Infinity 第三部 Waiting All Night35

梅 小説 Waiting All Night

 一月も終わる頃、夜明け前に碧妃は産気づいた。準備は万端で、一日ほどかかったが碧妃は無事に出産した。
 生まれてきた御子は女児であった。王女の誕生に岩城本家は歓喜した。岩城園栄はすぐさま王宮へと使者を走らせた。
 産湯につかった後、真っ白な産着にくるまれた御子は、母君の元へと連れてこられた。碧妃は産後の疲れはあったが、薄っすらと目を開けて眩しいほどの輝きに縁取られた生まれたての小さな命に安心して、再び目を閉じた。
 大王は王女誕生の知らせをたいそう喜ばれた。ご自身の体の快復と共に新たな命の誕生にさらに大王としての役目に邁進されることを誓われた。
 大王から岩城本家に王女への祝いの品が届けられた。その行列は、先頭が三条の岩城本家に到着しても、最後尾はまだ王宮を出ていないほど長いもので、大王の喜びを表していると言えた。
 日が経つと、大王は生まれた王女を早くこの腕に抱きたいと、碧妃に後宮に戻るように使者を送っておっしゃっている。碧妃も懐妊が後宮内に広まって他の妃の侍女たちから酷い仕打ちを受けることを恐れ、悩み、早く実家に戻ってしまった。幸い、産後の経過も良いので、長く離れてしまった後宮に早く戻り、大王に王女を見せたいと思うようになった。
 碧妃が早く後宮に戻ると決断した理由の一つが、大后ができる限りの手助けをすると伝えられたことがあった。大后以外の妃は後宮に入れば皆同じである。それが、御子を二人も授かったとなれば、妃の中で一つ抜き出た扱いになる。それは、他の妃の嫉妬の的になり、苦労するであろう碧妃を思いやって早々に大后が内々に手紙をくださった。
 碧妃にとっては心強く、後宮に戻りやすくなった。
 季節は梅の花が香り始めたころ、岩城本家は碧妃の後宮へ戻る準備を始めた。
 大王からは王女のために後宮の部屋は整えているから、早く戻っておいでと毎日のように優しい手紙が届いた。
 花の季節は梅から桃へと移るころ、碧妃は王宮から来た使者とともに後宮へと戻った。随分と長い間、岩城本家で過ごされた有馬王子は、本家を離れるのを嫌がって諭すのに苦労した。そのいやいやする姿はかわいらしく、また皆も王子と別れるのが寂しかった。
「有馬王子、またお会いしましょうね」
 園栄の妻が小さな王子の前に跪いて言った。
 本家の岩城一族は皆簀子縁に出てきて碧妃と有馬王子、生まれたばかりの姫君を一目見ようとした。簀子縁に収まりきらず押し合いへし合いして、庇の間に何重にも人が連なり、部屋から簀子縁へと出てきた碧妃一行の様子を感じようとした。家人や侍女たち下っ端の者たちは庭から出てその賑やかな、華やかな大王の妃の出立の様子を見ようとした。
 碧妃は煌びやかな長い長い行列を率いて後宮へと帰って行った。

 本家で一族とともに碧妃一行を見送った実言は五条の邸に戻ってきて、夫婦の居間に座った。礼は、実言から受け取った上着を衣桁にかけると向いに座った。
「とても華やかな行列だったよ。姫君も碧妃の腕の中でよくお休みだった。姫君にばかり妃の関心が行ってしまって、有馬王子は少し不服のご様子だったよ。しかし、妹君がかわいいらしくて、泣いていると傍に行っては撫でておいでだった。やはり兄弟はいいものだね。……礼、お前には、その、何か予兆はないのかな。私は……実津瀬と蓮にも兄弟を作ってやりたいのだ」
 礼は、少し戸惑い下を向いた。
「何も無理なことをさせようと言うのではないよ。私たちが、思い合っていればそれは自然と叶うというものだろうからね」
 と、実言は礼の手を取って握った。礼が頷くと、実言は礼の手を引き寄せて指先に口づけて笑顔を見せた。
 ちょうど、そこへ昼寝から目を覚ました双子が長い簀子縁を踏み鳴らして両親の居間に駆けこんできた。
 年が明けて五つになった双子は、ますます活発になった。男女という性の別があるので、顔は似ていても、見せる表情は全く違っており、成長とともに現れる喜怒哀楽が、礼も実言も嬉しくあり、面白くもあった。
 妹の蓮は気が強くて我慢しない。何かあれば前に出て行って、自分の気持ちを率直に言ってしまう子である。それが、道理にかなっているか否かは二の次で、自分の思った感情に突っ走っていくようなところがある。そこには道理も何もないので、相手に言い返されて息詰まると、兄の実津瀬に助けを求めるように走って行って、背中に隠れてしまうのだ。実津瀬は大人しい性格だが、静かにしていて周りをよく見ている。妹の性格もよく見ていて、何を思っているのかも理解しているようで、困った蓮とその相手の間にやんわりと入って、仲を取り持っている優しい子だった。二人は仲が良く、いつも一緒だ。
 二人が声を上げながら先を競って庇の間に飛び込んできた。
「こら!二人とも、静かに。騒々しいわよ」
 庇の間に迎えに出た母親に、たしなめられて二人は急速に立ち止まった。蓮は怒られそうになったので、実津瀬の背中に隠れて、その肩越しに目から上を出して母の様子を窺っている。
 寝て起きたばかりの二人は、まだ顔に眠たさを残して、でも両親に甘えたくてうずうずしている様子だ。
 双子は、おいでと、手招きする優しい父親の膝の上に向かって走り、甘えた。礼は栗の蒸したものを侍女に持ってこさせて、皆で食べた。双子は上手に栗の皮を剥いて、ほおばっている。実津瀬が両頬いっぱいに栗をつめて膨らませている顔をみんなでからかって面白がった。
 夜になると、昼間に有馬王子に兄弟ができたように自分たちの子にも兄弟を、と話したことが呼び水になって、実言は裸にした礼を自分の膝の上に乗せて愛した。礼の乳房の膨らみを渡って、実言の肩に置かれた礼の手の上を伝って、礼の黒髪が実言の体にまとわりつくようにかかる。妻の美しい黒髪が自分の体を掴むように絡むのを実言は悦んだ。
 礼の体の内側に力が入った。実言との性愛の悦びが反応させて、礼は自然と熱い吐息がでてしまうのを、実言に気付かれないようにそっと逃がした。しかし、敏感に察知する実言は礼の様子をすぐにわかって。
「私もさ。たまらない」
 と言って、礼をきつく抱くので、礼の乳房は実言の胸に密着して押しつぶされ、長い黒髪はより実言の体にまとわりつくのだった。
 この上ない、幸せな時間。
 新しい命がわが身に宿ることを願いながら、礼も実言を愛した。

 碧妃が後宮に戻ったその日に、大后が自ら碧妃の館を訪れた。それは、大后が碧妃の味方であることを示したことになる。岩城本家の根回しによることもあるが、大后以外の妃たちの侍女が我が主人のことを思っていがみ合い、嫌がらせをしないためにも大后は碧妃のところに赴いたのだった。
 生まれたばかりの姫君の名は露と名付けられた。大王から贈られた名である。
「露」
 そう言って、大后は閉じている王女の目が少し開きそうになったのを覗き込んでその瞳に映る自分を見ようとした。
 碧妃は館を訪れた大后に挨拶をすると、すぐに露を抱いてもらった。碧妃は大后を年の離れた姉のように慕った。だから、我が子を抱いてもらうことに抵抗はない。逆に抱いてもらいたかった。
輝くばかりの生まれたての命を愛おしそうに大后は見つめて、目を細めている。
 大后には大王との間に王子、王女、王女と三人の御子を授かった。王女二人は王族同士で婚姻させて御子が生まれているので、大后には孫もいるのである。もう、碧妃に対して嫉妬心を抱くこともない。
 碧妃は、大后の庇護のもと安心して第六王女として生まれた露を育てることに専念した。

コメント