New Romantics 第ニ部STAY(STAY GOLD) 第十章8

小説 STAY(STAY DOLD)

 翌日、実津瀬は父実言と共に宮廷に出仕した。大王に帰京の報告のためだが、大王の代わりに近侍が出てきて、大王はご多忙のため自分が報告を聞いて、大王に伝えるという。これは邪推かもしれないが、重要な任務を終えて戻って来た実津瀬だが、大王は今も五条岩城の者に会えば榧のことを訊かれるので避けたのではないかと思われた。
 その後、実津瀬は斎宮の役人から形式的に任を解かれて、父と別れて自身が勤める中務省に行き、仕事復帰の手続きを取った。帰ったばかりだからといって三日の休日を与えられて、実津瀬は同僚たちに挨拶してから五条に戻った。 
 淳奈はお父さまが帰って来たと知ると、部屋から飛び出して簀子縁を走ってきた。
「お父さま!おかえりなさい」
 生き生きとした明るい声が離れに響いた。
 実津瀬は淳奈を抱き上げて今淳奈が飛び出してきた部屋へと向かった。その腕にかかる重みを感じてしみじみと言った。
「本当に大きくなったなぁ、淳奈。父さまは嬉しいよ」
 昨日は旅から帰ったばかりで髭を生やしていたが、風呂に入って髭を剃った今の顔は、日焼けをして痩せてはいるが淳奈が待っていたお父さまであった。
 淳奈は嬉しそうに父の首に両手を回し頬ずりした。
 部屋に入ると芹が赤さまを抱いて座っていた。
「先ほどお腹を満たして、今はとても機嫌が良いわ」
 実津瀬が赤さまの前に座ると、手を振って長い袖が揺れた。
 淳奈は父の手から離れて赤さまに近づきその頭をそっと撫でた。すると、赤さまは「あっ、あっ」と声を上げた。
「淳奈が気になるわね。あなたのお兄さまよ」
 芹は赤さまを淳奈に近づけて、淳奈の顔を見せようとした。
 淳奈はいつものように赤さまの閉じた指に自分の指を近づけてつんつんと突いて握ってくれるのを待った。赤さまはゆっくりと手を開き淳奈の指をぎゅっと握った。
「芹………赤さまの名前だけど」
赤さまが淳奈の指を握る姿に目尻を落として見ていた実津瀬は顔を上げて芹を見た。
「はい……」
「決めたよ」
「まあ、嬉しい」
「結(ゆい)。結だ」
「結……良い名だわ」
 芹は赤さまの顔を覗き込んだ。
「淳奈、赤さまは結という名だよ」
 父に言われて淳奈は声を上げた。
「ゆい?ゆいというの?」
「うん、そうだ」
「ゆい!私は兄さまの淳奈だよ」
 淳奈が結に呼びかけた。
「あなた、抱いてあげてくださいな、この子を。呼んでやってくださいな、その名で」
 芹は実津瀬の腕の中に赤さまを置いた。受け取った実津瀬は小さな赤子の顔を覗き込んで言った。
「結。そなたは結という名になったのだ。結。私のかわいいお姫様」
 じっと父の顔を見つめている娘の顔を実津瀬は見つめ返した。
 その夜、五条では実津瀬の帰京を祝うささやかな宴が催され、蓮と景之亮も招かれた。
 その場で実津瀬は赤さまの名前を披露した。
 赤さまとしか呼べなかった子に名前がついたと、誰もがその名を呼びたがった。
「結!」
「結殿!」
「ゆーい」
 乳を飲んだ後で機嫌よくいる結は乳母に抱かれて皆の前に顔を見せて回ってその名で呼んでもらった。皆その顔を覗き込み、腕に抱く者もいた。結と淳奈は少し顔を見せて離れの部屋へと下がると、その後は大人だけで食事を楽しんだ。
 そこでの会話はやはり実津瀬の都と斎宮の往復の道のりの話になった。
 実津瀬は行きの群行という大勢の者たちを引き連れて行く大変な道のりを話した。斎宮の手前の松尾の宮に辿り着いて台風に見舞われたこと。大変な雨と風で建物の屋根が壊れて、建て直しの手伝いと、宮廷に提出する書類の作成の手伝いをしていたこと。特に行きも帰り阻まれた川の増水の話は言葉が多くなった。そして、帰りの川を渡って風邪を引いた時間がかかったことを白状した。
 皆無事に帰って来たことを改めて喜んだが、天気などの自然に左右されたことをだけが半年以上も帰って来られない理由ではない。実津瀬は桂のことも話した。
「桂様はそのお役目を引き受けられたわけですが、やはり、斎宮の前まで行っても都への未練を断ち切るのには時間が必要だったようです。前斎王が斎宮を出られたというのに、すぐには斎宮には入られませんでした。年を越す前にやっと気持ちに区切りをつけられたのでしょう、年を越したら斎宮に入ると言われました。そして、斎宮出立の日、都の未練を断ち切った後の桂様の斎宮に向かう姿は立派でした」
 実津瀬は続けた。
「私が残ったのは斎宮へ向かわれる桂様のお姿を見届けるためだったと思います」
「そうか」
 と実津瀬の言葉の後を引き取って実言が話し始めた。
「宮廷では斎宮が空っぽになってしまったと聞いて、どうするべきかと悩んだのだ。新年の挨拶の使いを出して、お気持ちを聞こうとしたが、入れ替わりで松尾の宮の使者が到着して、桂様は斎宮に入ると知って、皆、ほっと安堵したんだ」
 皆、実津瀬の苦労を聞き、その労をねぎらった。
「それよりも私がいない間に、二人の仲が戻っているなんて、想像できなかったよ」
 実津瀬は向かいに座る蓮と景之亮を見て言った。
 話が自分たちに向けられて、二人は顔を見合わせて照れ笑いをした。
「責めているわけではないよ。嬉しいよ。何より蓮が嬉しそうだ」
 実津瀬は続けた。
「二人が別れても景之亮殿とは昔と変わらない間柄だったけど、やはり妹の夫と思うと、より親しみを感じる。どうだい再び一緒に暮らして」
「やはり、二人の子供たちのお世話をするのは楽しいわ。下の子はまだ赤さまで何もわからないと思っていたけど、誰にお世話されているのかをわかっているの。私と他の者とでは違うということがわかっているようなの。そして亘殿も慣れてきて、遠慮なくわがままを言ってくれるようになったわ。喧嘩をすることもあるけど、その後にお互い謝ったりしてね。親のように振る舞おうと思うと大変だけど、楽しいことよ」
 蓮の言葉に景之亮は頷いて言った。
「子供たちは蓮のことが好きです。今日私たち二人で出かけるのが気に入らないようで、亘は自分も連れて行けと駄々を捏ねて大変でした。本心は蓮と一緒にいたいのでしょう」
 景之亮は再び蓮と顔を見合わせて笑い合った。
「そうですか……蓮は子供好きだから、子供も好かれているのがわかっているのでしょうね」
 実津瀬が返事した。
 実津瀬がやっと五条に帰ってきた。五条岩城の悩みは一つ減った。あとは榧が帰って来さえすればいい。しかし、榧は王宮の一室に閉じ込められて、一日何をしているのか、生きているのかもわからない。
 実津瀬は都に戻った時に榧が邸にいるのではないかという淡い期待を持っていたが、現実はそんな喜びを与えてはくれなかった。
 話が弾み夜も更けたから蓮と景之亮に泊まって行けというのに、蓮が景之亮の長子の亘が朝、目を覚まして誰もいないと寂しがるだろうから帰るという。
 皆が蓮たちを見送った。
 芹は産後の体だからと見送りはせず離れの部屋に戻って、寝衣に着替えて横になった。
 蓮たちを見送った後も、実津瀬は母屋で話すことがあるのだろう。すぐには帰ってこなかった。
これで実津瀬が伊佐に行く前の生活を取り戻した……と思うが、前と同じかと言えば、違う。
 当たり前だが自分たちを隔てた半年という長い時間が変えてしまった。
 夫を信じると言ってもこうも帰って来ないと疑心暗鬼になって、自分の賭けは間違いだったと思った。
 しかし、最後は賭けに勝ったのだ。実津瀬は帰ってきた。
 そして変わらない愛に包まれたと感じる……。
 なのに自分の心は屈託なくとは言えない。
 そのことに申し訳なく思うのだった。
 実津瀬は気づいているだろうか、この気持ちに。
 妻戸が開き閉じる音がし、庇の間の板が軋む音がして、芹は体を起こした。
 案の定、几帳の陰から実津瀬が現れた。
「疲れただろう。横になっていていいんだよ」
 実津瀬は褥に上がって、芹の隣に座った。
「………どうしたの?」
 微動だにしない芹に実津瀬は顔を覗き込んで尋ねた。
「体が辛いかい。横になろう。無理はいけないよ」
 実津瀬は言って、芹の体に手を回すと一緒に横になった。
 芹は実津瀬の背中に回した手を離さなかった。
「どうしたの?」
 実津瀬も芹を抱いたまま訊いた。
「………」
「芹………今夜の話はあなたを傷つけたかい?」
 実津瀬の言葉に芹は思わず顔を上げて言った。
「……いいえ」
 芹はそう答えたが、本当は桂のために夫は半年も足止めされたことに腹が立っている。
「嘘はいけないよ。我慢していないかい?」
「本心を言うなら」
「言っておくれ」
「……女王に尽くすあなたが嫌なの。仕方ないと思っていても、苦しいの」
「うん。すまない。返す言葉がないよ」
「あなたは私のものよ。それなのに女王に好きにされるのが嫌なの」
「その通りだ。私は芹のものだよ。これからはあなたの言うことだけをきく」
「ずっと私のそばにいて」
「いるよ。私たちを引き離すものは無くなった」
 芹は自分の気持ちを言っているうちに涙が溢れてきた。
「泣かないで、愛しい人」
 実津瀬は言って、芹の右目の目尻から落ちる涙を拭うように口づけた。
「私はあなたなしでは生きていけない」
 実津瀬の言葉に芹は目を見張った。
 そんなことは絶対にないはずなのだ。でも、その言葉を信じたい。
 夫を疑い、蔑ろにされたとそれにこだわることはできるが、それを持ち続けてどうなると言うのか。
 我が夫への愛がこれからも変わることはないのだから。
 そのまま添い寝をしてくれる夫に芹は自分の中のわだかまりを溶かして行くのだった。

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