New Romantics 第ニ部STAY(STAY GOLD) 第十章3

小説 STAY(STAY DOLD)

 明日は桂が斎宮に行く日である。
 今夜、宴が催される。
 明日から神に仕える身の桂は今夜、俗世と訣別をするつもりだ。
 いつもより入念に化粧をし、髪は何度も櫛でとき、一つにまとめて頭上に上げて、都から持ってきた一番美しく上等な衣服を身につけた。
「広間までは寒うございますからこちらを」
 侍女の鳴が碧と朱色で織り美しく細かい刺繍を施した豪華な上着を着せ掛けた。十分に綿を入れているので温かく寒さから桂を守る。
 宴はまだ西の空が明るいうちに始まった。
 斎宮からは主だった人物は誰も来ていない。桂が招待しなかったからだが、呼ばれても斎宮からは誰も来ることはない。
 宴に出席するのは、桂と共に都からついてきて一緒に斎宮に入る者たちと松尾の宮を守っている者たち、斎宮から明日、桂の警護をするために松尾の宮に来ている者たち、そして実津瀬だ。
 この日の料理は宴にふさわしい豪華なものを準備したかったが桂を支える者たちには食材を集める力はなく、通常の質素な食事が膳の上に並んでいる。
 しかし、桂は文句を言うことなく、料理を美味しそうに頬張り、酒を飲んだ。
 席は桂を正面に左右に分かれて向かい合わせに座っている。
 桂の右側の列半ばに座っている実津瀬が立ち上がって、桂の前に進み出て酒の入った徳利を傾けた。
「実津瀬は飲まないのか?」
 桂は実津瀬に注いでもらった酒を一口飲んで訊いた。
「私は後ほどいただきます」
 これから舞うので今は飲まないため、実津瀬はそう答えた。
「ふむ、楽しみにしている」
「はい。心を込めて舞います」
 実津瀬は再び自分の席に戻った。
 それからしばらく食事と酒を楽しみ、陽が暮れると舞の時間が来た。
 都の楽団の演奏と共に舞をするような完璧なものは作れないが、笛、琵琶、太鼓と限られた楽器を持った奏者が簀子縁に座りいつでも音を奏でられるように準備した。
 今夜は月夜で庇の間に立った実津瀬を照らした。
 松尾の宮に舞のための衣装などないが、古びた朱い男物の上着を見つけて、少しは雰囲気が出るのではないかと実津瀬はそれを纏っている。
 実津瀬は肩幅よりも少し狭く足を開いて立ち、肩の力を抜いて横に下ろした手はゆったりとしていて、いつでも音楽に反応できる。
 桂が右手を上げたのが合図で、奏者は演奏を始めた。
 実津瀬は音楽に合わせてまずは右手を高く上げて、同じく右足を上げて踏み出し、その場で足踏みをしながら体を回転させていく。部屋を大きく使い前後左右とゆっくりとした舞で移動して、実津瀬がこれまで極めてきた型の美しい舞を見せた。
 桂は宮廷で大王が主催する宴の時やそして自邸での極々小さな宴の時のように、今も目の前の実津瀬の舞に目を輝かせて食い入るように見つめている。
 手の先、足の先まで気の行き届いた魅せることに拘った美しく力強い舞はやがて終わりを迎える。
 曲調は速くなり、実津瀬の舞もそれに合わせて速くなった。音楽は徐々にゆっくりになり、最後に笛の音が響き渡る。
 実津瀬は笛の音に合わせて広げた手をゆっくりと下ろし、足を揃えたところで終わった。
 桂の両側に列になっている宴の出席者たちは笛の音が止むと一斉に拍手した。
 桂は微笑みをたたえて。
「皆、見たか!これが……これが都随一の舞だ!これほどの舞を舞える者は他にいない!」
 拍手の中、その音を凌駕するほどの大きな声で桂は周りの者に言い聞かせた。
「実津瀬、こちらへ」
 拍手が鳴り止むと桂は言った。
 実津瀬は素早く前に進み桂の前に平伏した。
「もっと……もっと近くに」
 実津瀬は膝で桂の面前に進んだ。
「素晴らしい舞だった。最後の舞を心に刻んだ。そなたに褒美を取らせたい」
「有難いことです」
 実津瀬はさらに頭を低くして答えた。
「実津瀬、舞が終わらなければ飲めなかった酒だ。受けておくれ」
 桂は自分の横に置いてある盆の上に目を移すと、そばに控えている侍女の鳴が盆を持って実津瀬の前に差し出した。実津瀬は上体を起こして両手でその上の盃を手に取った。もう一つの膳を差し出された桂はその上に載っている徳利を取って、身を乗り出し実津瀬があげた盃に酒を注ぎながら実津瀬の耳に顔を近づけた。
「褒美は……今夜……私の部屋まで取りに来ておくれ」
 桂は言った。実津瀬は盃に注ぎ続けられる酒を見つめて、眉根を少し動かした。溢れそうになったので盃を高く上げて、桂に注がせないようにした。
 そこに桂は更に囁いた。
「待っている。いつまでも」
 その声は澄んでおり、大広間の中には大勢の人々がいると言うのに、二人きりのような気がした。
 実津瀬は盃を一気に飲み干した。
 そこで周りの話し声が耳に入ってきた。多くの人が実津瀬の舞について感想を言い合っている。誰も、桂の囁きがどんな内容かなど興味はなさそうだ。
 実津瀬は明確な返事をできないまま、盃を盆の上に返して、もう一度深く平伏し自席に戻った。
 席に戻ると実津瀬の右隣に座る男はこの松尾の宮の警備をしている官人で、実津瀬の舞を素晴らしいと讃えた。その昔、宮廷に出仕し、宴の末席に拝したことがあった。その時、雅楽寮の舞人が舞った舞が頭に蘇ってきて都の生活が懐かしいと言った。
 左隣の男は、この土地の出身で都の舞を初めて見たと感激して上気した顔で土地の訛りを隠さず早口で話した。そして。
「ま、一献受けてください」
 そう徳利を持って言い、実津瀬の盃に勢いよく酒を注いだ。
「ああ、もう十分です」
 実津瀬は並々と注がれるのを断って、いただきます、と言って一気に飲み干した。
 急に雑談の声が止んだ。上座の方の動きを察知して下座まで伝播して広間は静かになった。
 実津瀬が上座を見ると、正面に座る桂が席から立ち上がるところだった。
「私は明日に備えて部屋に下がらせてもらう。皆は存分に楽しんでおくれ」
 桂はそう言って部屋を出て行った。
 桂が退出してその足音が聞こえなくなってからしばらくすると、広間に話し声は戻って騒がしくなり、食事と酒を楽しんだ。
 実津瀬は注いでもらった少量の酒の入った盃の縁に口をつけるが唇を湿らせるだけだった。
 その間、今夜、桂が言ったように褒美を取りに部屋に行くべきがどうか考えていた。
 褒美とは今夜実津瀬を部屋に来させるための嘘で、桂の望みは別にあるように思う。
 実津瀬はその望みが何かはわかっている。
 これまで何度もそれとなく、ときにははっきりと誘われてきた桂と自分の間で交わす性愛だ。
 きっと、今夜、部屋に行けば求められるはずだ。
 明日は桂との別れの日である。
 桂は斎王としてどれくらいの期間この伊佐にいるだろうか。誰も先のことを知ることはできないが、実津瀬はこの先二度と桂に会わないのではないかと思っている。
 これまでの桂との関わりを思い起こす。
 王族と言っても主流ではないが、舞管弦をよく知っていることで先代大王がよく傍に呼んで、宴の舞管弦に意見を求めるようになった。その中で舞っていた実津瀬は見出された。
 実津瀬の舞への情熱を形に実現させてくれた人であることは間違いない。好きな舞に精進し、僭越ながら大王の前で何度も舞を披露する栄誉を得た。雅楽寮の舞人と都一の舞人を決める勝負をし、その間、舞に思う存分熱中し、極めることができたのも桂のおかげだ。
 桂の舞管弦に対する情熱は素晴らしいもので、その直向きな姿に心を打たれた。
 桂という女人は気儘で傲慢であるが、芸への情熱は素晴らしく、芸を極めようとする者たち全てを支え、その障害になるものを排除し、極めるための責任は全て引き受けると動じない姿は感服する。そして、王族という選ばれし血筋を誇りに思いその矜持を持って活動し、芸の話や庶民の生活を思う桂は為政者の側面を見せた。その姿に実津瀬は尊崇の念を持った。
 実津瀬が一瞬でも桂を愛したことがなかったか、と言ったらそれは嘘になる。 
 桂は実津瀬よりも随分と年上で、年に応じた妖艶な姿を見せるが、子供っぽいところもある。博識で異国から来た人物との繋がりもあり話題は尽きず、話していて飽きない人だ。
 しかし、桂と性愛を紡ぐほどの仲になることを夢見たかというと……。
 実津瀬はいくら盃をあおっても、酔いが回ってくることはなかった。
 周りを見渡すと、宴という体裁はなくなり、男たちは気の合うもの同士で小さな輪になって久しぶりの酒をあおるように飲み、話を弾ませている。
 実津瀬はその輪には加わらず、席を立った。
「岩城殿もようやく都に帰れますな。明日、出立ですか?」
 昔、都にいたという隣の男が言った。
「いいえ。明後日に出立するします」
 実津瀬は答えて、部屋に戻ることの詫びを言った。
 実津瀬は自室に戻った。半年近く過ごした部屋だが、何もない。借りた夜具を自分で敷いて寝るだけである。
 今、桂は何をしているだろうか。
 待っている………いつまでも。
 桂の言葉が頭の中に蘇った。
 実津瀬はじっと部屋の真ん中に端座して、差し込む月明かりを見つめた。

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