Infinity 第三部 Waiting All Night18

夏 小説 Waiting All Night

 からっと晴れた空と同じで、今日は実言と礼にとっては晴れがましい日になった。以前から建設していた実言の邸が完成し、今日はそのお披露目の日なのだ。
 季節は夏から秋へと変わる時に、木の香が芳しい新居に実言の父の園栄はもちろん、兄弟やその子供たち、また礼の実家である真皿尾家から礼の兄たち、宮廷の主だった貴族たち、実言の仕事の上司や同僚たちなどたくさんの人々を招待した。大広間には男たちの席が設けられて、その前に皿に乗ったご馳走が所せましと並べられた。酒の入った銚子は空になればすぐに追加のものが届けられた。食事とおしゃべりのあいまに管弦や舞を披露して人の目を楽しませ、退屈のない宴会である。
 大広間の男たちはあらかた酒がまわって、気分よくなり岩城家が呼んだ楽団の笛や太鼓の音に踊りだす者が現れた。それをはやし立てる者がいて、大きな笑い声が起こり騒がしかった。
 そのような男たちから隠れるように、女性と子供たちは違う部屋に集まって食事を取って、おしゃべりをして過ごしていた。
 礼は邸の女主人として、招いた女性や子供たちに不都合はないかと気を配ばり、我が子が本家から来たいとこたちと遊ぶ姿を簀子縁から見守っていた。
 礼は大広間の様子を下ろした御簾越しに眺めた。夫は部屋の中央で、目上の人々に囲まれて話しをしている。細めた目が下がって、微笑んでいる。何か政の役割で発破でもかけられているのかもしれない。次に台所に行くと信頼のおける侍女たちと本家から手伝いに来ている古参の侍女たちが取り仕切っていて、酒や料理を途切れることなく運ばれているので、礼の出る幕はなかった。
 邸の建設中から今日の日の準備をしてきた礼は、会う人、すれ違う人と交わす挨拶や笑顔に安堵する思いだった。
 簀子縁を歩いて子供たちがいる部屋に戻ろうとしたところ。
「礼!」
 後ろから声をかけられて、その声で誰だかわかっていたが、礼は振り向いてその人の姿を確認した。思った通りの人だったと、笑顔になった。 
「麻奈見!」
 麻奈見はゆっくり礼の前まで歩み寄った。
「久しぶりだね。随分と会っていない」
「ええ、どれくらいぶりかしら?でも、実言とは会っているのでしょう?実言からあなたのことを聞くわ」
 麻奈見は古くから宮廷の音楽、芸能を担う家柄の嫡男で、笛と舞の名手である。そして、礼とは幼い時からの友人である。
「それより、今日はこのような席にお招きいただき、ありがとうございます」
 麻奈見はかしこまって挨拶をした。
「やめてちょうだい。そんな堅苦しい挨拶は私たちには必要ないでしょう。少し前に大広間から素晴らしい笛の音が聴こえてきたわ。あなたが吹いてくれていたのでしょう。実言に無理を言われたのではない?大切なお客さまに、演奏をお願いするなんて」
「違うよ。周りの方々にお願いされたのさ。実言と礼は特別な友だから、私も披露したかったのさ。二人の晴れがましい日にお祝いの演奏できるのは嬉しいことだよ」
「あなたの演奏に、別室にいた私たちはうっとりと聴き入っていたのよ。麻奈見には私たちの節目節目に美しい笛の音を聴かせてもらっているわね。数年前の月の宴で会った時も」
「ああ、そうだね。そう言ってもらえると、嬉しいよ」
 礼と朝奈見が立ち話しをしていると、礼の背中にかわいらしい声が飛びかかった。
「お母さま!見つけた!」
 礼は振り向くと、蓮が簀子縁の角を曲がってこちらに走ってくるところだった。お母様の姿を見つけたことが嬉しくて満面の笑みで駆け寄ってきた。遅れて、兄の実津瀬も同じように走ってきた。
「お母さま!」
 二人の子供は母の元に来てその足にすがりついた。
 簀子縁は人の行き来が多くなったので、礼は子供たちの手を引いてすぐ横の庇の中に入ったので、麻奈見もそれに倣った。
「この子達が君たち二人の子供たちだね」
 麻奈見は足元で元気に腕を振って動き回っている子供たちに目を細めた。
「ええ。この男の子が実津瀬。そして、こちらの女の子が蓮というのよ」
 礼と麻奈見はしばらく話をするつもりで部屋の隅に座った。子供たちは母親の両脇に座って、知らない男を見上げている。
「まったく!本当に二人は実言によく似ているね。自分の生き写しのような我が子を実言は目の中に入れても痛くないほどにかわいがっているだろう」
麻奈見は声を上げて、微笑んだ。
「ええ、とてもかわいがっているわ。この子たちもよくなついて、親子でよく遊んでいるのよ」 
 礼と麻奈見は最近のお互いの近況を話して、それが麻奈見も知っている礼の兄の話に飛んでと、思いつくままに広がった。
退屈した実津瀬と蓮は母親の身に着けている裳を引っ張ったりして、その場を持て余し始めた。
 蓮が礼の正面に座って、その膝に頭を載せて、額をこすりつける。実津瀬も妹と同じように礼の右腿に頭を載せて、すぐそばにある妹の頭を撫で始めた。
「どうしたんだい。二人とも退屈そうだ」
「眠いのよ。今日は本家からいとこたちがたくさん来ていて、楽しく遊んでもらったから、今は疲れてちゃったみたい」
 礼は二人の背中をトントンと優しくたたいたり撫でたりすると、蓮がむずがって癇癪を起しそうな声を上げる。
 麻奈見は懐から笛を出して、唇に当てると心地よい音は発した。蓮はその音に反応して、母の膝から頭を上げて後ろに座って笛を持っている男をちらっと見た。麻奈見はその反応を確認すると、今度はゆっくりと長く演奏を続けた。
 蓮はむずがって額を礼の膝にこすりつけているが、笛の調べにゆっくりと目が閉じていく。目を閉じていけないというように、開けては閉じ開けては閉じしたが、抗いきれずに最後には目を閉じた。実津瀬はもうとろんとした目がゆっくりと瞑って、笛の音が心地よいのか笑い顔で眠ってしまった。
「あなたの笛の音はやはり天下一品ね。ぐずる子もこうして眠らせてしまったわ」
 礼が眠った子を起こすまいとささやき声で言うと、麻奈見は笑顔になって、笛を奏でるのをやめた。しばらく様子をみていても、子供たちが目を開けることはない。礼は規則的に背中をさすってやるのはやめずに、二人が安心して眠っている顔を眺めた。
 そしてふっと顔を上げると、礼は麻奈見に見つめられていた。
 目が合った麻奈見は驚いて、しどろもどろに言葉を発した。
「ああ……君が母親になった姿を見るのは初めてだから興味深くてね」
 礼は微笑んだだけで、再び双子に目を移した。
 麻奈見にとって、礼は幼いころからの友であるが、だからと言って女として意識したことがないわけではない。いや、本心を言ってしまえば、淡い恋をしていた。人の妻になっても、人の親になっても今も麻奈見にとってはかわいらしい人である。それは変わらない。自分の生まれた家柄を考えると礼と男女の仲になれるとは思わない。自分は遠くから礼を見守り、助けられることがあればいつでも手を差し伸べられる人でありたいと思っている。それがもう十数年来の仲になる麻奈見のかわいらしい人への愛だった。
礼は膝や太腿にべったりと頬を押し付けてすやすやと眠る二人を見た後、麻奈見と視線を交わして微笑みあった。
「ああ、こんなところにいたのか、麻奈見!探したよ」
 不意に大きな声がして、二人は簀子縁の方を見た。巻き上げた御簾を身を低くしてくぐり、実言が現れた。礼は一本立てた指を口の前に持ってきて、夫に静かにするように知らせた。
「実言」
 麻奈見は少し腰を浮かせたのを、実言は制して自分も麻奈見の前に座った。
「あなた、大広間の方は」
「父上が取り仕切っているよ。それで、私たち若輩者は若輩者で集まろうということになってね。麻奈見を探していたところさ。先ほどは、周りの客人があなたの笛をせがんでしまって申し訳なかった。麻奈見もひとりの客人だというのに」
「いやいや。私が贈れるものはこのような音楽や舞しかないからね。こんな立派な邸の完成に、私の笛が華を添えられるのならこんな嬉しいことはないよ」
「私も、先ほどお礼を言ったところです。私たちも別の部屋にいたけれど、雑談をしていた人たちが静まって、皆聞き入っていました」
「そんなに褒めていただいて、光栄だな」
 麻奈見は褒められたことがくすぐったく、うつむいて照れ笑いをした。
「ああ、この子達はどうしたものかね。こうもばったりと眠ってしまって」
 礼の膝に顔を押し付けて寝ている双子のかわいらしい姿に、実言は言った言葉とは反対に相好を崩した。
「今日は、本家から来た子供たちとたくさん遊んだから疲れたのよ。眠たいのに眠れなくてぐずっていたところを、麻奈見の笛で眠らせてもらったところよ」
「そうか、この子達もその音の心地よさはわかるのだな。泣く子も黙る麻奈見の笛だな」
 実言は礼の膝の前で丸まっている蓮の体を下から手を入れて抱き上げた。離れて控えていた乳母たちが近寄ってきて、蓮を受け取った。礼は実津瀬を同じように抱き上げた。
「では、麻奈見、あちらへ行こう。皆、待っているから」
 実言は麻奈見を促して立ち上がった。連れだって庇の間を出るときに、実言はちらりと後ろを見やって礼に流し目を送った。礼はめっきり重くなった実津瀬を両腕に抱えながらも、同じように実言へ振り向いてその視線を受け取った。
実言の心は、麻奈見の前で少し礼をないがしろにした態度だったかもしれないが、客人である麻奈見を一番に思ってのことだと、妻にはわかってほしいと思ったのだ。
 礼も、実言が麻奈見との会話に終始したからといって、機嫌を損ねるわけはない。今日は宴の主催者として客人をもてなす役割がある。礼と二人きりのように話していくわけにはいかない。しかし、実言は愛しい妻のことも気になって、艶っぽい視線を送ったら、相手も同じで互いに視線を絡めて心を通わせたのだった。

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