桂が斎宮に入るのは年明け十日と決まったので、それに合わせて準備が始まった。都から持ってきた桂の服や身の回りの小物は使わない物からさっさと斎宮へと運ばれた。
桂は変わらず、斎宮から来る学者や女官から斎王としての役目や向こうの生活について話を聞いて日々を過ごしており、斎宮へ入る気負いのようなものは見えない。
斎王が斎宮に入る準備が進み、あとはその日を待つだけで、これまで桂の機嫌を窺っていた周りの者たちはようやく安堵していた。
実津瀬から見る桂は淡々と斎王として斎宮に入る準備を進めており、おおよそ自分に相応しくない役目を押しつけられて怒っていた桂ではなくなった。
これまで都を出たこともなく、前大王の弟宮の邸だった豪勢な邸で、舞と管弦にどっぷりと浸かった優雅な都での生活を捨てさせられて、神に仕えるという崇高な役目とはいえ、鄙びたこの土地に追いやられたことに、静かに怒り、その一端になった大王の後ろ盾である岩城一族を憎み、その一人である実津瀬を護衛の一人に選び、伊佐まで連れてきて返さないという意地の悪い嫌がらせをしてきたが、桂を斎王に決めさせた者たちに向けた許せない気持ちと王族としての矜持の間の葛藤を経て、この役目を全うしようと覚悟を決めた顔になっていた。
大晦日は雪が降った。寒さが増して、皆が炭櫃の前に集まり肩を寄せ合って暖を取った。
桂は実津瀬を呼んで侍女と一緒に語らい静かな夜を紛らわした。
静かに今年が終わり、新しい年が明けた。
松尾の宮は桂にとって仮の宮なので、年が明けたからといって新年らしい行事はなく、いつもは食べられない海の幸が膳の上に追加され、酒をふるまったくらいだった。
都にいれば毎日、新年の宴席が催され、それに出席して舞や管弦に興じることができるが、松尾の宮では二日目にささやかな宴を催しただけだ。そこで実津瀬は桂に請われて舞を舞った。
その時、桂はこれまでのように楽しそうに眺めるのではなく、じっと厳しい目で見つめていたのだった。
年が明けて三日目。桂は新年を迎えた気持ちを歌にして紙に書きつけた。実津瀬は呼ばれて桂の話し相手になった時に、歌を読んだと聞いたが、桂はその中身までは言わなかった。実津瀬も桂が言わないものをその内容を知りたいとは思わず、それ以上に追求しなかった。桂の部屋はがらんとしていて、実津瀬は冬の寒さが増したように思えた。桂はいつでも斎宮に行く準備はできているのだ。
実津瀬自身はこんなに長く伊佐の地にいるつもりはなかったため、大した荷物は持ってきておらず、荷物という荷物はない。今すぐにでもその身一つで旅立てるため、準備をする必要もなかった。
五日目。実津瀬は桂を探して庭の中にいた。
部屋に行くと女官が出てきて、桂は庭にいると言った。
いつも桂の近くに仕えている侍女たちも部屋の中にいるのが見えて、桂は一人で庭に行ったのだと思った。
庭というならあそこにいるのだろう。
実津瀬は迷わず池のほとりの四阿に向かった。
案の定、桂は四阿の中にいた。
中に椅子があるが座らず、桂は立ったまま、じっと池の水面を、または水面に映った風景を見つめていた。
大晦日に雪が降り、寒さも一段と増して、池の向こうに広がる森の木は震えているように見えた。
足音に気づいたのか、実津瀬が声をかける前に桂が横顔を見せた。
「桂様、こちらにいらっしゃったのですね?」
四阿の前で実津瀬は声をかけた。
「ああ」
桂は言って黙っている。実津瀬も四阿の前で黙っている。
痺れを切らした桂が言った。
「何をしている。もっと近くによれ」
「はい」
実津瀬は四阿の中に入って、桂の斜め後ろに立った。
「桂様がこの景色を楽しまれているのを邪魔しているのではないかと思うと、近づけませんでした」
実津瀬はそう理由を言った。
「ふん。この景色はもう、見飽きた。新しい景色を見に行くつもりだ」
桂はそう返事をした。
新しい景色とはもちろん、斎宮のことだ。桂もここまでわがままを通したのだから約束を破るつもりはなく、斎宮に入る心は決まっているようだ。
「新しい土地でも桂様の気に入る景色があることを願っています」
実津瀬は言った。
「……実津瀬……」
桂は実津瀬を振り向いた。
「……はい」
「……そなたを連れて行きたい……」
「桂様」
実津瀬は落ち着いた隙のない強い声で呼びかけた。その名を言う声音でそれは駄目だと伝えたかった。
「……どうすればそなたを私の元に留め置くことができるかを考えた。池の水面を見つめて、妙案がないかと………。いっそ、そなたの片足を切ってしまえば私のそばに残らざるを得なくなるのではないかと考えた」
そこで桂は言葉を置いた。
「……しかし、それではそなたの舞は見られなくなる。………そなたの舞が見られないのは耐えられない。それはできない……」
桂は言って再び池に向き直った。
「………桂様………私は片足を失おうとも、いや、両足を失おうとも都に帰ります。この両手で地を這い、または人々の背を借りて、都へ帰ります」
実津瀬も桂が見つめる水面を見つめて返事した。
「ふん」
桂は実津瀬とは反対側に顔を背けて鼻を鳴らした。
「斎宮に行く前日は宴を催す。最後の舞を見せておくれ」
「かしこまりました」
実津瀬は深く頭を下げた。
「ところで、何用だ?そなたが用もなく自ら私に近づくことはあるまい」
桂は不機嫌な声で言った。
「はい。都から大王の使者がきております」
「大王から?」
「新年のご挨拶ではないでしょうか」
「ふん。私がついに斎宮に入ることを知って、最後の機嫌をとりに来たのだろう。また何か難癖をつけて斎宮に入らないと言っては困るとな」
「そうでしょうか。大王は桂様に新年を迎えた慶びを伝えたいというお気持ちなだけでしょう」
「……そなたは私の味方になってくれないな。誰も悪者にしようとしない」
「悪者などいませんよ」
実津瀬は微笑んで言った。
「ふん」
「さ、戻りましょう。どれくらいここにおられたのですか。体が冷えておられるのではないですか。斎宮に入られる前ですから、よりお体を大事にしないといけないときです」
「……体が冷えているか、確かめておくれ」
桂は実津瀬に振り向き言った。
実津瀬が手の平を差し出すと、桂は右手を載せた。その上から蓋をするように実津瀬がもう一方の手を置いて挟んだ。
実津瀬の体を巡る熱い血潮が冷えた桂の手を温めた。
「とても冷たいです。さあ、戻りましょう」
実津瀬に手を握られて桂は四阿から部屋に戻った。
New Romantics 第ニ部STAY(STAY GOLD) 第十章2
小説 STAY(STAY DOLD)
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