【小話】景之亮の結婚 6

小説 STAY(STAY DOLD)

 三日目の朝、景之亮は帰ることなく、蜜と一緒に朝を迎えた。
 そのまま、蜜の父親と対面して挨拶をした。蜜の父親は、泣き出さんばかりに感激した顔で、景之亮を婿に迎えられる喜びを話した。これで、蜜の家族にも景之亮と蜜の結婚を公にした形になった。
 荒良木邸を去る前に、もう一度蜜の部屋で二人きりになった。
 蜜は恥ずかしそうに下を向いて、一言も話さない。
「密殿」
 景之亮の呼びかけに、蜜は顔を上げた。
「今夜も来てもいいだろうか?」
 そう言うと。
「もちろんです。お待ちしています」
 と返事した。
 不安と安心の入り混じった瞳をじっと見つめて、この人の不安を全て消したいと思った。
 それから景之亮は足繁く蜜の部屋へと通った。蜜の父親を始めとする親族とも親しく付き合い、景之亮は大事にされた。
 最初の結婚と違うのは、蓮の時のようにすぐに蜜を我が邸に入れようとは思わなかったことだ。
 結婚しても大体の男は妻の住む邸に通う。我が邸で共に暮らすとしても、それは随分とあとだ。岩城実言やその息子の実津瀬がすぐに妻を邸に住まわせているのは、世間と比べて少し変わっていると言っていい。
 景之亮も最初は蓮の元に通うつもりであったが、その気持ちはあっさりと変わり、蓮には邸に入ってもらった。しかし、この結婚においては、気持ちが変わることはなかった。
 蜜の住み慣れた部屋に景之亮が通う方がいい。成長と共に丈夫になったとはいえ、体は細くて余分なものは何もついていない蜜の体を、景之亮はことあるごとに気に掛けていた。
 新年を迎えて、景之亮は宮廷行事への出席で忙しく、自分の邸に帰ることもままならない状況だった。だから、せめて荒良木邸に行って、蜜の顔だけは見ては、すぐに宮廷に戻った。
 そんな慌ただしさが過ぎた月半ば、通常の仕事を終えた景之亮はゆっくりと蜜と会える時間ができた。
 景之亮が蜜の部屋に通されると、蜜は脇息に寄りかけていた体を起こしたところだった。
「どうした?気分でも悪いのか……。横になった方が楽なら、すぐに横になろう。私の前だからと言って無理することはない」
「いいえ、大丈夫です」
 蜜は言うが、景之亮は心配で仕方ない。すぐにでも蜜を抱き上げて、奥の部屋に行こうと言おうとした。
 そこに、簀子縁を高らかに打ち鳴らして蜜の部屋に近づいて来る足音が聞こえた。
「景之亮殿!」
 大きな声と共に入って来たのは蜜の父の政美だった。
 景之亮も蜜も勢いよく入って来た政美を一斉に見た。
 急いでここまで来たようで、少し息を整えるのに時間がかかった。
「蜜!もう景之亮殿にはお話したのか?」
 蜜は頭を振って下を向いた。景之亮は何の話だろうと、ポカンとした顔を蜜と政美に交互に向けた。
「景之亮殿……蜜は懐妊したのです」
 満面の笑みで言う政美の言葉に、景之亮はすぐにその意味を理解できなかった。
「医者にも見てもらいました。夏には生まれるとのことです」
 蜜が懐妊……
 ようやくその意味を理解した景之亮は隣に座る蜜に振り向いた。
 蜜はぱっと顔を上げて景之亮を見たが、すぐに下を向いた。
「……ああ、そうなのですか。……蜜……そうか」
 景之亮は言葉にならず、切れ切れに言った。
「景之亮殿、子供が生まれるまで蜜は大事に過ごさせますので、心配はいりませんよ」
 景之亮に話す政美の気持ちは高揚している分、蜜には景之亮の反応が薄く見えた。
 政美は自分がはしゃぎすぎているとわかって、静かになると、後は二人で語るとよい、と言って部屋から出て行った。
 浮足立った足音が、聞こえなくなるまで遠ざかると、景之亮は手を伸ばして、隣にいる蜜の手を握ると、自分も近づいて蜜の体を抱き寄せた。
「景之亮様」
 蜜は頬を景之亮の胸に押しつけられて、苦しそうは声を出した。
「……蜜……こんな気持ちは初めてだ……」
「……どんな気持ちですか?」
「嬉しくて……言葉にならないよ。……同時に怖くもある」
「……怖いって?」
「政美殿もおっしゃっていたが、あなたの体が心配だ。今も気分が優れないのだろう?……それに子供は欲しかったが、いざ親になると思ったら、怖くなった」
「……私の体は大丈夫ですよ。姉を始め、お産を経験した人が何人もいますから、いろいろと教えてくれます。でも、私も景之亮様と同じです。子供みたいな私に赤さまを育てられるかしら、と心配です」
「しかし、何をおいても、こんな喜びはない。嬉しいよ」
「はい!」
 はっきりとした蜜の返事に景之亮は笑顔になった。
 物静かで真面目な蜜と夫婦になったその生活は、穏やかでゆったりとしたものだった。蜜の部屋に通うことも、よい近さだった。仕事で数日訪ずれられず、久しぶりに会うと蜜は細やかな心遣いをして、景之亮の世話をしてくれた。優しくしてくれるものだから、蜜の部屋から数日宮廷に出仕することもあった。
 景之亮は蜜を抱きかかえると、部屋の奥へと向かった。
「景之亮様……」
「横になったらどうだ。気分が悪いのだろう」
 蜜を褥の上に寝かせて、景之亮も添い寝のかっこうになった。
「そんなに心配しなくてもいいのですよ」
「うん。でも、気分が優れない時は遠慮なく横になるのだ。今は、ちょうど私も横になりたかった」
 そう言って、二人は抱き合った。
 横になった蜜は、そのまま眠ってしまって、景之亮はそのあどけない寝顔を見つめた。
 蓮との三年の生活……お互いにあれほど切望した子を得られなかったのに、夫婦となって半年もたたない蜜との間には子ができたという。
 物事はつくづく自分の思い通りにはいかないものだと思った。
 嫌いになって別れたわけではないので、蓮への思いは今も消えることなく心の中にあると自覚している。しかし、夫婦となって数か月であるが、蜜との間には既に固く結ばれた愛情がある。この愛がもっと大きく深く強くなっていく予感がしている。

 
 蜜の懐妊を知った次の日。昨日は、蜜の部屋にそのまま泊まって、宮廷に出仕してから自分の邸に帰って来た直後に、叔父の宇筑が訪ねて来た。
「景之亮、聞いたぞ。蜜殿が懐妊したそうだな。よかった。よかった」
 荒良木政美と繋がりのある叔父にも、すぐに知らせが行ったようだ。よかったと連呼するその声の高揚を聞くと、景之亮よりも、宇筑の方が喜んでいるように見える。
 宇筑はそれだけ言って帰って行った。
 その年の八月、朝方産気づいた蜜のお産は大変だったが、深夜、無事に男児を出産した。
 景之亮は蜜の元に行き、我が子をこの手に抱いた時の喜びは、その後も忘れられなかった。
「蜜……ありがとう……元気な子だ」
 衾の中に手を伸ばしてその手を握り、白い顔の蜜に言った。
「思っていた以上にかわいいです。ふふふ」
 蜜は頷いて、笑顔になった。
 それから時は経ち、景之亮と蜜の息子、亨(とおる)がつかまり立ちから、自ら一歩一歩と歩いては座るを始めた日。
母の膝に座っていた亨は、向かいに座る父に向かって歩き、景之亮が差し出した手につかまった。
「蜜……あなたに無理強いするつもりはないが……」
 景之亮は亨を抱き上げて、自分の膝に乗せると言った。
「私の邸で、亨と一緒に暮らさないか?……それは、あなたにとって住み慣れたこの邸を出るということだ。体が弱くて、邸の外に出る機会もなかったあなたにとっては大変なことだと思うのだが……」
 景之亮は蜜がどのような反応をするのか、怖くもあって、亨の顔からちらりと上目で蜜を見上げた。
「景之亮様!」
 蜜は膝でにじり寄って、景之亮の膝に自分の膝をぶつけた。
「いつ、その提案をしてくれるのかと、待っていました」
 景之亮の膝に乗っている亨は、近づいた母の膝に移ろうと動き出した。
「……待っていたって……私の邸に来てくれるのか?」
「もちろんです。あなた様の傍で亨と一緒に暮らしたいわ」
「あなたは……この邸から出たことはないのだろう……出ようとしたら胸が苦しくなったと言っていたが」
 蜜は自分の膝に来た亨の手を握った。
「ええ。でも、景之亮様に手を引いてもらったら、そんなことは起こらない気がします。私は亨と一緒に景之亮様の元に行きたいのです」
 

 それから、十日ほど後。
 蜜は生まれて初めて、生まれ育った荒良木邸を出る。
 門の前に来ると、隣に立っている夫が差し出した手に手を重ねた。しっかりと握ってくれた大きな手は頼もしい。
 この手を離さずに歩いて行くのだ。
 想像もしていなかった自分の人生の始まり。
 一歩、一歩。
 蜜は門をくぐって外に出た。
 邸の外に出て見上げた空は、雲一つない晴天だ。柔らかな風が吹いて、蜜の髪を巻き上げた。
「大丈夫かい?」
 景之亮の言葉に、蜜は答える代わりにその手を握り返した。

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