Infinity 第三部 Waiting All Night7

宮殿 小説 Waiting All Night

 春日王子はおもむろに卓子から立ち上がると、大王の前に進み出る。
「春日よ」
 近寄ってくる弟に大王は微笑んで応えた。
「兄上。この良き日に、兄上にお目にかけたい人物がおります」
「ほう。それは誰かな?」
 大王は機嫌よく、興味を引かれて目を見開いた。
「お前が会わせてくれる人物は皆おもしろい者ばかりだからな。楽しみだ」
「兄上。今回は少し趣が違っております。実は渡利様の……」
 春日王子は、そこまで言って、後を濁した。
「渡利?叔父上の?」
 渡利様とは、大王と春日王子の父である、前王の弟君に当たる方であるが……
「はい。叔父上には、ひとり息子がおりました」
「ああ、そうであったな。確かに、王子がいたが、はて、どうしたことか?今はどうなっている?」
「はい。その王子は哀羅と申しますが」
「そうだ!哀羅だ」
「私が、方々を探しまして、この度見つけました」
「ほう、おったか。一体、どこへ、おったのだ?」
「吉野の山の中に、隠棲しておりました。そして、今日ここへ呼び寄せております。どうか、会ってやってくださいませ」
 その言葉を聞いた大王は間髪入れずに答えた。
「もちろんだ!」
「成人し、立派な男になっておりました。我々王族にとっても、心強い味方を得た思いでございます」
「そうか。なんとな!早く会わせよ」
「はい。哀羅王子をここへ」
 春日王子は自分の後ろに控えている舎人にそう呼ばわった。
 覇気よく返事した舎人は几帳の後ろに消えて、しばらくして複数の足音がしたと思ったら、几帳の後ろから一人の男が現れた。
「大王。この度は、私めを面前に呼んでいただきありがとうございます」
 爽やかな声音と共に、現れた哀羅王子は、大王の前に進み出て跪きひれ伏した。
「お前が哀羅か?」
「はい」
 哀羅は、ゆっくりと面を上げた。
「おお、確かに。叔父上の面影が見える」
「そうでしょうか?自分ではよくわかりません。春日様にも、そう言っていただきましたが」
 哀羅王子は照れた素振りで顔を下に向けた。
「何を言うのか。わが一族だとよく分かる。この時に、そなたを得て、なんと頼もしいことよ」
「ありがとうございます」
 哀羅王子は深々と頭を下げて言った。その姿を横で見ていた春日王子は、哀羅王子が体を上げたところで、兄に話す。
「哀羅はしばらく、私の邸で預かります。叔父上の邸は、縁の者が守っておりましたが、長年放置されていたも同然で、あばら家のようです。修繕をして住めるようにしないといけません」
「そうか。春日のところなら、安心だ」
「哀羅は吉野から昨日我が邸に着いたばかりでございます。また、改めて兄上の元へ伺わせていただき、いろいろとお話をさせていただきとう存じます」
「そうか。今日はこのような宴の席ゆえ、またゆっくりと落ち着いて話をしよう。久しぶりの都であろう。ゆっくりと楽しむがよい」
「はい。ありがたき幸せでございます」
 哀羅王子は再度深々と頭を垂れてお辞儀した。

 実言は、舞台そばの自分の席から、正殿の大王を見ていた。
 大王や王族達の席の後ろにめぐらせている几帳の陰から現れた哀羅王子は春日王子の横に立ち、すぐさま大王の前に膝を折った。その姿は春日王子の体に隠れてはっきりと見ることはできず、実言は歯がゆい思いだった。
 哀羅様はどのようなお姿になられただろうか。
 考えてみれば、あれから十五年という長い歳月が過ぎている。
 青年になるその入り口に差し掛かった頃に、多くの時間を一緒に過ごし、学び合い、その中から信頼が生まれ、実言は哀羅王子を兄と慕っていた。哀羅王子も男兄弟がおらず、一つ年下の実言を弟のようにそばに置いて頼りにしていた。それが、突然哀羅王子と会えなくなり、それから今までの月日が流れたのであった。
 大王との短い会話がなされた後、哀羅王子は立ち上がり、春日王子の席の隣に即席の席を設けて、残りの宴を楽しむようである。
 実言の席は、春日王子たちの席に背中を向けていて、その姿を見るには後ろを向くしかなく、いつまでも後ろを向いたままともできず、それ以上哀羅王子の様子を窺うことはできなかった。
 陽はとっぷりと落ちて、花の宴は夜の宴会となった。宮廷楽団の鍛錬の賜物である音楽と舞が篝火の焚かれる中、舞台上で披露された。
 大王は終始上機嫌であった。
 宴も終盤になり、麻奈見が二人舞を披露した。相手は、内大臣の子息である。この日のために練習してきたことだけのものはあって、息もぴったりと合い、一糸乱れぬ振りである。
 これが観衆にとっては一緒に踊っているような感覚になり、高揚した気分にさせられた。その後は、宴の締めくくりにしみじみとした笛の音の調べが流れた。
 皆で夜空に輝く満月に照らされる花を愛でながら、宴は終了した。
 翔丘殿から宮殿にお帰えりになられる大王を皆で見送り、その後は順次王族や貴族が退出した。
 実言は、お見送りの列に加わった。最前列にはすでに人が並んでいて、その後ろについて見送った。大王の妃達や子女が御輿に乗って宮殿に帰られる姿が目に入った。春日王子は馬に乗る支度をしている。その後ろには、哀羅王子が同じように用意された馬に飛び乗った。
 実言は哀羅王子の姿を見るために、前の人と人の間から、じっと目を凝らした。
 従者に付き添われて春日、哀羅の両王子が馬を進ませた。
 次々に頭を下げる臣下の中で、実言も同じように倣いながら、そっと上目遣いにその様子を窺った。
 馬上の哀羅王子は、実言が十三、哀羅王子が十四の時の姿そのままであった。
 実言の記憶の中の少年時代の面影を色濃く残した若々しい顔立ちのまま、少し身長は伸びたであろうが小柄で、最後に見た姿から何一つ変わらない、時は止まったままと思えるような姿だった。
 実言は、その姿を見届けると、他の臣下と同じようにそっと体を起こして、宴の後片づけに向かった。

コメント