Infinity 第二部 wildflower65

小説 wildflower

 季節は秋になり、都では新嘗祭が執り行われた後だった。
 その日の昼間、子供たちは眠ってしまって、礼は机に向かって去から借りた薬草の本を写していた。そこへ去の邸の侍女が現れた。
「礼様、都から礼様にお客様ですわ」
「都から?岩城の者?」
「いえ、音原という家からの使いということでございます」
「音原」
 礼はすぐにそれが誰だかわかった。礼の幼馴染で宮廷楽団の長子である麻奈見であると。
「すぐに行くわ」
 礼は筆を置くと、立ち上がった。去の母屋の庭に行くと、階の下に男が待っていた。
「私が礼です。あなたが音原の使いの者?」
 礼は階から降りて行った。
「私は麻奈見様の使いの者です。これを必ず礼様にお渡しするように言いつかって参りました」
 礼の前に進み出て、箱を差し出した。礼はその箱を受け取った。
「返事は」
「いいえ。渡すだけでよいと言われております」
「そう。遠いところをありがとう。何か食事を用意させますから、休んでいってちょうだい」
 礼のそばにいた侍女が麻奈見の使いを部屋に案内する。礼は平静を装ってその姿を見送った。姿が見えなくなったら、礼は急いで離れの自分の机の前に戻った。箱にかけてある紐を乱暴に解いて、開けた。
 北方の戦について宮廷で知ったことをいち早く麻奈見が届けてくれたに違いない。
 箱の中から小さく折られた手紙を取り出して開いた。麻奈見の筆蹟が目に飛び込んできた。
 礼は文字を追う。ただただ追った。
「ああっ……」
 礼は、読み終わると、手紙を膝の上に落として、両手で顔を覆った。
 麻奈見の手紙には、大王軍が勝利し、北方の戦は終わった、と書いてある。数日前に騎馬の一団が王宮に到着して大王に奏上したと。これから帰還の準備が始まるだろうと。
「……実言」
 礼はその人の名を呟く。
 そうすると、体の内側からせり上がってくる思いが堰を切って礼の目から溢れ出た。
 ちょうど隣の部屋で眠っていた双子が起きて、母を探して礼のいる部屋へと歩いてきた。
「おかあたま」
 男児が礼の姿を見ると、満面の笑みで駆け寄ってきた。兄の言葉に、女児も遅れをとってはならぬとの思いで、礼に向かって走った。いつもなら、笑い顔ですぐに振り向いて、二人をその腕に迎え入れてくれるのに、今の母はじっと背中を向けて、こちらを向いてくれない。先に母の元についた男児は、その肩に手を置いて、もう一度呼びかけた。
「おかあたま」
 礼は体を斜に動かして、男児の方に向いた。そこに女児も追いついて、男児の横に並んだ。二人は、自分たちを向いた母を心配した。
「おかあたま……なみだ……」
 女児はすぐに母の膝に上に乗って。右頬をつたう涙に手を伸ばした。
「かなしいの?」
 礼はすぐに答えられなかった。
「おかあたま、ぼくがまもる」
 と男児がませたことを言った。
 礼は、二人を膝の上に乗せて抱きしめた。
「いいえ、嬉しいのよ。嬉しいことが起こったの」
「うれしいこと?」
「なみだがでるの?」
「そうよ」
 二人は不思議そうな顔をして礼を見上げた。礼は二人の顔を見て微笑んだ。そうすると、二人も鏡のように微笑み返した。
 翌日、岩城家から遣いが来て、麻奈見の手紙に書かれていたことと同じことが伝えられた。北方の戦は大王軍の勝利で終わった。時期は未定だが実言が帰還すると。
 去と並んでその言葉を訊いた礼は岩城家の使者が部屋を出ると、去に向かって言った。
「去様、私、都に帰ります。実言を、都で待ちます」
「そうなさい」
 去は言って、礼の肩を抱いた。
「よかったわね。お前も、実言殿も己の求めるものを守ったのです。本当に、よかったわ」
 礼はその言葉に何度も頷いた。

 新年を束蕗原で迎え、正月の行事が落ち着くと礼は二人の子供を連れて都へと向かった。束蕗原に来た時と同じように車に乗ったが、来た時は礼のお腹の中にいた子供たちが帰りは礼の両隣りに座っている。車の後ろには耳丸がつきそっている。違うのは、礼が北方に行っていた間にこの地の男と結婚した縫が身籠ったため、出産して落ち着いたら家族で都に戻ることになったことだった。
「おかあさま、どこに行くの?」
「こわいよ、おかあさま……」
 車に乗るのが初めての双子は、礼に連れられて車に乗ったが、目をぱちくりさせて、礼の袖に掴まったまま口々に不安を言った。
「新しいおうちに行くのよ。そこで、おとうさまを待つの」
 子供たちはよくわかっていない。礼にすがりついて、よく揺れる初めての車にただただ黙って耐えていた。
 都の岩城邸では、前と同じ離れを住まいとして与えられて、侍女の澪が万事取り仕切って、礼と双子の新しい生活の準備を整えてくれていた。
 離れの部屋に落ち着く前に、礼は庇の間で澪と手を取り合った。
「礼様」
「澪。本当に久しぶりね。よく、待っていてくれました」
 三年の間、この離れを守っていてくれた侍女をねぎらう。
「実言様のご帰還、おめでとうございます。いつか、いつかと待っておりました。もう少しの辛抱ですわ、礼様」
 礼の裳がふわふわと揺れて、騒がしい。澪が気づくと、礼は二人を叱った。
「これ、こちらにおいで。後ろに隠れていないで」
 双子は礼の裳を放して、礼の前へと出てきた。
「まあ、本当に実言様にそっくりにおなりですわね」
 二人を見た澪は目を細めて笑った。

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