桂は時より足がもつれそうになって、その度に朱鷺世は桂の体を抱き抱える腕に力を込めて支えた。
「ふう。飲み過ぎたようだ。すまないな、朱鷺世」
朱鷺世は貴人の匂いを嗅げるほど近づいたのは初めてのことで、内心は震える思いだった。しかし、ここで粗相があってはいけないと懸命に心落ち着かせて、桂の体を支えていた。
静寂に包まれた簀子縁をゆっくりと歩いていくが、桂と二人きりといわけではなく、いく先に侍女が控えていて、部屋の中から桂の閨の場所を教えるように灯りを手に持ってその先を示すのだった。
「そこだ、そこ。その御簾の下を潜っておくれ」
桂の言う通りに朱鷺世は上に巻き上げられている御簾を桂と共に潜った。
部屋の中は高灯台が置かれており、真っ暗な部屋の中を照らし出していた。
「酔うて歩けぬ。寝台の上まで連れ行っておくれ」
桂が朱鷺世の方に少し顔を上向けて囁くように言った。
朱鷺世は貴人の私的な部屋に、まして閨に入るなんてことはできないと躊躇して、御簾を潜ったところで止まっているのを桂は察したようだ。
「ぬ」
朱鷺世はなんとも言えない呻き声のような声を短く発して、部屋の奥へと入って行った。
奥に一歩近づくと朱鷺世の鼻になんとも芳しい匂いが香ってきた。
後で知ったのだが、桂が気持ちよく眠れるように特別な香りを焚いているとのこと。
もうこの世の部屋とは思えず、朱鷺世は桂を放り投げて逃げたい気持ちになった。しかし、そんなことをしたらこれほど自分の身を立ててくれる桂の機嫌を損ねてしまう。
これは、自分が将来変わらぬ庇護を受けるための試練なのだ。京都一の舞人という称号を得て、桂のお気に入りになる。貴人との接し方を学んで、もっともっと自分の地位を堅めないといけない。
「そこそこ、そこに腰掛けさせてくれ」
朱鷺世は指示に従い桂の体を寝台の縁まで連れていき、桂が尻を寝台の端に載せるのを見届けた。座ったというのに桂は朱鷺世の右手を放さない。放すどころか、その手を引っ張って言った。
「朱鷺世……私の隣に座っておくれ」
その囁き声の艶やかさに朱鷺世は心の臓を撫でられたように感じたが、そこに座ってしまっては容易に逃げることができないと再び躊躇する。
「朱鷺世……何を考えている?」
自分の考えていることを言うのが一番苦手だ。
朱鷺世は逃げたいと心では思っているが、それを言葉として声に出すことができない。しかし、言葉にすることができても言ってはいけないことである。
桂は朱鷺世の左手にも自分の手を伸ばし、握ると引っ張った。それで、朱鷺世は抵抗することなく、桂の右隣にすとんと座った。
この先どうなるのか?いつ、立ち上がったらいいのだろうか。あの御簾を潜って、どの方向へ歩いて行ったらいいのか。そんな事ばかりが頭をよぎった。
この寝台に横になる前に、今夜の宴の余韻に朱鷺世と少し話をしたいのだと思うのだが桂は黙っている。
桂が寝る前に自分が気を失いそうだ、と思っていると、座った時に放された桂の手が再び朱鷺世の左手の上に伸びた。
「……朱鷺世……」
朱鷺世は目に見えるほど肩を上下させて驚いた。
「そう驚くでない。これから私と一緒にこの閨で横になろうと言うのに」
と桂は言った。
朱鷺世は桂の言葉に心底驚いたが体は動かさず、目を左に動かしてちらっと桂を覗き見た。
桂は朱鷺世に顔を向けて、その横顔を見つめている。
酔ったと言うことだけあって、赤らんだ顔に潤んだ目でじっとこちらを凝視してくる。
「朱鷺世……腹が苦しい。帯を解いておくれ」
握った朱鷺世の左を掴んで桂は腹の前の帯の結び目に移動させた。
朱鷺世はその時、顔を桂に向けてその顔を見、そして桂の腹の帯の上に置かれた自分の手を見た。
「今夜、そなたに伽をして欲しい」
桂の言葉を朱鷺世はすぐには理解できなかった。
「嫌か?」
そんな問いかけにそうだと答えられるものではない。
朱鷺世はただ無言だ。
「朱鷺世、苦しいのだ」
桂に催促されて、朱鷺世は我に帰ったように桂の方を向き、帯の端を握って引っ張った。帯は難なく解けて、きっちりと合わさっていた桂の襟は少しばかり緩まった。
「ふう、楽になった。朱鷺世、そなたも楽になったら良い」
桂は自ら背子を脱いで、さらに帯を緩める。
朱鷺世は目の前の光景をただただ目を見開いて見ているだけだった。
「……どうした、朱鷺世?かしこまった席で疲れただろう?楽にしろ」
この部屋が楽にしていい部屋とは思えない。朱鷺世は桂に再度促されても、何もできなかった。
桂はさっさと服を脱いで下着姿になろうとしていた。その下着もしみ一つない、真っ白なもので、いくら桂が楽にしろと言っても朱鷺世は下着姿になるのは躊躇われた。
自分の薄汚れた下着など見られたものではない。
佐保藁の宮に着いて、案内された部屋に入って座っていると、老爺が盥を持ってきてくれた。それで舞の稽古で汗ばんだ体を一緒に置かれた白布で拭って、綺麗したのだが、ここまで近づくとは思っておらず、自分の体臭が気になった。招かれるのに自分が持っている一番いい服を持ってきたが、その下に着ている下着は薄汚れたものだ。
「……うっ……」
自分のみすぼらしさに耐えきれず呻き声を上げた。
「……朱鷺世、そう萎縮するものではない。楽にしろ」
桂は言うが、その言葉をどこまで本気に受け取っていいものかわからない。
朱鷺世が動かないので桂が手ずから朱鷺世の腰に撒かれた帯に手をかけて引っ張りその緑の上着の合わせ目を緩めた。
「……ふふ……そなたに寝物語をせよと言っても、面白い話ができるとは思っておらぬ。……他のことで私を悦ばせよ。そなた……女人を知らぬわけではあるまい」
朱鷺世はいいえともそうですとも言わず、桂の顔を呆けたような表情で見ていた。
自分はこの貴人にこれから何をして喜ばせたらいいのだろうか。
朱鷺世は穴が空くほど桂の顔を見た。
桂はふいっと朱鷺世から顔を逸らし背中を見せた。そして、足を上げて寝台の上に体を載せた。着けていた上着、帯、裳を取り去って下着だけになって枕の前に座り、足を投げ出した格好で朱鷺世を見た。
「朱鷺世……こちらへ」
その声で、下を向いていた朱鷺世は桂に振り向いた。
桂が手を伸ばして待っている。
朱鷺世は思わず身の乗り出し、寝台の上を這って桂の手を取った。
その従順な態度に桂は思わず微笑んだ。
「さあ、私を裸にしておくれ」
桂の囁きに朱鷺世は再び躊躇したが、桂に朱鷺世の手を引っ張って、自分の下着を留めている細紐の端を握らされて、その紐を引っ張ってしまった。
桂が自ら襟を掴んで、その下を持てという。朱鷺世は導かれて桂の下着を脱がせた。
小さな皿の上に灯る明かりは仄暗く、寝台の上は更に暗かったが、下着を脱がせた桂の体は光を放っているように見えるほど眩しく見えた。
「触れておくれ。乳を触っておくれよ」
桂が手を伸ばし、朱鷺世の手を取ると自分の胸へと持っていく。
朱鷺世は反射的に手の平を広げて、その豊満な乳房を掴んだ。
大きくて柔らかい。
それまでゆめゆめ桂と交わるなんてできるわけがないと思っていた朱鷺世だが、桂が求める悦びを与えられる体になったのだった。
「吸われるのも好きだ。首や乳、腹を唇でそっと、時にはきつく……」
と言って、蠱惑的な笑みを浮かべて桂は枕に頭をつけた。
朱鷺世は横になった桂の体の上に覆い被さり、その白い肌に唇を寄せた。
腹から上に向かって動き、その乳房の一番高いところを吸った。自然ともう一方の乳房に手が伸び掴んでいた。
「ああっ」
桂から悲鳴のような歓声のような声が上がった。
朱鷺世は我に返って身を起こした。桂のその傷ひとつ無い美しい体を痛めつけたのかと思ったのだ。
桂の顔を見ると、笑い顔だったのがすっとその笑みを引っ込めて言った。
「朱鷺世……いつ袴を脱ぐのだ。そのままではひとつにはなれん」
「あっ……」
自分の薄汚れた下着、そして汗臭さや垢のついた体がこの綺麗な体と交わっていいのかと思う。
「私の体は……」
「あれほど美しい舞をするそなたの体を見せておくれ」
そう言って桂は無情にも朱鷺世のはだけた襟を広げて、その胸の上に手を置いた。
「あなたのような貴い人を私が」
朱鷺世の言葉を遮るように桂が言葉を被せた。
「確かに私は王族の一人だ。しかし、だからと言って体に何か違いがあるかというと、そんなことはない。そなたと同じだ。違うことは、私が女でそなたが男だということだけだ」
この閨に入って、何度目だろうか。桂の言葉に朱鷺世は目を見張った。
「朱鷺世、こちらへ。裸になって私の隣へ来て、先ほどのように私の体を可愛がっておくれよ。天にも昇る気持ちだったぞ」
朱鷺世は上着、袴、下着を脱ぎ捨てて、桂の横に四つん這いになって歩み、寝そべると桂の首筋に唇を寄せて、強く吸った。
New Romantics 第ニ部STAY(STAY GOLD) 第八章8

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