秋は深まり山々が赤く染まり始めた頃、都の空は重く厚い雲が覆っているような重苦しさがあった。
それは大王の体がもう起き上がれないほど弱ってしまって、その命の火が細く小さくなって、いつ消えるのかを皇太后と大后は息を呑んで見守っていると言うような噂が流れ始めたからだ。
大王の容態の話は都を覆って、皆、暗い気分になっている中、蓮はその暗い気持ちになる暇もなく、忙しくしていた。
それはお腹の膨らみが目立つようになった藍の元に度々呼び出されているからだった。岩城家としては、一族の血を引く次期大王の子供が生まれるのだから、万全の支援をするつもりで、蓮も頼りにされることをありがたく思っていた。
最初の取り決めでは典薬寮には五日に一度の頻度で通うことにしていたが、今では二日連続で典薬寮に出仕することもある。
典薬寮での蓮の仕事振りは認められて、症状に合わせた薬草の選別の仕事を任されている。その合間に藍のところに行くことが続いていた。藍の呼び出しに応じていたら、やるべき仕事が終わらなくて、日が暮れるまで典薬寮に残ることもあり、また、次の日に短い時間であるが典薬寮に行って、残った札の症状に合わせた薬草の選別を行ったりした。
藍は初めてのお産だから、当たり前のことだがなにもかもが初めてで、少し過敏になっており、情緒不安定な時がある。岩城家から連れてきた子供の頃から世話をしてくれる姉のような侍女だけをそばに置き、他の後宮の女官たちは寄せ付けないのだ。
同じ岩城家出身の夫の有馬王子の母である碧の経験では、前大王の後宮に入って有馬王子を産むまでの間、後宮内での嫌がらせに悩まされていた。それを藍も当然聞いているので、少々疑心暗鬼になって、岩城家とは無関係の女官、従者は敵のように見えるのだった。
その中で、幼い時から一緒に育っている蓮は数少ない安心できる人物で、蓮が典薬寮に出仕していることをいいことに、呼び寄せて取り留めのない話の相手をさせ、蓮がもうこれでと退出しようとするともう少し話をしようと言い出して引き止めるのだった。
誰がどこで何を聞き、それが歪曲されて流れていくのではないかと思うと、藍は心穏やかにはおられず、蓮を手招きして膝が触れるほど近くに座らせ、頬が触れ合うほど顔を近づけて話をする。
岩城家にとっては待望の有馬王子の子であるが、王子には王族の正妻がおり、その間にはすでに王子が生まれている。もう一人王族の女人が有馬王子のそばにいて、昨年王女を産んだ。それに続いて藍が懐妊したのだった。
王族の血を濃く引く正妻との間の王子がいるところに藍が産む子が男子であったら、面倒な争い事が起きる可能性がある。男の子が生まれては都合の悪い者たちが、影に隠れて目に見えるように藍に嫌がらせをするのだった。
王位の継承について前例がある。
それは先代の大王の時、現大王と有馬王子の間にもう一人王子がいたが、岩城家が王子の生母と一緒に政争のなかで葬ったのだった。もし、その王子がいたなら、有馬王子が今こうして次期大王となることはなかっただろう。
その今はいない王子は、その時は葬るにあたいする理由があり王族たちから異論は出なかったが、内心、岩城家の策略と感じて苦々しく思っていた者もいた。少しでも隙を見せれば王族も同じように、岩城の血を引いた王子を葬ることを画策するかもしれない。
蓮は父実言からも藍とそのお腹の子のことを頼むと言われている。言われなくても蓮は藍への助力を惜しまないつもりだった。まずは何とか藍と子を身二つにしなければならない。そのためにも、藍の心と体の安らぎが一番になる。蓮は藍がまだ帰ってほしくないために始める会話に、内心渋々といった気持ちはあるが、付き合うのだった。
取り決めていた五日ごとの出仕をした翌日、蓮は典薬寮に出された症状を書いた札に合わせた薬草の選別の仕事をしに典薬寮に来ていた。
前日は藍が呼んでいると、後宮から使いが来て、来て早々に藍の元に行き、一日中話し相手になったため、今日は、昨日できなかった仕事をするために来たのだった。
宮廷の女官たちのところを周ってきた箱には、腹を下した、首が凝る、風邪を引いたなどと書かれた札がたくさん入っていた。それの一つ一つに合う薬草を選び袋の中に入れる作業をしていると、作業部屋にひょっこりと伊緒理が顔を覗かせた。
「蓮殿!来ていると聞いて、本当か確かめに来たのだが」
「伊緒理様!」
蓮は伊緒理を見てぱっと顔を輝かせたが、周りの典薬寮の女官にその嬉しそうな顔を見られてはいけないとすぐにその顔を引っ込めた。
「今日はどうして?」
「はい、昨日は藍様に呼ばれて話し相手になっていたら、時間を忘れて話こんでしまって、典薬寮での仕事ができなかったのです。なので、今日も来させてもらいました」
蓮が答えると。
「そうか………よく、続けて来てくれていると聞く。あなたは母上の手伝いもあるだろうに」
「いいえ、典薬寮のお仕事も大切な私の仕事ですからやりたいのです」
伊緒理は蓮の言葉に笑顔で答えた。
大王の容態の噂が広まるにつれて、大后は大王を助ける良い薬はないかと大王の寝室近くの部屋に待機している医師たちに詰め寄り、医師たちはこれまでも薬を見つける努力はしてきたが、前にも増して何か手はないかと文献を読み、薬草の調合を変えてと活動している。
だから、最近の伊緒理はさらに忙しくなり、蓮は七条の伊緒理邸に行くことはなく、また江盧館での逢瀬もできないでいた。
その代わり、時間があるときに伊緒理は典薬寮に来た蓮の顔を見に短い時間でも会いに来る。顔を合わせて、二言三言言葉を交わすだけ。それだけでも蓮は嬉しかった。伊緒理への信頼があれば、蓮は少々会えなくても平気だ。
でも、それは強がりだった。今、こうして久しぶりに顔を合わせたような会話をしたが、つい五日前に七条から使いが来て、久しぶりに七条の邸で伊緒理と会った時、嬉しさが込み上げてきてしゃくりあげて泣いたのだった。
「私も会いたかった」
泣く蓮を座らせて抱き寄せ、とんとんと背中をさすって伊緒理は言った。
忙しい伊緒理が会う時間を作ってくれたことが蓮は嬉しかった。
「あなたに言ったことが果たせないでいるのが心苦しいよ」
伊緒理は奥の部屋に行って、裸で抱き合った時につぶやくように言った。
「ええ、でも、仕方ないわ」
蓮は伊緒理の胸の中で顔を上げて返事した。
大王の御体が一番である。大王の健康問題が落着しなければ、蓮と伊緒理の仲を進めることはできない。
政に関わり合いのない二人だが、伊緒理は椎葉家という名門の家柄の生まれであり、父親と弟は宮廷でも高い位についていて、両家は政の世界で勢力争いをしている。そんな間柄の一族出身の二人が密かに結婚を考えている。それぞれの家にとってみれば、そんな選択はないものだし、伊緒理も若い頃は政敵の娘と結婚することはできないと思っていた。しかし、歳を重ねた今、政に関わり合わない二人であれはひっそりとこの愛を全うしたいという思いになった。
伊緒理は幼い頃から、父母、兄弟とは距離をとった生活をしていたが、蓮は親兄弟姉妹に囲まれて幸せに過ごしてきた娘である。自分との結婚で親兄弟姉妹と距離を置くことになってはいけないと思っているのだ。
なんの後ろめたさを感じることなく、この七条と五条の邸を行き来してほしい。
蓮も伊緒理が自分たちの関係にきちんとけじめをつけてくれようとしているのだとわかっている。
しかし、大王の健康問題は、二人の将来を足踏みさせる。それは仕方がないことと、二人は言葉にはしていないがいつか来る一緒に暮らせる日を待つ覚悟である。
「それでは、また」
伊緒理は座ることなく言って、部屋を出て行った。
医者たちは大王の体を今より悪くならないように保つことが使命となっている。交代で大王の寝室近くの部屋に詰めており、伊緒理はその合間に典薬寮に戻ってきたのだ。
伊緒理を見送った蓮は昨日するべきことをやってしまうとすぐに典薬寮を出て五条の邸に帰った。
最近の蓮の典薬寮への付き添いはもっぱら鋳流巳である。以前は伊緒理と江盧館で会う日は曜をつれて来たが、今は江盧館に行くこともなく、また藍の話に付き合って帰るのが遅くなることもあるためだ。
鋳流巳と一緒に宮廷の門をくぐって外に出る時、ふと頭をよぎったのは二度この門であった景之亮のことだ。
今日は会わなかった。
湧いて来たそんな思いを蓮はすぐに押し込めた。
まるで私は、会うことを楽しみにしているみたいじゃないの。
門をくぐった後の階段をゆっくりと降りる蓮に鋳流巳が手を差し出した。
蓮はその手を取って、階段を降りていく。
「だいぶ暗くなりました。最近は夜になると都に盗賊が出ると聞きました。早く帰りましょう」
鋳流巳に促されて蓮は足を速めた。
都は不穏な空気に包まれていることを感じ取ってか。大通りを行き交う役人、都で働く者、地方から来た者、皆、表情は暗く足早に目的地へと向かっていた。
New Romantics 第ニ部STAY(STAY GOLD) 第八章23
小説 STAY(STAY DOLD)
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