New Romantics 第ニ部STAY(STAY GOLD) 第九章21

小説 STAY(STAY DOLD)

 翌日は前日が雨だったことが嘘と思うほどに晴れ渡って青い空が広がり、群行一行は阿保から川久知に向かって旅立った。
 輿に屋根が着いているといっても、今日はよく日が照って桂は顔を顰めて、時折手に持っている扇子で風を送っている。
 空は晴れているが道は前日の雨でぬかるんでいて歩く者たちの歩みは遅くなる。輿を担ぐ者も足元を気にして速く歩くのは難しい。
 実津瀬は輿の前で馬を進めていると、道の反対側から息を切らせて走ってくる男の姿が見えた。
 着ている上着がこの群行のために揃えられたものだからすぐに先駆け隊の一人だとわかった。
 群行の先頭を行く武官が手を挙げて列を止める合図を送った。実津瀬の隣にいる飛騨理が体を捻って大きな声で「止まれ」と言って皆、その場で足を止めた。
 報告を聞いた武官は馬を下りて輿のすぐ後ろにいる伊井実弥に報告した。
 その内容はこの先にある川が普段は浅く歩いて渡れるのだが、昨日の降雨で増水して、渡るのは難しいというものだった。
 伊井実弥は川の手前まで行列を進めてそこで休憩を取ることにした。そして、まずは川を見ないとなんとも判断できないと、川のそばに住む住人たちとともに川岸に立って濁った水の流れを見つめた。
「水嵩もあり、また流れも速いな」
 伊井実弥は言った。報告通りに川は人の太ももまで水が増しており、係留されている小舟を使って渡るのも難儀そうである。
「一日経てばいつもの歩いて渡れる水量の川に戻ると思います」
 村の年配の男の経験からの言葉に伊井実弥は頷き、ここで一日待つと決断した。
 川の両側には集落があり、その中の一番大きな家に宿をするよう命じた。桂は女官に連れられて家の中に入って辺りを見回した。
 王宮や佐保藁の宮の部屋に比べたら、人が住む部屋かと思うほど殺風景だった。土間と一段上がった板間、板と藁で覆われた壁。屋根も板で覆っていて、隙間から青い空が見える。これで本当に雨風が凌げるとは思えない。家の中は昨日の雨でじめっとしており、土間の土はぬかるんでいるため、板を渡して、その上を歩いて桂は板の間に上がった。
 行列の中の荷物持ちたちが桂のための身の回りの物を入れた箱を担いでいる。こんなこともあるかと、その中に寝具も入っており、その日その上で桂は眠った。他の者たちは桂のために借りた家の軒下や近くに建つ物置小屋の壁に寄りかかって休んだ。
 そんな中でよく眠れるはずもなく、翌日の桂は不機嫌で侍女の鳴の問いかけにも、ふん、ふうん、としか返事をしない。
 食事も携帯している保存可能な硬いものばかりで美味しくもなく、桂はさらに不機嫌になった。
 実津瀬もそんな桂の機嫌を取ることもできず黙って、輿の後ろについて川のほとりに向かった。そこに着くと、確かに昨日見た川の水量は減っており、流れも緩やかになっている。
「いつもの川とは言えませんが……渡れないことはありません。舟もありますので」
 集落の長は一緒に川を眺めて言った。
 伊井実弥はもう出発すると心に決めている。
 幕を張ってその内側に桂を入れて休ませている間に村人の手を借りて一度馬や舟を使い必要な荷物を運んだ。川を渡れることが確認できたので、舟が戻ってきたら、次は桂を乗せて渡ることにした。幕の内から鳴に付き添われて桂は舟着場に来た。
 舟に乗るのは桂と侍女の鳴である。
 川は男たちの膝下くらいの深さである。舟の左右の縁に金具が四つずつ付いており、そこに縄を結んでいる。
 斎王の護衛の武官たちが衣服が濡れないように袴をまくり上げた姿で舟についている縄を持った。実津瀬も袴を折りたたんで太ももまで上げてずり落ちないように紐で結んだ姿でその中の一人として加わっている。
 舟の前を伊井実弥が進み、その後ろを舟を引く男たちが続く。男たちは舟の舳先の綱を持つ者の掛け声に合わせて一歩一歩水の中を歩いて行く。他の男たちも掛け声に合わせて声を発し、水の流れに緩やかに逆らって進む。桂を守るはずの侍女の鳴は水が怖いと桂にしがみついているが、桂は顔を上げて面白そうに男たちの様子を見ている。
 川を渡り切ると、舟を動かないように支えて、桂が下りるのを手伝った。その後、舟は村人の手によってまた反対側の岸に向かって引かれていった。
 すでに運んだ輿の準備が整うまで桂は木の下で休んだ。
 実津瀬は桂の側に来て跪いた。
「斎王、ご気分はいかがですか?」
「うむ、楽しかったぞ。王宮の池での舟遊びとは違う」
 それまで不機嫌だった桂は初めての体験を面白がる子どものような、生き生きとした表情に変わっていた。
「男たちの姿も面白い。実津瀬も袴を腿までまくり上げていたな。そなたは毛深いのだな、実津瀬」
 とけらけらと笑った。川から上がるとすぐに袴を下ろしたが、川を渡る間、桂は自分の周りをしっかりと観察していて、袴をまくり上げた男たちの姿や足を覆う毛までも見ていたのだった。
「お見苦しいものをお見せしました」
 実津瀬の言葉に桂は言った。
「いや、男たちが私を大事に、体を張って伊佐まで連れて行こうとしてくれている姿に感心した。私はわがままばかり言っていてはいけないと、心を改めなければと思っているところだ」
 輿の準備ができたと女官が言いに来た。
「まだ全ての荷や人が川を渡りきっていないな」
「ええ、もう何度か行き来しないといけませんが、斎王が必要なものは既に川を渡っています」
 と実津瀬は答えて、桂は納得した。
 川を渡った後の群行は順調で、桂の輿は日が暮れる直前に川久知の仮宮に到着した。
 既に整えられた部屋に桂は入って寛いだが、護衛をしていた武官たちは松明を持ってまた道を戻って、後ろから来る荷物を持った従者や侍女たちの助けをした。日が暮れて道に迷わないようにそして盗賊を防ぐためにも必要なことであった。
 最後の一人が仮宮の門を潜ったのは深夜であった。
 夕餉が終わった後、桂は実津瀬を連れて来いと言った。しかし、実津瀬は群行の安全を見守るために道に出ていてまだ仮宮には戻っていなかった。
 深夜、仮宮に戻った実津瀬は伊井実弥からそのことを聞いて、庭から桂の部屋の前に行った。朝は川を渡ってそこから陽が沈むまで動き通しだったから桂はもう休んでいると思ったが、部屋は明かりが漏れていた。実津瀬は声をかけるべきか躊躇したが結局、小さな声で呼びかけた。
「桂様」
「………」
 部屋の中は静かである。慣れない部屋で灯りを点したまま桂は眠ったのかと思い、去ろうとした時に御簾が上がった。御簾を上げたのは鳴である。中から声がした。
「実津瀬か。こんなに遅くまで仕事をしていたのか」
 桂が御簾の前まで出てきた。実津瀬は階の下に行き跪いた。
「はい。群行の随行した者全員が先ほど仮宮に入りました」
「そうか」
「私をお呼びと聞きました」
 実津瀬は顔を上げた。
「そうだ。足を揉んでもらいたかったのだ」
「そうですか、よろしければ今からでも」
「よい。待ちきれず鳴に揉んでもらった。それに、そなたは今まで働いて疲れているだろう」
「私のことは気になさらなくてもいいのですよ」
「そうはいかない。そなたがいなければ私は伊佐まで行けないからな。部屋に戻って休め」
 実津瀬は桂の言葉に従い、頭を下げて下がろうとした時。
「皆にもよく休めと伝えておくれ。今日も大変だっただろうからな」
桂はふっと笑みを見せて翻り、奥へと下がって行った。
 翌日、伊井実弥は朝、桂に呼ばれた。何事かと思ったら、今日は一日休むと言うのだった。
「それは!」
「昨日はあばら屋で寝て起きて、川を渡り、夜遅くにこの仮宮に着いた。私もだが、皆も疲れているだろう。今日は体を休めて、次の仮宮に行けば良いと思う。斎宮にすぐに入るわけではないのだから、急がずとも良いではないか」
 桂の言葉は願ってもないものだった。深夜仮宮に入った者たちはそれですぐに休めたわけではなく、翌日の準備をして眠りについたが一刻経ったら夜明けが来て起きたという者もいる。
 川久知から一志までの道のりは山間を抜けて行くので登り下りがあり体力を使うものだった。できることなら随行者たちをしっかり休ませたいと思っていたが、桂自身には困難はないので出発しなければならないと考えていたのだ。
「よろしいのですか?」
「ああ、私は別に伊佐に喜び勇んで行きたいわけではない。途中のこの仮宮で遊ぶのも悪くない。私は音楽と舞があれば良いからな」
 伊井実弥は桂の言葉を受け入れて、この日は休むことに決めた。
 出発のために荷の準備をしていた者たちは自然と喜びの声を上げすぐに部屋に戻ってもう一度寝ることにした。
 桂も大きな口をあけて欠伸をし、部屋に戻って褥の上に寝転がった。
 翌日、夜が明ける前に群行一行は川久知の仮宮を出発した。
 今日一日で一志の仮宮に辿り着くことを桂も望み、夜明け前の出発に賛成した。一日の休日を得た随行者たちからも文句はなかった。
 一志までは山間の道で登り下りが多く、途中途中で休憩をとりながら進み、一志目前で日が沈むと皆必死で歩を速めてなんとか仮宮に入ることができた。
 桂は夕餉を食べ終えると、部屋に実津瀬を呼んだ。
 実津瀬は夕餉を掻き込むとすぐに桂の部屋に向かった。
「実津瀬、すまぬが足を揉んでくれぬか」
「はい」
 実津瀬は素直に桂の右側に座って投げ出された足を持ちふくらはぎを手のひらで揉んだ。 
「ふう、明日でこの旅も終わりか」
「はい」
 一志からすぐに斎宮へと入るわけではなく、その手前の松尾という場所にある宮に入る。そこには半日あれば余裕で辿り着く。そこで斎王交代の準備をし、整えば新しい斎王として斎宮へと入るのだが、その準備期間は数ヶ月に及ぶと思われた。
「道のり、天気と大変なこともあったが、無事にここまで来られた」
「はい」
 実津瀬は桂の言葉に頷くが足を揉むことに専念している。
「しかし………そなたは私が斎宮に入るまでは側に居てくれ」
 実津瀬は顔を上げた。
「次の松尾の宮では斎宮に入る前の準備があるのだろう。そなたはすぐに都に帰るつもりだろうがそうはさせない。斎宮に入るまで、そなたは私を楽しませてくれなければならない。昨日、私のために舞を見せてくれように」
 川久知で一日休んだ時、実津瀬は桂に呼ばれて舞を舞ってみせたのだった。
「……ほら、手が止まっているぞ」
 桂の無体な言葉に思わず桂のふくらはぎを揉む手が止まったが、桂に言われて実津瀬は再び手を動かした。
「……桂様……私は……道中のお供だけと思っておりました。本来であればこの群行に加わる者ではないのですから」
「………そなたの献身には感謝している。しかし、ここまで来たのだから、最後まで。私がこの未練たっぷりの俗世と別れるその際までは側にいておくれ」
 実津瀬は再び顔を上げた。
 そこには実津瀬を試して面白がるような桂の表情はなく、ただただ懇願する女人の顔があった。

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