大王が変わると斎王も変わる。有馬大王の御代の斎王に選ばれた桂が伊佐に旅立つ儀式が行われようとしている。
斎王に決まってから桂は王宮に行って博士や神官から斎王の役目を学んだ。出発の三日前からは禊をして王宮の一室に用意された部屋で過ごし、出立の前日は大王と語らい別れを惜しんだ。桂は大王との間の血縁は薄いが、有馬大王は自分の御代に伊佐に座す神に仕えてくれる桂に最大の礼を尽くした。
禊に入る前日、桂は実津瀬を佐保藁の宮によんだ。実津瀬は素直に桂の求めに応じて佐保藁の宮を訪ねると、太良音が出てきて、いつもの部屋へと案内した。庭を抜けて、部屋の扉の前まで連れてくると、あとはお好きにどうぞと手で示した。
実津瀬はいつものように、扉の前で訪を入れた。
「桂様、岩城実津瀬です。入ります」
扉の内側から。
「入れ」
と言う声が聞こえた。扉を押すと。
「よく来てくれた」
机の前の椅子に座っていた桂は立ち上がった。
「扉は開けたままで。今日は天気が良いので、入り口に椅子を寄せて話をしよう」
実津瀬は部屋にある椅子を二脚開け放った扉の前に並べて置いた。
「座ってくれ」
桂は座ると実津瀬に言って、実津瀬はその言葉に従った。
「明日から禊の儀式ですね。今日は準備に忙しいのではないでしょうか」
「準備は済ませた。直前まで準備に追われるのは嫌だからな。そなたの準備はどうだ?」
「はい。私も準備は済ませました。私がと言うより妻が全て取り計らってくれましたから」
「ふん。そなたは良いな。妻がなんでもしてくれて」
桂は自分の前で妻といえども他の女のことを話すことに不快感を表したつもりだが。
「ええ。行き帰りのことを考えてくれて色々と用意してくれました」
実津瀬はにこにこと笑みを浮かべて言う。そんな男を桂は横目で睨みつけた。
「先代大王のおかげでこの邸を受け継ぐことができた。ここは素晴らしい邸だ………とても気に入っていたからここを離れるのが辛い。ここにはたくさんの思い出がある。毎夜、ここに多くの人を招いて、様々な話をした。おもてなしの音楽を奏で、舞を披露した。そなたにもここで舞を舞ってもらったな。どの日の舞も覚えている。私にとっては良い思い出だ。………自分の意思とは関係なく都を離れなくてはいけないと思うと辛い気持ちに締め付けられる。だが、私は王族の一人として、務めるべき役目は果たすべきと常々考えていた。だから、今は斎王になることは私に与えられた使命だと思っている」
「……その御心に私は敬服します」
実津瀬は応えた。
「ふん」
桂は鼻を鳴らして続けた。
「ここにはいつ帰ってこられるか……もしかしたら帰ってこられないかもしれない。もしそうなるなら、とその時のことも考えた。ここは王族が受け継いでいくべき場所だ。私と同じような境遇の王女に受け継いでもらいたいと思っている。それはすでに書に認めている。私が留守の間の管理は太良音に命じている」
「そうですか」
実津瀬は返事した。
桂は言ったようにこの数ヶ月で自身の身辺をきれいにした。伊佐に持って行くものを厳選して、部屋のものを整理した。それは人も然り。これまでのような奔放な付き合いはやめて、慎みの日々を送っていた。
一人だけ、名残惜しく、幾度か邸に呼んで舞を舞わせ、寝室に入れて語らった者がいる。
朱鷺世だ。
朱鷺世の舞は最高だ。
三年に渡り実津瀬と勝負を行い、昨年の桜の宴で勝って、真の勝者になった。名実ともに都一の舞手である。その後も、儀式、宴の席で舞を舞い、桂はそれを楽しんだ。そして、自邸で開く宴にも呼んで何度も舞わせた。
大王の崩御で宴はなくなり、朱鷺世の活躍する場はなくなったが、桂は密かに佐保藁の宮に呼んで、客人と共にその舞を観た。そして、斎王になると決めたら、朱鷺世の舞を観られるのも最後かと思い、ここ数ヶ月は頻繁に呼んで舞を観た。
そして、旅立つ前、実津瀬を呼んだ日の午後、桂は朱鷺世を邸に呼んで、食事をし、舞を舞わせた。
夜になると桂は朱鷺世と一緒に閨に入って、朱鷺世に寝巻き姿でも舞を舞わせた。舞が終わると御帳台の上に上がらせ、桂の背中から腰を抱かせた。
「よい舞だった………そなたの舞を今度はいつ観られるかな……もしかしたら、二度と観られないかもしれない。伊佐は鄙びたところだろう。そなたの舞だけでなく………ここで観ていた舞や管弦は見られないかもしれない。本当にそれは辛いことだ」
「そうなのですか?」
朱鷺世は盆の上の徳利を取って桂の手の中にある杯に注いだ。
「………少なからず私は宮廷の舞、管弦の発展に尽くしてきたつもりだ。その活動ももうできない。王族の中で舞の好きな方々はいらっしゃるが、私ほどの活動はできない。そんな中、そなたが高みを目指さなくなってはもったいないと思っている。………下から競争できる者が現れればよいが」
と言って、桂は言葉を止めて杯に口をつけた。
「私は何もしてやれないし……どんな舞手が現れてもそれを知ることはできないな……ははは……」
続きを話して乾いた笑いを漏らした。
桂の悲しみを朱鷺世は理解できない。
桂が都を離れることはわかった。しかし、その伊佐というところにどれくらい行ったままなのかわからない。自分の舞を理解し支援してくれる桂がいなくなったら、この先の自分はどうなってしまうだろうか。
小さな邸をもらって、それを維持できているのは桂が色々と気を配ってくれているからだ。桂が都からいなくなってしまったらあの邸はどうなってしまうだろうか。自分の舞の力で身に余るほどのものを得たが、自分の力で守れるとは思えない。
「桂様………その伊佐という場所には都からどれくらいかかるのですか?」
「話に聞くと十日くらいで着くらしい」
「十日ですか」
「何かあるか?」
「私の舞をご所望いただけるなら、そこまで訪ねていきたいと思ったのです」
「それは無理だな。そなたにそんな自由はないだろう」
「そうですか」
「ああ、しかし、すぐに都の雰囲気から離れるのは辛いから、男を連れて行く」
「男?」
「岩城実津瀬だ。伊佐に実津瀬をついて来させる。斎王の宮に入る直前まであの男の舞を堪能するつもりだ」
「………」
朱鷺世は黙った。
岩城実津瀬を連れて行く……自分ではなく、あの男を。
「ん?どうした?そなたも行きたかったか?」
朱鷺世は返事をせず、桂の持つ杯に酒を足した。
「もうよいぞ………寝る前にそなたと睦み合わないといけない」
桂は杯を盆の上に置いた。朱鷺世はいつものようにその盆を御帳台の下へと置いた。持ち上げたときなみなみと注いだ酒が杯からこぼれたが気にしなかった。
桂は岩城実津瀬を連れて行くという。
なぜ、自分ではないのだろうか。これまでも多くのわがままを押し通してきた桂なら、朱鷺世を連れて行くこともできただろう。岩城だって斎王に随行する役職にはないはずである。
あの男よりうまく舞うことができて、こうして閨に呼ばれてまぐあう仲なのに寂しいと言って最後までそばに置くのは岩城実津瀬だというのか。
桂の愛は自分だけに向けられていると思っていた自分は大いなる勘違い者だったのか……。
「朱鷺世、そなたとの出会いは私の世界を広げてくれた。そなたの舞はこんな舞が観られるのかと驚きと喜びに満ちていた。……さあ、私を悦ばせておくれ」
朱鷺世は桂の言葉で背後から薄い下着一枚を纏った体を抱きしめて、その胸の中に手を入れた。柔らかくて温かい桂の体。
舞の勝負に勝ち、最高の舞手だと褒めてくれた。宮廷の宴では必ず朱鷺世の舞を所望し、雅楽寮の長官にその願いを叶えさせた。宮廷で楽しむだけでは飽き足らず、この佐保藁の宮の宴に呼んでくれた。そして、閨に入れてこうして体を抱かせてくれた。
桂を舞と体で惹きつけることができるのは自分だけだと思っていたのに………真にはあの男には敵わなかったのか。
部屋の隅にある灯明で仄暗い中、桂と自分の喘ぎ声と体を擦り合わせる音が響く。
性交が終わると、朱鷺世は桂の体を両腕で抱いた。桂がまぐわった後の余韻に浸りたいというからだ。そして、二人は微睡の中に入っていった。
朱鷺世は目を覚ました。まだ夜は明けていない。外は真っ暗である。灯明台で小さくなった灯りが部屋の中を照らしてくれていた。
桂が目覚める前に起きて、この宮を後にするのがいつもであった。
朱鷺世は桂を起こさないようにそっと体を離し、御帳台から降りて自分の着ていた服をかき集めた。下着をつけて、袴を着けて、上着を着た。本来ならこんな上等な服を持つことはできなかった。全ては桂のおかげである。
「朱鷺世」
振り返ると桂が体を起こしてこちらを見ていた。
「桂様、起こしてしまいましたか?」
朱鷺世はすぐに御帳台の下に駆け寄って、昨夜脱がせた下着を取って桂の肩に着せかけた。
「いいや。別れの言葉を言いたい。明日からは伊佐に行く準備が始まる。そなたとはこれが最後だ。……もう私はそなたに手を差し伸べられない。あとはそなたの力で舞をさらに高みに持っていってくれ」
桂は朱鷺世の手を取った。
「そなたの舞を観るのは夢のようだった。これからも見たかった。伊佐に行ったらそなたの舞は夢の中でしか見られないが、きっと観るはずだ。何度もあの舞を……感謝している」
「……身に余るありがたいお言葉です」
そう言って朱鷺世は頭を垂れた。
閨を出て、勝手知ったる庭を横切り佐保藁の宮の裏門から外に出る。
それから宮廷と佐保藁の宮の間にある、大王から賜った自分の邸に入った。
桂に映る自分はこれまでと同じに見えるように取り繕った。しかし、内心はどうして自分を伊佐に連れて行かないのか……どうして自分の身の上を保証してくれないのかと考えていた。勝負に勝ったと思ったのに。いや、勝ったのだ。舞も体も朱鷺世を選んだはずなのにそれは永劫のことではなかった。桂が最後まで傍に置きたい男は岩城実津瀬だった。
見放されたらこれまで与えられていたものを維持できない。
これから自分はどうすればいいだろうか………。
「………ああ………」
朱鷺世は部屋に入るなり、膝から崩れ落ちてため息のような呻き声のような声を出した。
だいぶ時間が経って朱鷺世は顔を上げた。
よろよろと立ち上がり、邸を出て、宮廷に向かった。夜が明けたばかりのまだ暗い中を多くの役人たちが出勤している。その中に混ざって、朱鷺世は一番近い宮廷の門をくぐった。
そこから本来なら稽古場に行くべきだろうが、朱鷺世はそちらには行かず宮廷で働く者たちが寝起きする棟の方に行った。
朱鷺世は小さな邸をもらっても、宮廷内の部屋で寝泊まりすることはできるのだが朱鷺世の足は女人たちが寝起きする棟に向かった。
ああ、ここに来るのはいつぶりだろか………。
口減らしで生まれた土地を離れた時、一緒に都に入り、宮廷の下働きをして苦楽を共にしてきた女人。
露。
思えば舞の対決で朱鷺世が勝った後に会ってからここに来てはいなかった。なぜ来なくなったのかと考えると、桂と体の関係ができて、自分の欲望に困らなくなったからだ。露と交わることを嫌悪する気持ちがなかったと言えば嘘になる。
もう一年近く訪ねていないというのに、指笛を吹いてそれが自分たちだけがわかる合図がなったと気づくだろうか。
朱鷺世は庭と棟を分ける大きな木の陰に立つと、静かに息を吐いてから指笛を鳴らした。しかし、戸は開く気配はない。もう一度吹いた。反応はない。露が飛び出してくるなんてことは都合の良い妄想だった。
朱鷺世はその場に座り込んだ。
なんという思い上がりだろうか。
立てた膝の間に顔を伏して茫然とした。
その時。
「………朱鷺世?」
自分を呼ぶ声に朱鷺世は顔を上げた。
そこには本当に朱鷺世がいるのか訝しむような顔つきで近づいて来る露が見えた。
「本当に朱鷺世なの?」
「………露……」
「まぁ、上等な衣装を着て、立派な姿ね」
露は座り込んでいる朱鷺世の前に膝をついた。
「どこに行っていたの?私はずっと待っていたのよ」
朱鷺世は露を抱き寄せて、その肩に頭を乗せた。
流れる涙と嗚咽を隠そうとしたが、虫の良すぎる自分を抱き返してくれる露の優しさに我慢できずに咽び泣いた。
New Romantics 第ニ部STAY(STAY GOLD) 第九章18
小説 STAY(STAY DOLD)
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