Infinity 第三部 Waiting All Night61

小説 Waiting All Night

 月の宴は三日後に迫った。
 礼は、夜遅くまで縫物をしていた。最近の実言は、宴の準備に忙しいらしく、邸には夜遅くに帰ってきたり、宮廷や本家に泊まって昼間にふらりと帰ってきたりした。今日も、昼間に出て行ったきりいつ帰ってくるかわからない。
 縫物をする手を休めることなく、礼は夜が更ける中を過ごしていた。こんなふうに一所懸命に縫物をしているのは、礼も月の宴に出席することになったためだ。そこで着る衣装の仕上げをしている。
 大王の五番目の妃である碧妃から招待されたのだ。実言を通じて伝えられたが、礼は実言がうまく断ってくれると思っていた。それが、実言は行ってみたらいいと言う。何の準備もしていないから、無理だと言うと、義母の毬がいろいろと手伝うという。断る口実になると思ったのに、礼は宴に行くことになった。毬が見立ててくれた衣装や、装飾品がそろって恥ずかしくない格好ができた。後は、控えめな刺繍を入れて衣装を彩るつもりだ。
「……つっ」
 針の先で指を突いてしまった。とっさに声が出て、指先に目をやった。
「どうした?」
上から声がして、几帳の陰から実言が現れた。
「あら。お戻りになったの?」
 実言は昼間に一度宮廷から邸に帰ってきて、これから本家に行くと言って出て行ったので、礼は今夜も本家に泊まりかと思っていた。
「思いの外、早く用事が終わってね」
 実言は礼の前に座った。
「宴の衣装よ。少し手を加えているの」
「それは母上に任せていたはずだけど」
「だって、お母様手ずから縫物をなさるのだもの。申し訳ないわ」
「誰か縫物が得意なものはいないの?」
「いいのよ。もう少しで出来上がるから」
「まだ、それをするの?私は横になりたいのだけど。お前は一緒に来てくれないのかい?」
 礼に縫物をやめて一緒に寝所に入って欲しいために言っていたのかと、礼は合点がいって手を止めた。
「明日、続きを手伝ってもらうわ」
 そう言うと、実言はにっこりと笑って、礼の手を取って一緒に立ち上がり整えられた寝所へと入った。
 実言は忙しいといっても、昼間に邸に帰ってきて、子供達と一緒に過ごしたり、夜遅くに帰ってきて礼の横で寝ていたりと、全く会わないわけではないが、こうして夜の初めから顔を合わせるのは久しぶりだった。だから、実言も早くその手を止めて一緒に褥の上に行きたがったのだ。
 実言はすぐに横になった。礼は、そのそばに座った。
「宴の準備はいかが?」
「……ん、順調さ。この度は少し賑やかにしようということで、踊りや管弦の催しが多くてね。麻奈見が忙しそうだ」
「そうなの。麻奈見も大変ね」
 実言と礼の共通の友人である麻奈見は宮廷楽団の一人であり、代々その中心的な役割を担っている家系である。麻奈見は笛の名手であり、舞を舞わせても今時代最高の舞手であるため、役回りが多くて、忙しいのだろうと礼は想像した。
 横になって、暫く目を瞑っている夫を見て、やはりとても落ち着いた表情だと礼は思った。
 碧妃から一緒に月の宴に出席する話を実言から伝えられたとき、実言は出席することを勧めた。あれほど、礼を宮廷に近づけるのを嫌がっていたのに、あっさりとしているので不思議だった。その時に、実言から哀羅王子との積年の誤解が解けたことを告げられた。実言は詳細を語ることはしなかったが、数日前の外泊は人目を盗んで哀羅王子と会うためだったと話した。
 礼には全くどこでどのようなことが起こって、実言への憎しみを劫火のごとくたぎらせていた哀羅王子の心が変わったのかわからなかったが、それで夫は晴れ晴れとした顔をして、嬉しそうに今後のことを話すのだった。哀羅王子が歩むはずだった宮廷の地位を取り戻すために、どう力を尽くせるかを語るのだった。
 月の宴への出席も哀羅王子から傷つけられる心配がなくなり、碧妃からの強烈な誘いもあって、実言は行かせることにしたのだ。
 礼としてはそのような華やかな場所は苦手で行きたくないが、碧妃から一緒に宴を楽しめることの嬉しさを書き連ねた手紙が届いて、強行に嫌だとも言えず、義母の毬が嬉しそうに衣装の用意をしてくれるのでますます断ることはできなくなって、今に至るのである。
「浮かない顔だね」
 実言が目を開いて礼を見ていた。起き上がると、俯いている礼の顎に手をやって上を向かせる。
「華やかな場所は苦手だもの」
「そうだな。お前にはいつも、苦労をかける。碧のために頼みごとをしてばかりだ。その代わり、私も今回は碧の警護で傍にいるから、礼と一緒にいられるよ」
 そのことは、今初めて聞かされて、礼は声を上げた。
「本当?」
 実言は頷いた。礼が嬉しそうなほっとしたような表情を見せると、実言は礼を抱いた。
「実言が傍にいてくれると安心よ」
 実言の胸に頬を押し付けられながら、礼は言った。
「ふふふ。嬉しいことを言ってくれるね。ああ、久しぶりに礼とこうしていられる。柔らかいお前の体を抱いたまま、眠れるよ」
 実言は言って、そのまま横になった。実言は握った礼の手を引いて一緒に横になり、衾を引き上げて二人で被った。実言の言うように久しぶりに二人で一緒に寝るので、礼から抱き着いて実言の胸に頬を寄せた。

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