Infinity 第三部 Waiting All Night15

小説 Waiting All Night

 その日も、実言は左近衛府の将監として、宮廷の警備の任務についていた。詰所に同僚たちと詰めていると、陽明門から内に入ろうとする貴人を見つけた。すぐに、その人は哀羅王子だと分かった。供を一人も連れておらず、門の前に立っているのだ。
 実言はその姿をしばらく目で追った。門の前の警備兵は、王族の一人であることがわかったのか、深々と頭を垂れてその人を中に入れた。
 哀羅王子は、我は王族だ、とわが身を誇示しようとするわけでもなく、だからといって隠れるように身を小さくするわけでもなく、自然体で悠々と門をくぐられた。
 宮廷内は大王とその妃、御子たちの住居と、政務を取り仕切る場所があり、政務の場所には各省庁の館があり、その省庁の長から末端の役人までが働いている。
 そのような場所で、大王の住居の中に、特別な館を与えられて住まうことを許されている人がいる。それが大王の弟宮である春日王子だ。春日王子は宮廷の近くにも自身の大きな邸を持っているが、半々の割合で二つの邸を自由に行き来している。
 実言と礼が後宮の碧妃の館を訪れた時に、不意に後宮の各館をつなぐ渡殿で哀羅王子に会ったのは、宮廷内の春日王子の館に行く途中だったのだと、あとで冷静に考えると思い当たった。
 春日王子は後見役として、十五年も長い間、都を離れていた哀羅王子をどちらかの邸に呼んでは、王族、宮廷のしきたりや習慣を教えているようだ。
 実言は書類の作成をしたり、警備の打ち合わせをしたりと時間を過ごしたが、哀羅王子が同じ陽明門を通って外に出た様子はなかった。
 まだ宮廷内にいらっしゃるかもしれない。
 実言は哀羅王子と二人きりで話をしたかった。十五年前のあの日、急に哀羅王子と会えなくなった謎を解き明かし、十五年の空白の歳月を埋めて、再びその友情を復活させたかった。実言にとって少年時代の哀羅王子との交流は何物にも代えがたいものだからだ。
 休憩時間に、実言は厠に行くような素振りをして、後宮の館が並ぶ区域に向かった。渡殿の要所要所に見張りの番人を立たせているが、庭は割りに自由に行き来できた。実言はすきを見て、後宮の庭へと入り込み、春日王子が与えられている館につながる渡殿を監視した。しばらくして、春日王子の館から出てくる哀羅王子を見つけることができた。
 哀羅王子の姿を見送った直後に、その渡殿を王子とは逆に春日王子の館に向かう人の姿が見えた。それは女人で、実言の知った人であった。
 あれは、朔ではないか?
 ひときわ目を引く美人が侍女を一人連れて、そそくさと春日王子の館につながる渡殿を渡っている。
 なぜ、朔が春日王子と?
 実言は疑問に思った。王族と臣下との対立が鮮明になりつつある今、椎葉家は王族中心の政を支持していただろうか?そうだから、椎葉家は妻である朔を春日王子との連絡役としてその館に向かわせているのであろうか?
 実言は考えを巡らせたが、すぐに答えは出ない。その答えを見つけるのはまた後でいいと、今は哀羅王子を追った。
 哀羅王子はゆっくりとした足取りで進んできた経路を戻っている。後宮の並ぶ区域を抜けて、宮廷に仕える女官たちに与えられた部屋が並ぶ棟の前の簀子縁を進んでいたが、急に立ち止まって。足先を変えて近くの階を降りた。下に着くと、胸に入れていた沓を出して履くと、庭の中へと入って行った。
 実言は樹の陰に隠れて哀羅王子を追っていたが、急に庭に降りてこられて少々驚いた。しかし、これは好機と実言は王子との距離を詰めるために、気づかれないように樹から樹へと身を移しながら進んだ。
 この庭を横切って進むことは建物の中を進むより早く陽明門にたどり着くので、この経路を取ったのだと分かった。

 哀羅王子は低い橘の樹が何本も植わっている場所を進んでいると。
「哀羅王子」
 不意に名を呼ばれて、後方の声のするほうを振り向いた。 
「誰だ!」
 哀羅王子の後ろの橘の陰から一人の男が姿を現した。
「岩城実言でございます」
 哀羅王子は強張った表情のまま、すぐに厳しい声で問うた。
「何用だ!このようなところで呼び止めるなどと」
 実言は哀羅王子の前に進み出て、片膝をついて控えた。哀羅王子の実言を見下ろす視線は冷たい。
「このようなご無礼をお許しください。どうしても、哀羅王子とお話をしたくて、姿をお見かけしたので声をかけました」
 実言は身を低くして、はっきりと力強く話す。
 それは、少年の日々に兄のように慕っていた哀羅王子との突然の別れの謎を解くために、過ぎた年月の長さに気後れしたり、卑屈になったりしないためだった。自分にはやましいことはなく胸襟を開いて話しあい、十五年前に何かの行き違いや誤解があるならそれを正して、本来あるべき二人の姿に戻りたかった。
 先代の大王の弟宮に当たる哀羅王子の父、渡利王は自分の健康状態を冷静に判断し、死がそれほど遠くないことを悟られて、残す妻子を心配された。特に、一人息子である哀羅王子は、さもすれば権力争いに巻き込まれて、その身を危うくするのではないかと、真に案じられた。そしてその心配には同じ王族ではなく、同窓である臣下の岩城園栄を頼られた。病床に園栄を呼び、自分が身罷った後は、どうか哀羅王子を頼むと園栄の手を取っておっしゃった。園栄は、渡利王は回復すると励ましながらも、哀羅王子の将来の後見を約束された。
 それから夏の暑い中、日に日に衰弱された渡利王は身罷れた。
 渡利王との約束を守るために園栄が行ったことは、哀羅王子を直接守るために傍に遣わす従者として、一歳違いの三男の実言を引き合わせた。園栄は、実言に哀羅王子の傍に仕える意味をよくよく話して聞かせた。ただ、哀羅王子の傍で学友になるのではないということを。実言も、自分がなぜ王子の傍に仕えるのかを理解していたが、打算や臣下としての務め以上に哀羅王子との友情が育って、実の兄弟のようにその気持ちは通いあった。
 それが、ある日、突如として断絶した理由がはっきりしないまま、月日が流れたが、こうして哀羅王子と再会することができた今、実言は解明しないわけにはいかなかった。
「王子、どうか、私にお話しをする時間をください。私たちが会えなくなったあの日に何があったのか、私は知りたいのです」
「何があっただと……。さあ、何があっただろうか。むかーしむかしのことで、どうであったかすぐには思い出せぬな」
 王子は明後日の方向を向いて、呟いた。
「しかし、お前の言うことは綺麗ごとばかりだな。それほどに私との別れを悲しんでくれていたのなら、お前が私を探し出してくれたらいいものを。こうして、私が出てきたらすり寄ってくるようなその態度を信じると思うのか。お前のその態度は気に入らぬ。お前に、わからせてやろう。全てを無くして、一人絶望の中で過ごした私の十五年の日々をな。じっくりと、教えてやる。……消えてくれ。今、お前と話すことはない」
 そう言っても、実言は身を起こして去る様子を見せないため、哀羅王子は自ら実言に背を向けて、門に向かった。実言は哀羅王子の気配が遠ざかるのを地面を見つめて感じていた。
 王子のおっしゃることはもっともである。
 お前が私を探し出してくれたらいいものを。
 それは王子の本心であっただろう。そして、実言もなぜ自分が王子を探さなかったのかと、問われたら言い訳しかできない。だからといって、その前を立ち去ることもできず、跪いたままでいるしかなかった。

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