New Romantics 第ニ部STAY(STAY GOLD) 第九章10

小説 STAY(STAY DOLD)

 実津瀬は桂の言葉をすぐには理解できなかった。
 伊佐とは、都から東に位置する神が座す場所である。そこで神に仕える女人が日々奉仕する。その人を斎王と呼ぶ。斎王は大王が代わる時に王族の未婚の女王の中から新たに選ばれ遣わされる。伊佐まで都から十日ほどかかる伊佐の地に赴く。斎王交代の行列は多くの人が付き添いその装備も絢爛でそれ以上に時間のかかるものだった。有馬大王が即位したことにより、伊佐の斎王に誰を遣わすかの議論が密かに行われていた。
そして、今朝、宮廷の役人が内々に佐保藁の宮を訪ねて来たのだった。
「……桂様……」
「都を離れるなんて、考えたこともないことだ。行ってもいつ戻れるか、いや、あの地で終わるかもしれない。そんなこと……耐えられない」
 桂は気持ちが高まって声を震わせ、涙を流した。
気の強い桂が涙を流している姿に、実津瀬は握られた手をそっと握り返した。
「……それで、桂様は伊佐行きをお断りになったのですか?」
 実津瀬が尋ねると、そこで桂から手を離し、胸の前で腕を組んで言った。
「いいや、十日間考える時間が欲しいと言った」
「……そうですか」
「当たり前だ!こんなこと、すぐに答えを出せるはずないだろう。たとえ、諾と答えなくてはいけなく共だ。私の前に他の王族の名が上がったらしい。しかし、その母親は、娘かわいさで遠い伊佐に行かせて離れ離れになるのも、自分が付き添いをして伊佐に行くのも嫌だと言ったそうだ」
 桂はそっと目尻を拭って、いつもの表情になり、横目で実津瀬を睨んだ。
「それは誰だかわかるか?」
 あてこするように言うのは、実津瀬に関係のある人であり、斎王に推薦されるほどの娘がいるとなるとそれは一人しかいない。
 岩城一族出身で有馬大王の母、皇太后である碧だ。碧は娘で大王の妹の初(うい)の伊佐行きを反対したのだ。
「……はい」
「伊佐で神に仕えるのは王族の役目だ。それを王族でもないものが、己の私情だけで拒否するなど大それたことだ。私は違う……」
 桂は言った。
「………」
 実津瀬が黙っていると。
「ははは……誰のことを言っているのかわかっている者としてはなんとも返答できないか。……だが、考えてみろ。我々が民を統治する者である理由は、我々が神に選ばれたからだ。そして神の奉仕者であり、その役目を誰もが担うと気概を持っているからだ。民の上に胡座をかいて好き勝手に暮らしているわけではない」
「……桂様は素晴らしい王族のお一人です」
 実津瀬はそう返事した。
 舞、音楽に興じて政など関係ないというふうにも見えるが、桂の心の中は王族の矜持を持って、いつでも大王のため、民のためにその身を捧げる覚悟なのだ。
 それはこれまでの桂との交流で知れていたことで、実津瀬が桂を尊敬する理由の一つである。
「十日間お考えになるのですね」
「そうだ。伊佐に行ったとしたら、行かぬとしたらと考える。それくらいの猶予はくれてもいいだろう」
 桂は言って、隣の実津瀬を横目で見た。
「実津瀬、私に斎王の資格があると思うか?……私が一度と夫を持ったことはなかったことになっているのか……この邸の人の出入りを知らない振りしているのだろうか」
 と呟くように言った。
 斎王は王族の中から未婚の女人が選ばれるはずだが、なぜ桂が。
 それもそうだ、と実津瀬は思った。
「大王の妹は、これまでなかなか結婚の話が進まなかったようだが、断る理由として結婚するらしい。急いで王族の中から探しているところのようだ。他にも王族の女人はいるだろうが、誰も承諾する者はいないのだろうな」
 実津瀬は桂の表情を盗み見た。誰も行きたがらない嫌な役目を押し付けられて、苦々しく困惑しているように見えた。
「実津瀬は私の伊佐行きを聞いてどう思った?」
 桂はそれまでの表情を収めて実津瀬を横目で見た。
「大変驚きました。そのようなことを考えたことはありませんでしたから」
「そんなことが聞きたいのではない。寂しいとか悲しいとかそういった感想を求めているのだ」
「……それはもちろん、寂しく思います。桂様がいない宴、そこで行われる舞や雅楽は違ったものになるでしょう。多くの人には前と変わらず良いものに見えるかも知れませんが、見るものが見ればあなた様の厳しい目のない宴は、気を緩めてしまうかも知れません。それは、やっている者からしたら楽になったことかもしれませんが、まだ見ぬ高みを目指すことはむずかしくなるでしょう。そして、何よりそれをやり遂げた時の達成と……賞賛がないのですから」
「そんなことを聞きたいのでない。私は実津瀬の気持ちを聞きたかったのだ。他の者の代弁など要らぬ」
 桂は実津瀬の反対を向いて、続けて言った。
「……また、そなたを呼び出すかも知れぬ。その時は私のわがままと思わず来ておくれ」
「……はい」
 実津瀬はいとまを告げて、立ち上がり扉の前まで歩いて、扉を押し開けて部屋を出た。扉の陰には直立している太良音と目が合った。

 佐保藁の宮から五条の邸までの道は凍えるような寒さでどうなることかと思っていたが、歩いているうちに体が温まって、邸に着いた時は寒さは気にならなくなっていた。
 実津瀬はすぐに両親の部屋に行くと、父と母が向かい合って話をしていた。
「まぁ実津瀬、お帰りなさい」
 実津瀬の足音に気づいた母の礼が庇の間に顔を向けた。
「お二人の水入らずの時間にお邪魔します」
「ああ、そうだね。呼ぶまで自分の部屋に戻っておくれよ」
 実津瀬の言葉に父の実言がすぐに返事した。
「あなた、実津瀬はあなたにお話があるのよ。さ、実津瀬、ここに来てお話ししなさい」
 そういう母の手を父はしっかりと握っていた。いつまでも仲の良い夫婦だと思うが、今も手を握り合って語るほどなのかと実津瀬は思った。
 実津瀬は母の言葉に従って、母が座っていた円座に座った。
「礼との時間を奪ってまで話すことなのかね?」
と父実言は嫌味を言ってきた。
 まぁ、それも冗談であることはわかっている。
 母の礼は静かに部屋から出て行ってしまった。
「桂様に呼び出されて佐保藁の宮へと行ってきました」
 実言は口を挟む気はなさそうで、息子の次の言葉を待っている。
「今朝、宮廷からの使者があり、斎王の打診があったそうです」
「承知している。桂様はなんと返事されたのだ」
「熟慮のため十日が必要とお答えになったそうです」
「そうか、他には」
「初様が選ばれたのに、碧様の意見で自分に回ってきたとたいそうお腹立ちになっておられました」
「ああ、やはり、知っておられたか。先代が亡くなられて、王宮にはめっきり寄り付かれないと聞いていたが、そう言った話は誰かが密かにお伝えしているのだな。……王族の女人は皆結婚しているか、幼い。適当な女人は初様くらいだった」
「桂様も一度は結婚している身だとおっしゃっていました。また、佐保藁の宮の男の出入りを知っていないのかとも」
「ああ、そうか」
 実言は曖昧な返事をする。そのことは話にあがったが、あの結婚を結婚と言っていいものかと言っていいほど短いものだったので、誰もがそれを不問としたのだった。
「また、碧様が初様を伊佐に行かせないと言ったことを王族でない者が王族が王族たるための勤めを拒否したとおっしゃっていました。王族の自覚のない者が勝手な振る舞いをしたと。我々は目の敵です」
「そうだな……気に入らない一族だろうよ。……十日か……十日たって、うんと言ってくださるだろうか。何か、条件をつけてくるかも知れないな……どんなことを考えておられるか」
 父の独り言のような言葉に実津瀬は頷いて、部屋を出た。それと同時に母が部屋に入ってきて、実津瀬が座っていた円座に座った。それと同時に実言は再び妻の手を握っていた。
 それを尻目に実津瀬は離れの自分たちの部屋に行った。
 部屋に入ると妻の芹が侍女の槻と編と炭櫃の周りに座って縫い物をしていた。
「あら、お帰りなさいませ」
 妻の芹はすぐに立ち上がって庇の間まででてきた。
「お帰りになったことは聞いていましたが、お父様のお部屋に入られたと聞いたものですから。もう、お話は終わりましたか」
「ああ、終わった。……淳奈は?」
 いつも走り寄ってくる息子の姿を探した。
「淳奈は自分の部屋で昼寝をしています。あ、でもそろそろ起こさないと夜に眠れなくなるわ」
 芹の言葉に、侍女の槻が淳奈の様子を見に部屋を出て行った。
「今日は邸の子供達と一緒に遊んでいたのです。あの子も大きくなって、私がそばにいなくても平気になってしまって。まだまだ小さな子と思っていましたけど、突然、成長したことを気づかされるものね」
 と言った。
「寂しそうだね」
「ええ、それは。いつまでも小さいままと思い込んでしまって。私の手がなくてもいいと思うと寂しいわ……でも、それはあなたと一緒にいられる時間が増えるということかしら」
「ははは。そうだね。その通りだ。私はこんな大きな形で春が、あなたがいないと何もできない。それに、あなたと私がさらに仲睦まじくしていたら、あなたはまた忙しくなるかもしれない」
 実津瀬はそう言って意味深な視線を送った。
 芹はきょとんと実津瀬の顔を見返していたが、実津瀬が言わんとしていることを察すると照れて下を向いた。
「あなたを苦しめたいわけではないんだが」
「ええ。わかっているわ。私も同じ気持ちよ」
 ただ一人の妻との間に二人目の子供を、と願う気持ちは夫婦の共通の願いだった。
 実津瀬は妻の手を取って握り、部屋の奥へと誘った。

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