景之亮は気がつけば、蓮のことを思い出していた。
 何を考えているのだ。
 景之亮は朧な影と目の前の蜜を比べていることに気づいて、心の中で頭を振った。
目の前の蜜の真剣な眼差しをみれば、そんな考えは邪なものでしかない。過去をいくら懐かしんでも、今の自分には何ももたらさない。目の前の真摯な眼差しに対峙し、自分の気持ちを示さなければならない。
「蜜殿……許してくれ」
 景之亮は言うと、腰を屈めて蜜の背中と足に手を回し横抱きに抱き上げた。
「鷹取様!」
 景之亮は驚きの蜜の声を無視して、部屋の奥へと向かった。
 景之亮が座っていた席の後ろには高い几帳が広げられていて、その奥には寝所が設えてあることはわかっている。
 景之亮は褥の上に上がって、座り込んだ。膝に乗せた蜜に言った。
「密殿……私は、あなたよりも随分と年上だ。初めて見た人からは怖がられる見た目である。こんな私であるが、私の妻になってくれるか」
「はい……」
 蜜は小さな声で返事をして、景之亮の胸の中で、広げた腕を景之亮の体にまわして自ら抱きついた。

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