New Romantics 第ニ部STAY(STAY GOLD) 第十章4

小説 STAY(STAY DOLD)

「桂様……寒くありませんか?」
 侍女の鳴が炭櫃をかき混ぜながら言った。
「ああ、大丈夫。………鳴、この宮の最後の夜を味わうから一人にしておくれ」
 鳴が頷いて静かに妻戸から出て行くのを桂は見送った。
 冷えが下から立ちのぼって来るが、桂は庇の間に炭櫃を置かせ、蔀戸を一枚開けさせて静謐な冬の空を見つめて月明かりを浴びた。
 桂が考えていることはただ一つ。
 実津瀬はここに来るだろうか。
 来てほしい。今夜が最後なのだから。
 もういい歳だというのに、男女のことが分かり始めた乙女のような気持ちで思い人を待っている。
 もし実津瀬が来なければ、どうしよう。胸が張り裂けてしまうのではないか。そうなる前に我慢できずに実津瀬の部屋に乗り込んでしまうかもしれないが、そんな惨めなことはしたくない。
 実津瀬が桂に応える気がないのなら、意に沿わぬことを嫌々させても嬉しいとは思わない。
 桂は立ち上がり開けた蔀戸に寄って、凍えるような月をしばらく見上げていた。
 かじかんだ手を暖めようとは吐いた息は白く、もう蔀戸は閉めた方がいいと思った。しかし、自分で閉めることはできないので鳴を呼ぶしかない。
 その時、外から板が軋む音が連続して聞こえた。それが足音であると分かった時、桂は蔀戸から身を乗り出して外を見た。
「………実津瀬……」
 桂は目に見えた者を呼んだ。
 ちょうど実津瀬は階を上がりきったところで、桂の呟くような声に気づいて顔を向けた。階を上がりきると、簀子縁から開いている蔀戸の前に立った。
「……来てくれたか……」
 桂の声は少し震えた。
「褒美を受け取りに来ました」
「中に入っておくれ」
 実津瀬は頷いて、妻戸に回った。桂も妻戸の前に行き、扉が開くと現れた実津瀬の胸に飛び込み、実津瀬は桂の体を受け止めた。                                                            
「来てくれると信じていた」
 桂は顔を上げて言った。その目には涙が浮かんでいた。
 実津瀬は桂が目を伏せた時、目尻から涙がこぼれ落ちるのを見て、引き寄せられるように顔を桂に近づけてその唇を塞いだ。
 最初は実津瀬の唇が合わさっただけだったが、桂は接吻されたとわかると、自分から実津瀬の唇を求めて強く吸った。
 長く接吻を続けて、実津瀬が唇を離すと桂は言った。
「やめないでくれ。長く待ち望んでいたんだ……そなたを……」
 その言葉を受けて実津瀬は再び桂に顔を近付けて唇を重ねた。
 桂は実津瀬の首に両腕を回して右手で左手の手首を掴んで容易に離れないようにした。
「………今夜は一緒にいてくれ。離さないでくれ」
 貪るように唇を吸い合った後、桂は言った。実津瀬は桂の腰を抱いて並んで歩き、奥の部屋に向かった。几帳の向こうには、寝所が整えられていた。
「………実津瀬……抱いておくれ」
桂は実津瀬と向き合うと小さな声で懇願した。
「……私でよろしいのですか?」
 実津瀬は訊いた。
「そなたでなくてはいけない。どれだけ長い間そなたに抱かれることを夢想していたか。そなたが私の望みを聞いて抱いてくれたことあった。目が覚めてそれが夢だとわかることが何度あったことか。夢だとわかって私がどれほど落胆したか……そなたにはわかるまい」
「はい」
「ふふふ……素直に答えるのがそなただな。私の気持ちを慮って何か寄り添った言葉を言ったりはしない」
 桂は笑い声を漏らし、実津瀬を見上げた。
 実津瀬は桂を横抱きに抱き上げると褥の上に上がって、ゆっくりと腰を下ろした。
 部屋の隅に置いていた皿の上の灯明の火は小さいが桂と実津瀬の表情を見せるには十分な明るさだった。
 実津瀬も少し目尻を下げて微笑んでいるのが見えた。
「今夜も夢かもしれないが、それならそれでいい」
 桂の言葉で、実津瀬は桂を膝から下ろし、宴の席で着ていた美しい上着を脱がせ、寝衣にさせると帯の端を掴み引っ張った。帯が解けると襟元が緩んだ。桂は自ら襟を掴み寝衣を肩から滑らせて脱ぎ去り裸になると実津瀬に体を寄せて、腰の帯の上に手を置いた。
「早く私の体を温めておくれ」
 実津瀬は桂の手を退けて、自分で帯を解き、上着と袴を脱ぎ捨てると、桂の体を引き寄せ、その体を褥に横たえさせた。
 白い肌の胸や腹が実津瀬の目の前に浮かび上がった。
「実津瀬……」
 桂は伸ばした手を実津瀬に取らせて自分の胸の上に導いて置いた。実津瀬は桂の横に寝そべりながら、そこにある豊満な乳房を掴んだ。
 二人は唇を吸い合った。冬の深とした寒さの中、二人の熱い吐息の音だけが聞こえた。
 これまで近づくことはあった二人だが肌を晒すようなことはなかった。今、初めて裸で抱き合ってお互いの体を調べ尽くすように細部まで弄り撫でた。
「ああっ、実津瀬!」
 実津瀬の愛撫に桂が声を上げた。
 実津瀬は体を起こし、組み敷いている桂を見下ろした。桂も真っ直ぐに実津瀬を見上げていた。
 実津瀬は右手を桂が差し出した手の指を絡めて握り、左手は桂の右肩から胸へとそっと肌に指を滑らせて触り、乳首から腹を、そして腰のくびれをなぞって右太腿の外側に手を置いた。太腿の内側に忍ばせ、桂の足を開かせて自分の胴を入れた。そして、桂の体の中へと実津瀬は入った。
 少なくとも都を離れてからはその身を慎んできた桂の体は一気に実津瀬を受け入れることができないでいた。
 桂は苦しそうに小さく息を吐いた。
 このまま更に桂の体内の奥深くに進むのは憚られて実津瀬は動きを止めた。
「やめないでくれ。やめてはいけない」
 桂は吐息の下から搾り出すように言い、実津瀬はその言葉に従って、桂の体の奥深くへと入った。
 桂の体の中は熱く、実津瀬を包み込み刺激し実津瀬の快楽を誘った。実津瀬は欲望に従って体を動かした。
 実津瀬の息遣いが響く。桂は自分の顔の横にある実津瀬の手に触れ、その後、首に両手を回した。
 実津瀬が果てると桂は実津瀬の腰に足を絞めて容易に実津瀬が体を離せなくした。
 実津瀬は桂を見下ろすとその目に涙が浮かんでいるのが見えた。
「か、桂様……私はあなた様の体に傷を……」
「違う……嬉しいのだ……嬉しくて泣いている……」
 先細る声に、実津瀬は体を伏せて桂を抱いた。桂も実津瀬の背中に腕を回して抱き返して言った。
「………そなたとの一夜を……そなたの心を……」
 
「そなたは私にとって初恋だ」
 桂は実津瀬の胸の上に頭を載せて言った。
「私が……?それは嘘です」
実津瀬はニヤリと笑って否定した。
「ははは、確かに、本当ではない。しかし、そなたを思う気持ちを考えると、これは初恋だと思えた。初めて人を好きになった時のような気持ちだった。そなたを初めて見たのは、宮廷で行われた宴で、余興でそなたのような貴族の子弟が舞っていた。そこで私はそなたを見初めたのだ。美しい舞だった。そなたの舞を愛したはずだが、舞だけなんてことはできなかった」
 桂は実津瀬の裸の胸に唇をつけてそっと吸い、目を瞑った。
「初めて好きになった人に振り向いてほしいと、私を見てほしいと、そなたの気を引くことに一生懸命だった」
 桂は実津瀬の胸から一気に上体を起こした。
「……桂様?」
「月が見たい……心に刻む景色だからな」
 桂は衾から抜け出し立ち上がると実津瀬に脱がされた上着を引き寄せて肩に掛けて蔀戸が開いている隣の庇の間に向かって行った。
「桂様!いけません」
 明日は斎宮に入る大切な体なのに蔀戸の開いた冷たい部屋に裸でいては体に障る。
 実津瀬は慌てて自分の着ていた上着に手を通して桂を追いかけた。
 几帳を超えて庇の間に行くと、桂は肩に羽織った上着を途中で落として、何も纏うことない姿で蔀戸の縁に両手を置いて空を見上げていた。
「桂様……そのような姿で……」
 桂は振り向いて言った。
「温めておくれ」
 実津瀬は桂の背後にまわって、右手を桂のそれの上に載せた。
「そなたの舞を月夜の下で何度も見てきたが、今夜はどの舞よりも特別だった。今夜のそなたの舞を心に刻んだ。明日から一番に思い出す舞は今夜のそなたの舞だ。……舞の対決の時のような華やかな舞ではなかったが、私が愛した美しい舞だった。私に捧げてくれた舞だ」
 実津瀬は桂の背中に体を寄せて後ろから抱きしめた。
 桂は実津瀬に身を預けて囁いた。
「そなたの覚悟が私への最高の餞だ。私と共に罪を犯してくれた」
 実津瀬は桂を抱く腕に力を込めた。
 桂は呻くように続けて言った。
「すまぬ、実津瀬」
「体が冷えます。風邪を召されてはいけません。あなた様の体はあなた様だけのものではないのですから」
 実津瀬は桂の言葉には答えず、足元に落ちている桂の上着を拾い上げた。
「今夜はそなたのものだ」
 桂は言って、実津瀬に振り向いた。
 月の明かりが裸身を照らし、桂の体が浮かび上がった。白い大きな乳房の先に薄桃色の乳首が光っている。実津瀬はその乳房を手で覆い包んだ。
「実津瀬………どうか私を………忘れないでおくれ」
 桂は実津瀬に体を委ねてそう懇願した。
 実津瀬は桂の上着を桂の肩に掛けて抱きしめた。桂に相応しい、贅を凝らした王族たる上着である。その上着に身を包む自分と愛欲を貪った後の桂の顔は化粧っ気はないが、神々しい。
 実津瀬は強く抱きしめて、唇を吸った。桂もそれに応えて吸い返した。
「………私もこの夜を心に刻みました……」
 実津瀬の言葉で桂は崩れ落ちるようにその場に膝をついた。それに続いて実津瀬も膝をつき、二人はお互いを抱きしめた。
 夜明け前、実津瀬が部屋から出る前に桂は実津瀬に部屋の隅にある厨子を開けさせその中の箱を取らせた。
「褒美を取らせると言ったが、今の私に自由にできることは多くない。しかし、そなたに褒美は嘘とは思われたくない。その箱の中の物を受け取っておくれ」
「今、中を見てもよろしいですか」
「もちろんだ」
 実津瀬が箱を開けるとそこには一片の紙が入っていた。
「新年に読んだ歌が入っている」
 実津瀬は広げて目を当てた。
「そなたへの恋文だ。そなたに私の気持ちをわかって欲しくてしたためた。私の偽らざる気持ちだ」
 と桂は言った。
「謹んでいただきます」
 実津瀬は身につけた衣服の胸に桂の手紙を忍ばせた。その様子に桂は感激して横を向いた。
「私を最後まで見ておくれ」
「はい」
 実津瀬は返事をして、夜が明ける前に自室に戻った。
 
 斎宮に向かう準備は整った。
 桂は化粧をし、頭上一髻に結い、この日のために用意した衣装を身にまとって部屋から出てきた。
 ようやく斎王が斎宮に入ることになって松尾の宮には宮に仕える者だけではなく、周辺に住む住人たちも含めて大勢の見送りの人々が詰め掛けていた。
 実津瀬は大勢の見送りの者たちに混ざって桂が輿に乗る姿を見つめた。夜明け前まで実津瀬と一緒にいて一睡もしていないはずだが、寝ていないことなどおくびにも出すことなく輿に乗る姿を見た。
 桂は輿に上がると前を見据えて出発を待った。
 昨日と同じように寒い日で、桂は昨夜と同じ美しい上着を羽織っている。
 この日のために斎宮から大勢の人が来て、斎王が斎宮に入る共をさせた。新しい斎王の豪勢な姿を斎宮の周辺に住む者たちに見せるためである。
 斎宮の警備の責任者である官吏の号令で輿は男たちの腰から肩まで担ぎ上げられた。
 実津瀬は最前列で桂を見つめた。
 桂は輿の上で斎王としての威厳のある姿で真っ直ぐに前を見つめていたが、一瞬だけ目だけ動かし実津瀬と目を合わせた……ように実津瀬は感じた。少し口元が緩み笑みを見せてくれたように見えた。
 それは実津瀬だけがわかれば良いことである。
 桂を運ぶ行列は松尾の宮の門をくぐった。最後尾が門の外を出ても、輿に乗った桂の背中は見えた。
 斎王の行列の最後尾が門を出たら見送りの列から人々は離れ、自分の仕事に戻って行った。実津瀬だけ一人、門の前に立ち行列の最後尾の者たちの姿が見えなくなるまで見つめた。
 その後、自分の部屋に戻って、冷えた体を温めるために炭櫃の前に胡座をかいて座った。しばらくすると体が温まってきて、小刻みの震えもおさまった。
 実津瀬は足を直して正座し、胸から一片の紙を取り出した。
 最後にその紙を開き中に書きつけてある文字を脳裏に焼き付けた。
 それは桂が新年にしたためた実津瀬への恋文である。
 そこにはこう書かれていた。
 生まれて初めて都を出て険しい道を乗り越えて、松尾の宮まで来た。私の初恋はこの道と同じように険しい道だったが、最後には自分の願う終着を迎えたいものだ。終わることを受け入れるのだから。あとは私の思い人の情けにすがるのみだ。
 ………なんと健気なことであろうか。
 実津瀬はそう思った。
 何度か見たことのある桂の手磧である。桂が書いたことは間違いない。
 実津瀬は炭櫃の中にある炭の赤い火に文の角を差し入れた。白く細い煙が上がり、次第に文は炎に包まれた。実津瀬は指を焼かれる前に文を離した。文は炭櫃の中の灰の上に落ちて、焼かれ、丸まり、真っ黒から灰となっていくのをじっと眺めた。
 手元になくても脳裏に、心に焼きつけた。
 実津瀬は桂と共に、斎王の操を破った。
それは桂一人で破れるものではない。誰かが共に犯さなければならない。
 共犯の動機は義務や脅しによる恐怖ではない。桂という一人の女人への想いがあるから犯さざるを得ないのだ。
 桂が望む思いで実津瀬は共犯になった。
 実津瀬はこの罪を桂と背負う。桂とはそういう関係である。
 その関係はただ体を重ねただけではなく、一人の女人の心の支えとなるのだった。
 実津瀬は愛の言葉を言わなかった。
 桂への愛は、男女のそれと少し違うもののように思う。
 舞をはじめとする芸能に魅せられ、愛した同志であった。その次に男女の情があった。
 二心があったと言われたら、反論するだろうか……いや、結果だけ見たなら、そう言われても仕方ない。
 だから、この所業を誰にも知られることがあってはいけない。桂と自分がどこまでも秘匿しなければならないものだ。二人の間に何かあったと思わせるような証拠を残しておくわけにはいかない。全て、この地で消して行くのだ。
 翌日、夜明けと共に実津瀬は都から桂に新年の挨拶の使いに来た使者と共に都に旅立った。順調に行けば七日もあれば都に着けるはずだ。

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