New Romantics 第ニ部STAY(STAY GOLD) 第九章14

小説 STAY(STAY DOLD)

 榧が王宮に囚われてしまったことで、五条岩城は暗く沈んだ毎日を送っていた。
まだ榧がいないことが現実と受け止められず、皆、ふっと顔を上げたら庇の間に足音もさせず入ってきて、恥ずかしそうに微笑む榧がいるのではないか、と思うのだった。
 蓮が典薬寮に来るたびに後宮の藍と会いたいと強硬に何度も懇願するので、典薬寮の者たちは不思議に思った。蓮は藍の体が心配だ、寒さが緩まって体調を崩していないかと会いたい理由を言うのだが、そうであれば藍の方から来て欲しいと話があるだろうから待っていればいいのにと思うが、お伺いを立ててくれと何度も言ってくる。
 今の藍は王子が生まれたばかりで、典薬寮の高位医師がほぼ毎日伺って母子の体調を見ているので、定例の体調伺い自体はなくなっていた。しかし、蓮の訪問はこれまで藍の息抜きの意味合いもあり、子育て中の今もそれが必要であると思うのだが、藍は一向に会いたいと言って来なかった。
 藍から音沙汰がないことに蓮がしょんぼりとしている姿を見て、伊緒理は蓮に七条の邸に誘った時にその理由を尋ねた。そこで、妹が藍に会いに後宮に行った時に大王に気に入られてそのまま王宮に留め置かれていることを聞いた。
「それで藍様に会いたいと……」
「はい。藍様なら何があったのかを知っていると思うのです。父や兄が手を尽くして大王にお願いしましたが、大王は榧を妻の一人にすると言って返していただけません。無理にでも連れて帰るならその体は骸にするとおっしゃったそうです。榧と大王との間に何があったのか………知りたいのです。そうでないと、どうしたらいいのか……わかりません。私たち家族はただ榧に戻って来て欲しいのです」
 そう言って涙をこぼした。
 その話を聞いた伊緒理は後宮に行った時に藍にそれとなく話しかけた。
「蓮殿が藍様に会いたがっていました。久しく会っていないので」
 藍はそれを聞いて。
「そうね、私も会いたわ」
 と返した。
 伊緒理への返事としてはそのようなものかと思った。それで藍が蓮に会ってくれれば良いと思ったのだが、大王に気に入られたい女官が目敏くその様子を見ていた。その後、藍は王子と一緒に伊緒理よりも上の高位医師が診ていて、伊緒理は後宮に行っても藍とすれ違うこともなかった。蓮は岩城一族の者だと知られており、大王の言いつけか、または大王の気持ちを汲んだ女官たちの差配なのか、岩城に係る者は遠ざけられているように思った。
 再び、伊緒理は七条に蓮を誘って、やってきた蓮に早速その推測を言うと、蓮もそう思うと言った。こちらかの働きかけに何一つ応えられることはなかった。
 目の縁を赤くして蓮は唇を噛みしめたが、ふっと顔を上げて言った。
「………伊緒理……伊緒理の話をして。私のことばかり話してごめんなさい」
 自分のことばかりで伊緒理との対話が出来ていないことに蓮は申し訳なく思うのだった。
「いいや、これは一大事だ。実言様も礼様も心を痛めておられるだろうし、あなたも実津瀬も心安らかにはいられない。あなたの苦しみは見ていてわかるよ」
 伊緒理は蓮を抱き寄せた。
「こうして二人で会っている時は榧のいない悲しみも忘れられます」
 蓮はそう言うと、裸の伊緒理の胸に顔を伏せた。
 せっかく七条まで来て伊緒理と二人の時間を楽しむはずなのに、榧のことが頭をよぎって顔が曇ってしまうようだ。
「伊緒理の話が聞きたいわ。お話しして」
 蓮は伊緒理の胸から顔を上げて伊緒理を見上げた。
 整った顔が同じように蓮を見つめていて、そして口を開いた。
「………前にも言ったように、去様が作った束蕗原のような場所を私自身も作りたいと思っている。その実現のため都の外にその領地を父から受け継いだ。そして典薬寮の役目を辞することも長官には既にお話ししている。時期としては夏を迎える頃にはと思っている。その前に実言様、礼様に私たちのことをお話ししてお許しをいただきたいと思っているのだが、蓮はどうかな」
「まぁ、嬉しいわ……。お父様……なんて言うかしら」
 蓮はついに夢見た伊緒理との愛の生活の始まりの一歩が叶えられると思って、喜びの滲む声を出したが、すぐに不安も口にしてしまった。両家は宮廷の中で一二を争う家門であり、時と場合によっては政敵にもなり得るのだった。そんな家門を出自とする二人の結婚が今後の一族の活動の妨げになるかもしれないと危惧するのであった。
「そうだね。あなたは実言様と礼様に取って大切な子だ。私のような者を結婚相手にお許しいただけるか心配だ」
 家門の問題はあるがその前に、一人の男として岩城家の娘の夫にふさわしいかを伊緒理は心配した。椎葉家の長子として成長し家門の後継として官位を得て、政の中で昇進して行くべきところをその役目は弟が担い、自分は医者になってしまったのだ。
「何を言うの?陶国に留学し、その知識を活かして典薬寮の高位医師になったあなたになんの不足があると言うの。そんなあなたに私でいいのかと逆に聞かれると思うわ」
 自虐的な言葉と笑みを見せた蓮に伊緒理はその体を抱きしめて言った。
「あなたがいいに決まっているじゃないか。私はあなたとの縁を自分から切ってしまった。なのにまた繋がるなんて。こんな幸運なことはない。私は本当に幸せだ」
 伊緒理の言葉に蓮は目尻の涙を溜めた。
「伊緒理……愛しているわ」
 蓮は言って伊緒理を同じように抱きしめた。

 春になり、草木が芽吹いて新緑が眩しい時。皆、暖かな陽気と共に、鮮やかな緑と色とりどりの花々が咲き誇る景色を愛でている。春というだけで邸の中は明るくなるというのに、五条岩城は突然の家族の喪失にまだ慣れず、ぎこちない空気の中であるが、それでも否応なしに次の試練に向かわなければならなかった。
 大王の交代による斎王の交代の準備は粛々と進められ、一行は水無月には伊佐に旅立つことが決定された。
 その夜、実津瀬は芹にそのことを伝えた。
「まぁ、そうなのね……あとふた月もないわ……あなたに着けていただく肌着を縫い上げられるかしら。急がなくてはいけないわ」
 芹は抑揚のない声音で言った。
 実津瀬は褥の上に芹を押し倒して、その体を愛す。
 実津瀬にとってはたった一人の妻である。
 本家の稲生や鷹野は他所に通う女人を作って、今ではその女人に子供もいる。本妻たちは世の男たちの多くがそうしているのだから我が夫に通う女人いても仕方ないこと、と思うのだった。
 そんな中、五条岩城の男たちは稀有なもので主人の実言、長男の実津瀬ともに妻を娶るとすぐに自邸に連れてきて一緒に暮らし始め、他所に通う女人がいるという噂は一つも立つことはなかった。皆、相当慎重にうまくやっているのではないか、と思うところがあったが、二人の妻への献身を見ている者はやはりひとりの妻を大切にしているのだと思うのだった。
 本家の鷹野の妻は芹の妹の房である。鷹野には房以外にも通う女人ができて、そこにも子供を一人作った。鷹野は房が一番だといって二人の子を成したが、房は姉が羨ましいと言う。
「夫から帰らない理由を教えてもらえず独り寝するのは寂しくて、人知れず涙が出てしまうものです。しかし、お兄様はそんなことはないでしょう。羨ましいわ」
 妹の言葉に、確かに実津瀬が理由を言わない外泊はないと思った。その真偽までは確かめようがないが、実津瀬に嘘はないと信じている。鷹野も妹を気遣って外泊の理由を言っているが、房は夫の言う理由が嘘とわかるらしい。事実、他所に通う女人は少なくとも二人いて、それぞれ一人ずつ子を成しているのだから。それを受け入れるのに時間がかかったと房は言っていた。
 芹は実津瀬を信じている。嘘は言わない人だ。
 だから、怖い。いつ、桂女王と一線を越えてしまったと告白されるか。
「芹………芹………」
 実津瀬の呼びかけに芹は我に返った。
 実津瀬に抱かれていると言うのに、心はどこかに行っていた。 
 芹は後ろから回されて自分の胸の上にある実津瀬の手の上に左手を載せて返事した。
「はい」
「今日は疲れているのか……」
「いいえ、そんなことはないわ」
 芹は取り繕うように言った。
「………なんだか前にもまして痩せたようだ」
「そうかしら?」
「元からあなたは食も細くて痩せているけど、さらに痩せたように思う。少し強く抱いたら折れてしまいそうだ」
 実津瀬はそう言って芹の背中に口づけた。
「折れるくらい抱いてくださってもいいの。しばらく会えなくなってしまうのですから」
芹の言葉はもうすぐ伊佐に行ってしまう夫を当てこすっているようにも、抱かれて折れても許せるほどの気持ちだともどちらでも取れた。実津瀬が自分への嫌味を言っていると受け取ることはなく、すぐに腕に力を込めて、それで芹が苦しくないように加減して抱いて言うのだった。
「本当に……あなたと淳奈と離れるなんて、寂しいよ。あなたのこの肌とも当分触れ合えないなんて」
 実津瀬はそう言って、今度は芹の肩に口づけた。
 熱した石でも押しつけられたように感じて、芹は払い退けたいという気持ちが湧き上がった。
こんなにも愛している夫なのに、全てが嘘に感じられるのはどうしてなのか………。
信じてくれと言った言葉を自分は心からそう思っていないからだろうか………夫を疑い、そう思わせることを憎く思っているから。
「芹………」
 実津瀬は芹の肩に押しつけていた顔を上げて、芹をこちらに向かせて言った、
「愛してる」
「……あっ……」
 芹は折れるくらい抱いてと言ったが、本当に息も出来ないほどに強く実津瀬に抱きしめられて、その後、強く唇を吸われた。

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