Infinity 第三部 Waiting All Night24

桜 小説 Waiting All Night

 碧妃が実家に下がる前日とあって、本家は準備に忙しく、実言の邸からも人を何人か手伝いに行かせて、実言邸はいつもより静かである。そこへ礼が帰ってきて、子供たちは嬉しそうに近寄ってきた。
 礼は子供たちを待たせて、着ていたものを全て着替えた。その時も、自分の左胸に着けられた赤い痕を見て、気が遠くなった。それでも、隣の部屋から子供たちの声が聞こえてきて、礼は笑顔を作って子供たちの前に出て行った。部屋で少し相手をしてやって、そのまま子供部屋で子供たちを寝付かせていると、侍女の澪が実言の伝言を持ってきた。
 碧様が明日、本家に下がられる準備が終わらないので今夜は本家に泊まるというものだった。
 礼は心の中で安堵した。昼間の哀羅王子との出来事の後、どんな顔をして実言に会えばいいのかわからなかったのだ。子供たちの寝顔を見ていると、自然と落ちついてそのまま礼は子供たちの部屋で眠りに落ちた。 
 翌日、礼は湯浴みをした。急に用意を命じたので、侍女は不思議がっているようだった。
 それから一日、薬草園の手入れと薬草づくり、そして子供たちの相手をして、務めていつも通りに過ごした。今日は碧様が本家に下がられたばかりだから、今夜も実言は本家に泊まるかもしれない。むしろ、そうして欲しかった。
 しかし、子供たちが寝た頃に実言は帰ってきた。
 礼は着替えの手伝いをして、実言はくつろいだ格好になってから、少し食事をした。礼は横に座って、杯に酒をついた。
「今夜もてっきり本家にお泊りかと思いました」
「昨日宿直をしたからね。本家には兄や弟たちもいるから、今日は帰ってきたよ」
「碧様のご様子はどうでした?」
「やはり、後宮より気分は楽なのであろう。用意した食事をおいしそうに食べていた。有馬王子も、本家が珍しいのか庭を走り回って遊ばれていたよ。本当に愛くるしい王子だ」
 礼は碧妃の様子を訊いて安心し微笑んだ。
 実言は杯に残った酒を飲み干すと言った。
「さあ、もうやすもうか。私は少し疲れたよ。横になりたいな」
「ああ、あなたは先にお休みくださいませ」
「どうしたの?」
「昼間に薬草作りをして、きつい臭いが染みついてしまったわ。あなたの傍で臭ったでしょう?あなたの眠りを邪魔してしまうかもしれないわ」
「薬草の匂いなんていつものことだよ。確かに今日はいつもより強くするが、私にとっては日常の匂いさ。こうして二人でいるのに、一緒に寝ないなんてことがあるものか」
 礼はそれ以上は言わずに、実言とともに寝室に入った。
 実言は怪訝に思っただろうか……礼は、俯いて実言の隣に座った。
 実言はすぐに褥の上に横になり、疲れた手足を伸ばしている。いつも寝室は一番安心していられる場所と言っている通り、今も気持ちよさそうに目をつむっている。
 礼は、横に座ったままそのような実言を見ていた。
「礼」
 実言が膝に置いた礼の手首を取って引っ張った。礼は、力なく実言の胸に倒れこんだ。
「体の具合でも悪いの?」
 実言の右腕の中に収まった礼は、力なく首を振った。
「少し疲れたとは言ったが、お前が欲しいよ。愛したい」
 実言は囁いて、礼の左頬に口づけた。それは久しぶりに実言と交わる夜だった。甘美な溜息が実言の口から次いで出た。
 秋の深まりに少し気温が低くなってきたので、礼が羽織っている早世した兄の形見の上着の中に実言は手を入れて腰の帯をさぐって簡単に解いた。
 実言の左手が単の右側の襟を持って、そっと広げるとその手は中に入って、礼の体を直に触った。冷たい手が礼の体で暖まっていく。
 実言は礼の左側の襟に手をかけると、礼がその襟を握って離さない。
「礼?」
 実言が顔を上げると、礼の右目から涙が一筋流れ落ちた。
「どうしたんだい。本当にどこか体が悪いんじゃないのか」
 礼は、激しく首を振ったが、言葉はなかった。言葉を発しようとすると泣き声になって、きっと言葉にはならない。
 礼は体を反転させて、実言に背中を向けた。
 実言は礼を抱き起して、自分の方を向かせた。礼は両手で顔を覆って、むせび泣いている。
「何があったと言うのだ。礼、黙っていてはわからないよ。どうか、話しておくれ」
 そう実言が言っても、礼は口を引き結んでいる。礼の左手がずっとその襟をつかんでいるのが、何かの手がかりなのか、実言は礼の左手を取った。礼は無言でその手が襟を離すのを拒んだが、実言が礼の指一本一本を襟から引き離すと、礼は泣き声を漏らした。やはり、そこに何かがあるのだ。
 実言は、何が隠れてるのか恐る恐る左襟を押し広げた。
 そこには礼の白い左乳房がある。張った乳房の真ん中に薄く色づいた乳首があるが、そのすぐそばに真新しく痛々しい赤い傷があった。
 実言は一目で歯形と分かった。誰かが嚙みついてつけたものである。
 それはたった一日経っただけでは消える傷ではなかった。
「礼……これは」
 実言は礼へ向くと、礼は両手で顔を覆った。
「ごめんなさい、あなた……」
 そういうのが精一杯である。
「後宮」
 実言は考えを巡らせた。こんなことが起こる場所は後宮しかないのだ。あれほど注意していても、気の緩みやほころびが出て、二度と同じ目に合わせないと誓ったこともこうして起こってしまうのだ。
「……春日王子」
 実言の言葉に、礼はゆっくりと首を振った。
「……春日王子ではないのか?」
 と言って、実言は悲しそうな顔をした。
「……哀羅様……」
 礼は否定しない。じっと、顔を覆って黙っている。
「哀羅様なんだな」
 はっきりと強い口調で実言が問い詰めるように言った。礼は声を出して泣いた。
 実言は思いだす。宮廷内で哀羅王子を追いかけて行き会話した時のことを。どうか、あの別れた時の誤解をはっきりさせたいという思いから追いかけたが、実言の思いを受け入れてはもらえなかった。逆に、王子から呪詛のような言葉を投げかけられた。その言葉の表れが我が妻へのこの仕打ちなのだ。
「礼、すまない。私のせいだ。お前をこんな目に合わせたのは私だ」
 礼は、実言の言葉にそうではないと首を激しく振ったが、実言が引き寄せて抱いたので、その頭を肩に乗ってじっとした。実言の手が何度も礼の頭を撫でる。
「苦しませたね。こんな目には二度と合わせないと誓ったのに、私はダメな男だ。礼、すまない。許してくれなんて軽々しく言えない」
 実言はそういって詫びた。礼は、男が放すまでその腕の中で泣いた。
 それは、礼にとっては忌まわしい感覚であった。哀羅王子の舌先が、すうっと自分の首筋から胸へと移動した。チュッという音がして、王子が胸を吸っているのがわかったが、どうすることもできなかった。王子は礼の腕を押さえて、礼に抵抗させないようにしていたのだ。礼は自分の体がどうされてしまうのか考えると恐怖した。裳は膝までずり下がって、足には王子の体が乗っており自由が利かず、王子の手だけが自由に礼の腰や太腿をまさぐっている。王子はこのままここで礼を凌辱するつもりだろうか。礼は身を固くして、耐えた。左胸を強く吸われて、それが痛くて呻きそうになった。その後、吸われる力が弱まったと思ったら、歯を立てられて噛まれた。礼はたまらず、その痛みに耐えられなくて背を反らせた。礼の痛がる姿を愉しむかのように王子は立てた歯に力を込めた。礼はたまらず声を出してしまった。
 その時、淑と里の侍女二人が礼を探す呼びかけがったおかげで、難を逃れたのだ。
「礼、哀羅王子は、私を苦しめたいだけなのだ。あの方の標的は私だ。私を苦しめたいために、私の大事な人を痛めつけて、間接的に私を苛みたいのだ。後宮に出入りしているお前を見つけて、私を苦しめるためにお前にこのようなことをされたのであろう。お前を深く傷つけたのはこの私だ」
 礼の右目を見つめて実言は言った。
「お前を苦しめているのは私だ」
 礼は右目から涙がこぼれ落ちた。
「王子はお前を……」
 そのあとの言葉を実言は濁した。
 俯いていた礼は顔を上げて実言に訴えた。
「いいえ、淑と里が私を探してくれて、王子は去られました。この傷をつけられただけよ」
 実言はそれを聞いて安心したのか、礼を再び深く抱いた。
「あなたと一緒に哀羅王子にお会いした後、哀羅王子と後宮で二度会いました。いずれも、私が不用意に一人で簀子縁に立っていたのよ。二度目は碧様が本家に下がられる前日に淑の部屋を訪れて、一人きりになってしまった時に、哀羅王子がどちらかの館に渡られる途中で私を見咎められたのです。そして王子は私を庇の間にお誘いになった。あなたが、王子を敬愛していることをお伝えしたくて、庇の間でお話したのです。そうしたら、王子は、あなたが王子を慕っている証に、望みを叶えてくれないかとおっしゃられて、私を妻に譲ってくれないかと。それがだめなら、共有したいと……。私は今まであなたに、哀羅王子にお会いしたことを言えませんでした。あなたが、後宮で私一人にならないようにとあれほど注意しろと言っていたのに私が迂闊だったの。私がいけないのです」
「礼!……礼!」
 実言は礼を強く抱きしめて言った。
「この傷が私たちを引き裂く出来事になるなどと考えられるだろうか。お前は私の唯一の妻なのだから、私たちにどのような苦難が訪れようとも、私たちの絆を別つことはできない。お前がどう穢されようともお前は私の妻に代わりない」
 実言はそう言って、礼の頬に自分のそれをすり合わせた。
「いつも、お前は私の盾になり、矛になり私を守ってくれるね。私はお前に何をしてやっているだろうか」
 実言は礼への懺悔を静かに呟くように言った。それが、礼の心により刺さった。
 何を言っているのだろう、実言は。と礼は思った。
左目を失い、人並みの女人の幸せは望めないと思っていたのに、この男の許婚になり、医術を学ぶことができ、妻になり、母になった。この男に選ばれたからこそ思いもよらない幸せな日々を送っているのに。
 そう思うと、この男を失いたくなくて、礼は実言に腕の中の手で実言の寝衣の裾を引っ張るように握った。
 実言は礼から顔を離し、抱きしめていたその身を起こして、正対した。自分の腰の帯を引っ張って解き始めた。礼はその様子を見て、驚いて実言の顔を見ると、実言は目を細めて笑っている。不思議そうな顔をしていると、実言は礼の寝衣の襟をもって、後ろに引き肩口を滑らせて兄の形見の上着もろとも脱がせた。
 礼は白い裸身を仄暗い寝室の中に晒した。実言は礼を引き寄せて、礼の左目の眼帯を取ると、自分の膝の上にあげて、顔を近づけて見つめた。
 不意に実言は礼に口づけた。驚いて頭を後ろに倒そうとした礼の体を捕まえて、強く押し付ける。
 礼は力が抜けて、ゆっくりと吸われると自然と唇が開き、実言の舌が入ってきて深く接吻した。
 すると脳裏にふっと、哀羅王子との接吻を思い出す。自分が望んだことではないと言っても、この男に対しての裏切りである。この身をどうか罰してほしいと思うのであった。
「お前のこの唇も、この身体も私のものだから、どのように穢されたとしても引き離せるものではないよ。こうしてね」
 といって、実言は腕の中を窄めて礼の体をきつく抱いた。より距離の近づいた二人は、額を合わせて何かを念じるようにじっと目を閉じたままだった。しばらくして実言は礼をそのまま後ろに押し倒した。礼を見下ろす姿勢で、礼の痛々しい左胸を見ていたが、すぐに実言は自分の寝衣を脱いで裸になり、礼に覆いかぶさった。礼の背中に回していた左手はするすると下に降りて腰から尻を撫でて、太腿の外側を滑って膝裏を掴み、礼の膝頭を高く上向かせた。
「日が経てば、この傷も消えてなくなる。お前の苦しみも日を経て消えてほしいよ。そのためだったら、私は何でもする。毎日でも礼を抱いて寝るよ」
 礼は実言の顔を見上げた。実言の顔はやはり苦しそうに見える。
「だけど、どこの誰が何と言おうと、もう礼を後宮にはやらない」
 そういって、実言は礼の左目に口づけた。
 それからしばらくして、礼の立った膝頭はゆっくりと上下に揺れて、礼は甘い吐息を漏らした。

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