都を出た斎王の群行は、最初の宿泊地である都毛に向かった。
天候に恵まれすぎて日が照りつけ、暑そうな桂に従者が傘を差し掛けて影を作った。
すぐ後ろについている実津瀬も頭を覆う帽子の間からこめかみへと汗が流れ落ちた。
桂の衣装は豪華である分生地は厚く、暑苦しいだろうが桂は背筋を正して、黙って澄ました顔で輿の上に座っている。
その背中を見つめていると実津瀬は喉の渇きを覚えた。
実津瀬は左手を挙げると、それを見た徒歩でつき従っている舎人が走って実津瀬の元に来た。実津瀬は馬上から身を屈めて舎人に伝えた。
それを聞いた舎人は後ろにいるこの群行を指揮する伊井(いい)実弥(さねみ)のところに走って行き話をした、その後すぐに実津瀬のところに戻ってきて耳打ちした。実津瀬は頷いて、列を外れて馬の足を速めて前を護衛する武官に近寄って耳打ちした。
それを聞いた武官は手を上げて馬を止めた。
実津瀬は馬を返して桂の輿に近寄り言った。
「斎王、少し休みましょう。あそこに大きな木があります。あの下で」
桂は頷いた。
実津瀬が指した木の元まで進み、輿は下ろされ、女官が桂の手を取って輿から出るのを手伝った。その間に侍女たちが桂が座る場所を整えた。群行の武官、女官、従者、侍女たちに桂の様子が見えないように幕を張って、その表に桂の座る椅子が置かれた。
佐保藁の宮で桂の世話をしていた侍女の鳴が水筒から瑠璃の杯に水を注いで手渡した。
実津瀬は幕の後ろで、他の武官、従者たちと一緒にしばしの休憩をしていた。
行列に並ぶ者たちがめいめい持っている水筒から水を飲み、座って話をしている。
そこへ幕の内側にいた女官が実津瀬に向かって歩いてきた。
「何かありましたか?」
女官が目の前に来た時に、実津瀬から話し掛けた。
「斎王が岩城様をお呼びです」
「わかりました。行きます」
実津瀬は寄りかかっていた木から身を起こし、呼びに来た女官と共に幕の内側へと入った。
「実津瀬か」
「はい。何かございましたか?」
「いや、助かった。そなたが休憩を進言してくれたのだろう。暑くて疲れていた」
「いいえ。斎王は儀式の中心であられ、ことにお疲れになっていることでしょう。そして、この暑さですから。都毛に早く着くにこしたことはりませんが、斎王のお体を一番に考えなくてはいけません」
「ふん。しかし、屋根の下で早く休みたい」
桂の子供のような言葉に実津瀬は柔らかな笑みを漏らした。
「承知しました。ここでしっかりと休憩を取ったら都毛に急ぎましょう」
そう言うと、幕の内を後にし、出発の算段をつけに伊井の元に行った。
都から伊佐までの道のりは、都毛、阿呆、川久知、一志の地に仮宮があり、そこに宿泊して斎宮に向かう。何の問題もなければ五泊六日ほどの旅程であるが、その間には山を越え、川を渡る。途中の道の状態によっては足止めをくらい仮宮と仮宮の間で、急遽部屋を借りて寝泊まりすることもあり予定の日数ではおさまらないことがある。
都でしか生活したことがない桂にとっては、これからの山越え、川渡りはつらい体験になるだろうと思えた。身近に仕えてきた侍女や女官たちもいるが、また別の意味で近くで桂を見てきた実津瀬が桂を助けたいと思っている。群行随行は桂から命じられたことであるが、それが今回随行する一つの目的でもあるので、桂に礼を言われる必要はないのだ。
実津瀬は伊井実弥のところに行って、桂の意向を伝えた。
「そうか。都毛はもうすぐそこだ。斎王がおっしゃるなら、すぐに出発の準備をしよう。この行列も都毛までだ」
そう言って下の者に出発の準備を命じた。
幕の後ろで行列に並ぶ者たちは立ち上がった。幕の内では、水を注いだ瑠璃の杯で喉を潤した桂が寛げた衣装を直した。
双方の準備が整ったところで、幕は畳まれて実津瀬が桂の手を取って輿まで連れて行った。
弱音を吐いたりする女人ではないが、その顔は疲れているのが見て取れた。
「すまぬな」
桂は輿に乗ると笑顔で言った。
「そなたがいてくれて助かる」
都毛に辿り着くと桂はすぐに仮宮に準備された部屋に入った。
都毛の仮宮では都から持ち込んだ海の幸山の幸の食材で料理が作られ、膳の上に所狭しと並べられた小皿の上に載っている。
桂は箸を取って、一口一口味わった後、すぐ人払いして実津瀬を呼んだ。
実津瀬はこの群行の警備をする仲間と共に食事をしているところに侍女がそっと実津瀬の隣にきて手にしている杯に注ぎながら囁いた。実津瀬が頷くと、侍女は実津瀬の隣に座る男に向いて杯に酒を満たすと去っていった。
実津瀬は頃合いを見計らって立ち上がった。群行初日が終わり緊張が解かれ、酒が入って座は乱れており、実津瀬がいなくなっても誰も気にする者はいなかった。
侍女は桂が呼んでいると伝えに来たのだった。
実津瀬は桂が休む部屋へと向かった。
「桂様、お呼びですか?」
実津瀬が簀子縁で部屋の入り口の御簾の外から声をかけた。侍女の鳴が内側から御簾を巻き上げて、実津瀬を部屋の中に入れた。
「呼んだ。足が疲れた」
侍女の鳴だけがいる部屋で桂は足を投げ出している。
「そうでしょう。輿の上で足を崩されることもなく姿勢を正して座っておられましたから、体も足もお痛みでしょう」
「その通りだ。足を揉んでおくれ」
桂はそう言って、目を細め実津瀬を舐めるように見つめた。
「はい」
実津瀬は抗うことは言わず、裳の上から桂の足先を掴んで反対の手で踵を受けて持った。群行中は足袋を履いていたが今は素足で、見ると赤くなっていた。ふくらはぎに手を当てて指、手のひらに力を入れた。
「素直に言うことを聞いてくれるのだな」
桂は脇息に身を預けて言った。
「素直に……とは心外です」
「そなたの心の内はこんなことは鳴にやらせたらよいと思っているのではないかと思ってな」
「鳴殿もお疲れのことと思います。それを気遣って、私をお呼びくださったのだと思っているのですが」
「ふん」
桂は鼻を鳴らして、実津瀬から顔を背けた。
「っ………」
桂が声を漏らした。
「痛かったですか?」
実津瀬はふくらはぎを掴む手を放して言った。
「いや、気持ちよい。続けてくれ」
桂の言葉に実津瀬は再びふくらはぎを揉んだ。
「輿の上から何にもない景色を見るのも良いものだな」
桂はつぶやくように言った。自分の今の身の上を思っての自虐的な言葉のように思えて、実津瀬はあえて返事はしなかった。
「もうよいぞ。重だるい感じがしていたがだいぶ楽になった」
「そうですか。明日は早く出発しますから、すぐにお休みください」
「ああ。そうする」
実津瀬はゆっくりと桂の足を下に置いて庇の間まで下がってそこで部屋を辞する礼をした。
「明日も道中のことよろしく頼む」
下げた頭を上げた実津瀬に桂は脇息に寄りかかったままにっこりと微笑んで言った。
翌日、群行に付き従う者たちは儀式の衣装から旅に備えた服装に着替え、履物も変える。馬の装飾も煌びやかなものから、実用的なものに変える。一部の荷は斎王より先に出て道の安全を確認しながら斎宮に向かうのだった。
しかし、斎王は同じ衣装のままである。群行を見送る者たちに斎王を見せるために、その金と緋の糸で作り、刺繍を施した衣装は外せないのだった。最奥にとって過酷な道のりだが、都毛から一つ変わることは、屋根がついた輿に乗ることだ。これで強い日差しや、突然の雨を防ぐことはできる。
都毛から阿保までの道のりは山を越えなければならず、輿を担ぐ者たちは難儀をした。馬に乗って警護する者たちも馬を下りて徒歩でいかなければならなかった。しかし、天候に恵まれて、大きな問題は起こらず山越えできた。
阿保に着いたその夜、実津瀬は仮宮の簀子縁から空を見上げていた。半月が出ているはずだが雲でその姿は見えない。
「明日は雨か?」
輿のすぐ後ろで馬を並べて警護している武官の飛騨理(ひだり)若麿(わかまろ)が横に並んで言った。
「そうだな……降るのではないかな」
「そうなると、一日様子を見るしかないか……」
「今日の山越えはうまく進んだが、皆疲れているだろうし、そこを強行してもよくないと思う。先はまだ長いのだから」
「まあ、明日、目覚めてから考えるしかないか」
と若麿は言った。
翌日、実津瀬は目を開ける前から雨だとわかった。雨音が聞こえているからだ。予想通りに雨が降っている。
群行を指揮する伊井は安全のためにこの日の出発を見送った。
桂は休めると喜んだが、午後に退屈だと言い放ち小さな宴会をしたいと言い出した。食事は質素でよい、酒は少々あればよいと言って、伊井実弥をはじめとする群行を進める役人たちを呼んで宴を行った。そこで案の定、舞が観たいと言い出して。
「岩城実津瀬、ひとつ舞ってくれぬか」
と懇願した。
桂の前に、そしてその左右に役人たちが並んでおり、左側の真ん中あたりに座っている実津瀬は顔を上げた。
「頼む。そなたの舞を見たら私は部屋に戻って休む。舞を見なければ気が済まない」
宴の席にいる者たちの目が実津瀬に向けられている。
断るわけにはいかず、実津瀬は立ち上がった。
「音楽も何もないがそんなことは気にしない。好きなものを舞っておくれ」
宴での三度目の勝負が終わった後から舞はしていない。五条の邸で息子の淳奈と遊び程度に、また本家での一族の宴で求められて舞うくらいだった。
実津瀬は宮廷の宴でよく舞われているかつて自分も舞った舞をした。ここにいる大体の者は見たことがある舞なので、音楽がなくてもわかると思ったのだ。
自信はなかったが体が思いの外動いて恥ずかしくない舞ができたと思った。
舞い終わると実津瀬は深く頭を下げた。
するとすぐに素晴らしいとの声と共に手を叩く音が聞こえた。
「ああ、やはりそなたの舞はよいな。斎宮までの道のりで、そなたの舞が観られると思うと気も晴れるというものだ」
桂はそう言うと。
「明日は次の仮宮に旅立つのだろう。部屋で休むとしよう」
立ち上がって自室に向かった。残された者たちは桂が立ち去ってほっとした顔で実津瀬を見た。
New Romantics 第ニ部STAY(STAY GOLD) 第九章20
小説 STAY(STAY DOLD)
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