New Romantics 第ニ部STAY(STAY GOLD) 第九章30

小説 STAY(STAY DOLD)

 景之亮のことが好きだ。
 それは景之亮と出会ってからずっと、今も持っている気持ちだ。景之亮と別れた時にその気持ちは心の奥に閉じ込めた。そして、伊緒理と伊緒理が蓮の命を助けるという運命的は再会をした。
 叶わなかった初恋を大人になった今度こそ成就させると、二人で育んできた愛。
 それを壊すのか。
 誠実な伊緒理の愛を。
 自分には勿体無いほど優しく温かいその愛を。
 蓮は部屋に戻り机の前に座って、他人の心の内を眺めるように自分の胸の中の思いを眺めた。
 それはこれから始まる伊緒理との心浮かれる美しい愛の日々である。
 覚悟はあるわ。
 蓮は心の中で叫んだ。
 景之亮への思いは再び心の奥に閉じ込める。
 宗清が焚きつけても、私の心は決まっている。
 七条にそして都の外の領地、笹苗で伊緒理と一緒に暮らし始めれば、景之亮のことを思い出すこともなくなる。去を見習い束蕗原のような場所を二人で苦労を重ねても築き上げていけば、景之亮のことを思い出す暇もないだろう。
 蓮には今のこの気持ちを聞いて欲しい人がいる。
 実津瀬だ。
 実津瀬は私のこの自分勝手な気持ちになんと言うだろう。
 別に実津瀬が言ったことに従いたいというわけではない。自分のことを誰よりも知ってくれている実津瀬がなんと言うか興味があるだけだ。いや、別に何も言わなくてもいい、そばにいてくれたらそれだけで安心なのだ。
 蓮は部屋の中で膝を抱えて兄の不在を寂しく思った。
  蓮は七条に行く準備を進めた。
 一度出戻ってきた五条。二度目の出戻りなんてごめんだ。もう二度とここに戻っては来ない。ちょっと父母や兄妹の手伝いをするために帰って来ることはあってもだ。
 蓮が七条に行く前日。夕餉はいつも通りで、特別な料理を用意することはなかった。
 実津瀬も榧もいない時に祝いの場を設けても皆、心から楽しめないからだ。しかし、その日は申し合わせたように皆が広間に集まって夕餉をとった。実由羅王子の元にいるか、本家の従兄弟たちと遊び歩いて邸にいないことが多い宗清も現れた。
 あれから宗清は蓮に景之亮のことを言うことはない。
 蓮の隣に座ってしみじみと蓮の門出を祝う言葉を述べて。
「姉様がいなくなると、邸の中が静か過ぎるなぁ」
 と直接的な言い方をしないが姉が邸からいなくなるのを寂しがった。
「賑やかなあなたがいるでしょ」
「あははは。私一人が賑やかでもしょうがないですよ。姉様のような相方がいないと面白くないです」
 蓮の向かいに座る芹はだいぶお腹が大きくなって帯を結ぶ位置を変えているが、大きいのはお腹だけで体はほっそりしたままである。実津瀬がまだ伊佐から戻ってこないので息子の淳奈は母を守らなければいけないと思っているのだろう。よくそばに来て、部屋にこもっている母に今日の出来事を話している。
誰も言葉にしないがどうしてここに実津瀬と榧がいないのかと思う。二人ともそうしたくてこの邸を離れて行ったわけではない。王族が二人を連れて行った。二人がいない間に五条の家族たちの生活は日々変わって行く。二人が戻ってきたら、いろいろなことが変わっていてびっくりするだろう。
 五条での最後の夕餉が終わると蓮は寝具しかない部屋で休んだ。
 それまで部屋に置いていた愛用品は七条の伊緒理の邸に送るか、またはこれから送るために箱の中にまとめた。大切な机や筆、綴りは昨日、七条に届いているはずだ。
 明日、伊緒理の元に行く。
 覚悟を持って。
 頼りないかもしれないけれど、伊緒理を助けて夢を叶える覚悟だけはあるわ。
 長い旅だった。初恋の人と一緒になるという幼い頃の夢が紆余曲折の末、実を結ぶのだ。
 蓮は目を瞑った。心が高鳴って………なかなか眠れなかったが、朝はいつも通りに目を覚ました。いつも通り薬草園に行って手入れの手伝いをしていると医師見習いの侍女が話しかけてきた。
「蓮様、今日という日までそんなことしなくていいのですよ」
 皆、蓮が今日七条に行ってしまうことを知っている。
「いいえ。いつも通りでいいの。これからも同じだから」
 七条にも薬草園があり、そこの手入れをしなければならない。嫌いな仕事ではないから七条でも蓮は今日と同じことをするはずだ。
 薬草園の作業が終わって母屋に戻ると、宮廷に出仕する前の宗清が待ち構えていた。
「では、姉様、お元気で。と言っても、会おうと思えばいつでも会える。束蕗原の時とは違いますからね」
 笑顔を見せて宮廷に向かった。
 それから蓮は父母の部屋に向かった。宮廷に向かう父の支度が終わったところだった。
「お父様」
「うん。お前の前途が今以上に素晴らしいものになると思っている。でも、それを成せるかはお前次第だ。伊緒理を支えて二人仲良くしなさい。私たちのように」
 と母と目を合わせて最後は惚気のようなことを言って笑った。
「はい。二人は私のお手本ですものね」
 蓮は言って、母と一緒に父の出仕を見送った。
「あなたも出発する準備をなさい」
 と母は言った。
 伊緒理のところに行くのに華美に着飾ることはせず、髪を一つ纏めて上に結い上げて念入りに化粧をし、用意した織の凝った翠色の美しい服を纏って出発した。
 秋の晴れ渡った空に澄み切った空気の中、蓮は母や芹、珊に簡単に挨拶をして、淳奈の頬を撫でて五条の邸を出発した。今生の別れではないので、仰々しく見送ってもらう必要はないと申し合わせていたのだ。
 侍女の曜と従者の鋳流巳を連れて七条に着くと侍女の竹や従者たちが出迎えてくれた。
 いつもなら伊緒理自身が出迎えてくれるのに今日はいない。
「伊緒理様は?もしかして何かの用事でまだ笹苗から戻っていないのですか」
 蓮は竹に尋ねた。
 まだ戻っていないのであれば、五条にそう連絡があってもおかしくないはずなのに。
「いいえ。薬草園にいらっしゃいますよ。お連れいたします」
 竹はそう言って蓮を庭から薬草園に連れて行った。
「ここからは一人でも行けます」
 蓮は竹に言って、庭と薬草園の境を示す低い垣が途切れているところから薬草園の中に入った。
 伊緒理はどこだろう……。
 これから新たな生活の扉が開かれる。
 伊緒理と一緒に手を取り合って目の前の道を歩んで行くのだ。
 早く会いたい。
 蓮は薬草園の中を進むと、屈んでいた伊緒理が起き上がる姿が見えた。
「伊緒理」
 蓮は呼び掛けた。
 伊緒理は蓮の方を向いた。
「蓮」
 伊緒理は自分の腰くらいの背丈の薬草の間で悪くなった葉をもぎ取っているところだった。
 伊緒理の笑顔に蓮は微笑み返した。
 伊緒理は薬草の間から出てきて蓮の前に立って言った。
「ああ、綺麗だ……美しいよ、蓮」
 惜しむことなく蓮を褒める言葉に蓮は照れた。
「笹苗からいつ戻ったの?」
「昨日だ。今日に合わせてね」
 伊緒理は薬草をもぎ取っていた手を袴の腿のあたりで拭って、反対の手に持っていたざるを置いて蓮の手を握った。
「来てくれたんだね」
「ええ。当たり前でしょ」
「嬉しいよ」
「伊緒理………」
「………蓮………私の母のこと知っているかい?」
 唐突に伊緒理が言った。
「伊緒理のお母様?とても美しい人だと聞いているわ」
「ああ、私も子供心に綺麗な人だと思っていた。大王の妃候補に上がっていたのに、それを断って父の妻になったんだ」
「………」
 伊緒理はなぜ、こんな話をするのだろう。なぜ今、お母様の話を。これからの生活の心構えを説いてくれているのだろうか。
 蓮のことなど気にすることなく伊緒理は話を続けた。
「母はね……二人の男を思っていたんだ。父と、もう一人。……先々代の大王の弟君だ。母は父を愛していた。しかし、ある時から王子も愛していた。葛藤しただろうが母はどちらも選ぶことができなかった。そうこうしている内に王子が謀反を起こし、大王が差し向けた討伐軍から逃げる時に父上の元にとどまることもできたはずなのに母は王子と一緒に行ってしまった。結果、王子と共に逃げた地で命を落とした。私は密かに都を出て母の臨終に立ち会うことができた。母の亡骸はその地に埋めた。私はその場所に二度と行くことはできない」
 先々代の時に謀反が起こったこと、伊緒理の母は遠い土地で命を落としたことは知っているが、それがつながっているとは父母も子供たちに話してはおらず、蓮は知らなかった。
 伊緒理の母のことを知ることは伊緒理を知ることになる。母が罪人同然であることを知っても蓮の気持ちは変わらないかと覚悟を問われているのか。
「私は……蓮に同じ思いをさせたくないんだ」
 伊緒理は握る蓮の手に力を込めて言った。
「……私に?」
「そうだ……あなたは母のように二人の男を思っている」
「何を!わ…」
 蓮は伊緒理の言葉に思わず大きな声を上げた。伊緒理は右手を上げて、蓮の次の言葉を遮った。
「私と……鷹取殿を………」
 伊緒理は真っ直ぐに蓮を見つめて言った。
「都に戻ったあなたを宮廷に連れてきたのが良くなかった。私のそばにいて欲しいと思っていたが、同時に鷹取殿と会うことにもなってしまった。ははは」
 伊緒理は自嘲の笑い声を上げた。
「なんて皮肉なことだろう。そして、極めつきは火事だ。あなたを助けたのは鷹取殿だった。その時も私だったらよかったのに……」
 伊緒理の最後の言葉は絞り出すように言った。
「私は伊緒理のことを思っています!」
 蓮は伊緒理に噛み付く勢いで叫ぶように言った。
「当たり前だ!あなたの心を疑ったことはない。私を愛してくれている。今も。だから今日、ここに来てくれた」
「そうであれば、なぜこんなことを言うの!」
「母と同じ思いをあなたにさせたくないんだ」
「お母様と同じ……?」
「ああ、私と鷹取殿との間で悩み苦しむことを」
 蓮はそんなことを言う伊緒理の目の奥を覗き込んだ。
「私は苦しんでなんかないわ!」
 伊緒理は首を横に振った。
「私は一度あなたの手を離してしまった」
 留学する時、いつ帰ってくるのかわからない、もしかしたら帰ってこないかもしれないのに蓮を待たせておけないからと蓮の思いを無下に断ったことを言った。
「その後あなたは鷹取殿に巡り合い、鷹取殿はあなたを愛した。あなたも鷹取殿を愛した。鷹取殿は決してあなたの手を離すことはなかった。あなたを幸せにできる男はどちらか……」
 伊緒理は蓮の手を握る己の手を蓮の肘へ、肘から肩へと移動させた。
「蓮は今日、ここに来てくれた」
 伊緒理は再び笑顔を作った。
「当たり前よ。伊緒理と一緒に暮らすために荷物だって届いているでしょう」
「ああ、届いている」
「私はあなたとここで暮らすつもりで来たのよ。愛しているもの」
 伊緒理は蓮の肩から手を背中に回して抱きしめた。
「ああ、あなたが私を愛してくれていることはわかっている。同じように鷹取殿も愛している。………あなたが幸せになるためにはどの道がいいかと言うことだ」
「私は伊緒理と一緒になるためにここに来たのよ。覚悟を持って」
「わかっている。あなたの愛を受け取った。しかし、あなたが選ぶべき男は私ではない。鷹取殿だ」

コメント