New Romantics 第ニ部STAY(STAY GOLD) 第八章2

小説 STAY(STAY DOLD)

 蓮が体を起こすと、すぐに伊緒理の手が伸びて、腕を引っ張った。
 倒れる蓮の体を胸で支えて、耳元で囁いた。
「もう少しだけ」
 伊緒理は言って、蓮の体を引き戻し自分の腕の中に入れた。
 久しぶりに蓮は七条にある伊緒理の邸を訪ねた。
 夏の初めから、伊緒理は忙しくて、典薬寮の館でもすれ違いが多かった。
 それは陶国の船が難波津に着いたので、伊緒理が通訳を兼ねて一団を迎えに行ったことによる。真の目的はその船に乗ってきた医学書や薬草に関する本、本に載っている薬草そのものを受け取るためだった。そのまま難波津で歓待の宴に通訳として出席し、一泊した。帰ってきたらそれら持ち帰ったものを整理し、植物を土に植えた。それからは本格的に書物を読み込み、陶国の人に書物の内容や薬草を育て方を尋ねることに時間を費やしていた。
 そんなことで秋が深まりつつある頃になってやっと伊緒理の仕事が落ち着き、七条で会う余裕ができたのだった。
 蓮は曜を連れて七条に行き、すぐに伊緒理の部屋に案内された。自分の机の前に座っていた伊緒理は蓮の到着を聞くと立ち上がって庇の間まで出てきていた。
 典薬寮で顔を合わせることはあってもそれだけで、江盧館でに逢瀬も少なく思うように手を握ったり、まして、抱き合うこともできなかった。だから、蓮はすぐに伊緒理に抱きつきたいと思っていたが、部屋に入ると伊緒理の手が伸びてすぐに抱き締められた。
「……伊緒理」
「会いたかった」
「私もよ。私もあなたとこうして抱き合いたかったのよ」
 蓮の率直な物言いに、伊緒理は微笑み頬を合わせた。
 伊緒理は腕を解くと、蓮の手を取って隣の部屋の机の前に連れて行った。
「最近は典薬寮でもじっくりと話すことがなかったけれど、困ったことはないかい」
「はい。賀田彦殿や助手の侍女たちに助けてもらっていますから」
「そうか。よかった」
「伊緒理の方はどうなの?」
 蓮は伊緒理の机の上に置いてある巻物に目をやった。
「ああ、これは陶国から届いた書物だ。友人の陶国人から譲り受けてね、今、読んでいるところだ。読み終わったら解説を書いて、あなたに渡そうと思っている。あなたにそして、去様や礼様にも読んでもらいたいと思ってね」
「まぁ、去様もお母さまも喜ぶわ」
「うん、もう少し待っていておくれ」
 二人は並んで机に向かって、巻物を見ていたのだが、この文字はあの薬草のことだとか、この文字が何を指しているのかわからない、とその文字を指して話していたが、話すよりも触れるお互いの指が気になって、やがて伊緒理が蓮の指を掴んで立ち上がったのだった。
 奥の寝室には綺麗に整えられた褥と衾があった。
 伊緒理について褥の上に上がり、向かい合って座るとどちらからともなく近づいて抱き合った。
 後は互いの帯に手をかけて解き、服を脱がせて、褥の上に横になり再び抱き合った。
 久しぶりの愛の行為は体もそして何より蓮の心を満たしていった。こんなにも飢えていたのかと思うほどたった。
 まぐわった後、伊緒理の腕の中で話をした。
 蓮が伊緒理の将来の夢は何かと問いかける。
 伊緒理は少し考えてから口を開いた。
「まずは、礼様のように身近な人々を助けたいと思っている。この邸でも近所の者たちの怪我や病気を診ているのだ。邸の者たちが近所で熱が出た、腹が痛いなどと聞くと私のところに来て教えてくれてね。それでその家を訪ねて、薬湯を飲ませている。宮廷での活動もいいが、やはり近所の人々を助けて、元気になった姿を見るのはいいものだ。そして、去様のように薬草の研究をしながら、もっと多くの人々の病気や怪我を治したい。……特に、子供の治療をしたいと思っている。病弱だった私は、礼様の薬湯によって体が強くなったといっていい。私のような子供を一人でも多く助けたいと思っている。都近くに土地を得られたら、去様を見習って束蕗原のような活動をしたいと思っている。家を建て、薬草を植えて地域の人々の病気を診る。どんな小さな家でもいいんだ。その時の私にちょうど良い家を建ててね」
 伊緒理の声は弾んでいた。
「まぁ、それは良い夢ね。早く叶うといいけど、典薬寮には伊緒理が必要でしょう」
 蓮は頭に思い浮かんだことを咄嗟に尋ねていた。
「そんなことはない。賀田彦のような素晴らしい人材が入ってきている。私がいなくなっても問題はないよ」
「確かに賀田彦殿は有能な方ね。薬草の知識をたくさん持っておられるので、私も教えてもらうことが多いわ」
「そうだね。しかし、私は大王によって陶国へ行かせてもらい勉強させてもらった。その恩は返さなくてはいけない。だからまだ典薬寮での仕事をさせてもらうつもりだ」
「そう」
 蓮は伊緒理がいない典薬寮のことを思うと、自分の役目もそれまでだと思った。
「……蓮……、蓮の夢はなんだい」
 今度は伊緒理が尋ねた。
「私は……」
 言い淀む蓮に伊緒理は顔を上げて、腕の中で俯く蓮の顔を覗き込んだ。
「伊緒理の夢が叶うことよ。とても素晴らしい夢だと思う。きっと、去様もお母さまも伊緒理を応援するはずだわ」
 蓮は伊緒理の目を見て答えた。
「うん……私も去様、礼様という先達がいて、相談できるから心強いよ」
 伊緒理の言葉を聞いて、蓮は再び俯いた。
 伊緒理に言ったことは嘘ではない。でも、蓮自身の一番の夢ではない。
 蓮がすぐに頭に浮かんだ自分の夢は伊緒理と夫婦になることだ。そして父と母のように一つの邸に暮らすことだ。だから、伊緒理の夢が叶って、去の束蕗原のように都近くの土地で薬草を育て、研究をしながら村の人々を助けているその邸には、蓮が妻として住まわっているのが、自分が描く将来だ。
 しかし、それは自分から言い出してはいけない。
 きっと伊緒理も子供を望むはずだ。自分が築いたものを受け継がせたいだろう。
 蓮にはそれができないことは、一度目の結婚でわかっていることだ。それを隠して伊緒理と夫婦になるというのは罪なことだ。
 自分に子が成せないなら、伊緒理は他所に通えばいいと言ってしまったら、一度目の結婚の結末はなんだったのか。申し分のない夫を他所の女のところに通わせるのが耐えられないと言って別れたというのに、伊緒理とだったらそれが耐えられるというのか……。
 どうだろう……
 私はあの頃よりたくさんの経験をした。幼い心は少しは成長して我慢ができるようになったかもしれない……ううん。きっとできない。だから、そんな夢を語るべきではないのだ。
 俯いた蓮の顎に伊緒理が指を入れて上を向かせた。
「……暗い顔だ?何か心配事があるの?」
 伊緒理が言って、蓮の瞳を覗き込んだ。蓮は自分の中の気持ちを見透かされそうで、目を逸らした。
「いいえ。伊緒理とこうして抱き合えることが嬉しいの。その反面、いつまでこうしていられるか心配なのよ」
「いつまで?ずっとだよ。すっとだ」
 伊緒理は言って、蓮の顔に近づき、顎に掛けた指で支えて蓮の唇を吸った。
「ん……」
 蓮は呻き声のような返事をした。そして、二人は唇を離すと再び抱き合って目を瞑った。
 そして、そろそろ帰らなくてはならないと思い、蓮は体を起こしたのだった。
 引き戻された伊緒理の胸の中で蓮は言った。
「伊緒理の仕事が落ち着いたのならこれから頻繁に会えるでしょう。そろそろ帰らなくては」
「……あなたにたしなめられるとは。私は自分の事しか考えていないのだな」
 しょんぼりとした声を出した。
「そんなことはないわ。私もすっとこうしていたい」
 そう言って蓮は伊緒理の裸の胸に顔を伏せた。
「だけど、侍女を待たせているわ。帰りの道もあるから」
 と、苦しそうに言った。
「そうだね。遅くなっては礼様を心配させてしまう。苦しいけど、この手を離さないといけない」
 そう言って、伊緒理は蓮を抱く腕に力を込めた。
 蓮はこの幸せがどこまで続くのだろうか、考えた。伊緒理はずっと、と言ったが、それは永遠ではない気がするのだった。

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