Infinity 第三部 Waiting All Night87

小説 Waiting All Night

 大王が人に会うための部屋、謁見の間には岩城園栄と弾正台長官の藤原七重、もう一人内大臣の早良高泰がいた。今夜の大王の奏上について、弾正台とは別に証人になってもらうために、園栄はどの陣営の色もついていない内大臣を叩き起こしてこの場に同席させたのだ。
 内大臣は寝入りばなを叩き起こされて、着る物もそこそこに宮廷に連れて来られて、不意に襲って来る眠気にあくびを噛み殺して、その時を待っている。
 大王に直接申し上げるのは憚られると、まずは大后のところに王宮の舎人は走った。取次の女官が就寝している大后にそっと伝えた。大后は静かに起きて、すぐに自分から大王に取り次ぐから待つようにと伝えた。
 身なりを整えた大后は、高鳴る胸を押さえて夫の寝室へと向かった。
 月の宴に満足した大王は、その後も体の変調はなく穏やかな日々を送っていた。その夫を深夜に起こすなど、体に障ってしまわないか、と思ったが岩城が来たということは、大后が望んでいた千載一遇の機会が巡ってきたことを教えるものだった。大王に不快に思われないように、事の重大さを伝えられるのは自分しかいない。岩城が送ってきたその合図に自分はしっかりと答えなくてはいけない、と胸に当てた手で胸を何度もトントンと叩いて、落ち着かせた。
「大王、失礼致します」
 先に、近侍の男を使わしていたから、大后が声をかけた時には大王は目を閉じてはいたが、起きていた。
「……どうしたのだ?こんな夜更けに」
 大后は几帳を通り越して、大王の枕元に歩み寄った。そして、体を横にしたままの大王にだけ聞こえるような小さな声で言った。
「弾正台の長官、藤原七重が来ております。一緒に、太政大臣岩城園栄、内大臣の早良高泰も。大王に申し上げたいことがあるとか、時刻(とき)を選んではいられない話のようですわ。どうか、話しを聞いてやってくださいませ」
 大后が来て懇願するような声で言うので、大王は目を開いて上半身を起こした。
「弾正台の藤原が……」
 大后は大王に対してゆっくりと含蓄のある頷きを返した。
「どっちにしろ、そなたが来たということは、起きて行かなくてはいけないということだろう。無駄な抵抗はやめようか」
 と言って、両手で顔を覆って、眠気を飛ばすまじないのようにごしごしと顔を擦った。
「大王、人聞きが悪いですわね。わたくしが大変な事態を連れてくるような口ぶり。しかし、事は軽い話ではないようですわ。私もお供させてくださいまし」
 大后は大王に夏用の薄い上着を肩から着せ掛けると、そのまま付き添って謁見の間に向かった。
 大王のゆっくりとした足取りに合わせて、大后は大王を支えて隣につき、近侍の男は後ろをついて歩いた。
 謁見の間には、弾正台長官の藤原七重、太政大臣岩城園栄、内大臣早良高泰が大王が座る一段高い場所の前に、左右に分かれて座って待っていた。
 長い簀子縁をこちらに向かってくる無数の足音に耳を澄ましている。
 弾正台長官の藤原は、月の宴の続きとばかりに自邸の庇の間で、月見をしながら酒を飲んでいた時に、岩城園栄の遣いが来た。もっと驚いたのが、門の外で岩城園栄が待っているというのだった。遣いだけでは、よく先の見えぬ話として相手にされないかもしれないと、門の前まで園栄が来て、一緒に王宮に行くというのだった。
 藤原七重は慌てて園栄を邸に招き入れて、話を聞いた。
 今ここで、その確たる証拠を見せることができないが、王族の謀反の疑いがあること、それを訴え出るという王族がいることを伝えられた。しかし、謀反を企てているのは誰で、それを訴えるのは誰なのかは、今ここでは言えないという。
 態度は慇懃であるが、今は何も教えられないが、自分の言うことを聞けという傲慢、無礼な態度に七重は内心むっとしたが、それは臣下の中で群を抜いた権力を持つ岩城である。いかに弾正台長官と言っても、真っ向から歯向かうことができなかった。
「如何に」
「私と共に宮廷へ。今、訴え出る方も王宮へと向かっています。もし、私の言うことが嘘とわかった時は、あなたの権限でお好きにしていただいたらよい」
 と、澄ました顔をして言った。
 しかし、その言葉はこの態度とは裏腹に命を賭けると言っているのと同じで、七重はその思いを図った。
「あなたがそう言うなら、信じましょう。しかし、もし、私を謀るならその先は私の命令に従ってもらいますよ」
 七重の言葉に、岩城園栄は二言はないというように静かに頷いた。
 それからの七重の行動は早かった。
 園栄とともに宮廷に向かい、所定の手続きを取った。部下を招集し、ある王族の謀反を訴えるという者の到着を待った。
 園栄は宮廷に着いたら、すぐに七重に、七重と自分だけでは、他の臣下が園栄の陰謀と決めつけられてはいけない。訴えた王族の決死の思いが殺されてしまってはかなわないと、もう一人の証人として内大臣を呼ぶことを提案した。
 七重は応じると、園栄は部下を内大臣邸に呼びに行かせた。
 園栄の周到さを感じながら、待っていると内大臣はわけもわからず、宮廷に連れて来られた。その場で、園栄から説明を受けて、驚きの表情を素直に見せた。そして、自分が暴かれる謀反の証人になることを内心迷惑しているのを、隠そうにも隠しきれないようだった。
 しかし、弾正台長官も早良高泰も、謀反人として訴えられるのはあの人ではないかと頭の中には浮かんでいる。今、都の空を覆いつくしている噂の人である。しかし、訴人が誰かは全く思い浮かばなかった。
宮廷から王宮の謁見の間の前の部屋である控えの間に慌ただしく人が走り込んできて、そこで息を整えて忍び寄るように太政大臣、内大臣、弾正台長官の三人が無言で控えている部屋の中に入ると、七重の耳元に口を寄せると、その口元を手で隠すように覆って、小声で話している。
「こちらへお連れしろ」
 従者は密やかに言ったつもりだが、太政大臣、内大臣共にその声は聞こえていた。
「どうやら、宮廷に岩城殿の言う訴人が来られたようです。岩城殿のご子息が付き添われているようですな」
「……ええ、付き添うように言ってあったのだが、ここまでたどり着けるかは誰もわからなかったものでね」
 園栄は表情を変えずに言ったが、無事の到着を聞いて心の内に立ち込めていた不安がふわっと霧散した。
 一方、大王は謁見の間にたどり着く途中の部屋で少し休んだ。大后が大王の身なりを整えるのに手を貸した。
「何だというのであろう。面倒なことは勘弁してほしいものだが」
 大王は誰に聞かせるでもなく言った。しかし、それは大王の襟元に手をかけて、真っすぐになるように整えていた大后に言った格好になった。大后は整えた襟を上から押さえて糊をかけた。
 都を覆う噂を大王だけが知らないという現実である。
「何でしょうね。……でも、こんな夜更けに弾正台が来るのですから、穏当なことではないでしょう」
 と返した。大后の不穏な言葉に、大王は、目を瞑ってこの先のことを考えまいとした。
 その間に、謁見の間の前の控えの部屋には訴人と数人の供人達が到着した。そのことを付き添ってきた弾正台次官が長官に告げに来た。
 園栄は、それを聞いて七重に声をかけた。
「隣の部屋に訴人がお付きになったようですな。その方が持つべきものを私が預かっている。直に手渡しさせていただきたい」
 園栄の目の威圧に、七重は屈するように頷いて、次官とともに園栄が隣の部屋へと行くことを許した。
 三段ある階を下りて、さがっている御簾をくぐると、そこには男が四人ほどいた。園栄はその顔ぶれをぐるりと見まわした。
 矢の傷を負った哀羅王子の姿が真っ先に目に飛び込んだ。袖をたくし上げて白布をぐるぐるに巻いている。着ている袍はほこりと血にまみれて、ここまでの道のりの苦労を思わせた。いつも春日王子とともにいた姿は、まだ少年と見まごうような小さく線の細い体で、王子の体は突然園栄の手から離れて行ったあの時のままのように感じた。その王子に、長い苦労をさせたことを詫びたかった。その隣には実言がいるが、反対側にいるのは……。園栄は少し驚いた。椎葉荒益がいた。どのような経緯でここにいるのかわからないが、荒益がこの場の証人になることは悪いことではないと思った。今後の権力の勢力図において、椎葉家と敵対しないことはありがたい。もう一人は宮廷の役人の男で、後ろに座ってこの様子を見守っている。
「哀羅王子……」
 園栄は哀羅王子の前に跪いて、言葉を詰まらせた。
「私が至らないばかりに長きに渡り、吉野の地でご苦労をかけてしまいました。それはあなた様の父君である渡利王との約束を果たすことを放棄したようなもの。渡利王にもあなた様にもお許しいただこうなどとは夢にも思っていません。ただ、この先はどうか私に渡利王との約束を果たさせてください。どうか、岩城を傍に置いてくださいませ」
 と頭を下げた。
「……園栄、頼む。……私からお願いしたい。非力な私を助けておくれ」
 と哀羅王子は、園栄の手を取った。園栄は手を握られて、顔を上げて哀羅王子を正面から見た。
「王子……」
 園栄は懐から細長い革の帯を取り出した。
「これをお受け取りください。私が預かっておりました」
 それは哀羅王子の邸の従者である日良居に持たせたそれだった。日良居はこのものを岩城実言のところに持って行ったために死んでしまった。
 哀羅王子は右手を差し出してその革と中に入っている書状を受け取った。
 園栄は、静かに立ち上がり謁見の間に戻って行った。
 哀羅王子は革に挟まれた書状を右手の手の平で胸に押し付けた。この書状は幾人かの血を吸っている。それに心を馳せた。
そして、これを今から大王の前に差し出すことによって、より多くの血を吸うことになるだろう。もしかしたら、己の血をも吸わせることになるかもしれない。
その覚悟をする。
謁見の間では、大王がいらっしゃる奥の部屋が慌ただしくなったのを感じた。もうすぐそばまで大王がいらっしゃっているようであった。
園栄は自分の座る位置に戻って居住まいを正した。謁見の間の空気が張り詰め、息を吸うことも吐息一つつくこともはばかられた。
「大王がいらっしゃいました」
 王宮の役人が袖の扉から出てきてそう告げた。ほどなくして、同じ扉から大王が謁見の間に入って来られた。すぐ後ろには、大后が付き添っている。一段高いその場所に二つの椅子があり、大王は黙って自分の椅子に座った。続いて大后も座る。
「どうしたのだ、こんな夜更けに」
 大王は弾正台長官が話を始める前に口を開いた。
「はっ!太政大臣岩城園栄殿から、王族の謀反を奏上したいとの申し出がありました。このような夜更けではありますが、事が事のため、こうして参りました。内大臣殿にも、この奏上の証人になっていただこうと、岩城殿の発案でお呼びしたものであります」
「……それで、誰が謀反を企てていると……。園栄が私に直に言えばいいではないか?何を根拠に言っているのだ」
 大王は自分の左下に頭を垂れて平伏している園栄に向かって言った。それを受けて園栄が口を開いた。
「恐れながら、大王、この謀反の企てについて、大王に奏上したい者が別におります。私はその橋渡し役。その者をお呼びしていいでしょうか?」
 予期していなかったことで、大王は少し間をおいて。
「いいだろう。早くしておくれ」
 と言った。
「奏上する者は一人ですが、付き添いがおりまして少々大人数ですがお許しくださいませ」
 園栄は、七重に目配せすると、七重は後ろを振り返った。謁見の間に入る扉の前に座っていた役人はその合図を受け取り、できるだけ静かに扉を開けた。

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