New Romantics 第ニ部STAY(STAY GOLD) 第九章32

小説 STAY(STAY DOLD)

 蓮はその言葉を聞いて、大きく頷いた。そして、心の中で叫んだ。
 あなたの妻にして、と。
「か……かげ……わ、私……」
「何も言わなくてもいいんだ、蓮。頷いてくれただけで十分だ」
 景之亮は両手を広げると蓮を抱きしめた。
「かげ…のすけ…さ…ま…」
 蓮はそこから言葉にならず、声を抑えて泣いた。
 景之亮は子供をあやすように蓮の背中をさすりながら唱えるように言う。
「大丈夫だ…心配することはない。大丈夫だから……大丈夫」
 蓮は景之亮の腕の中でひとしきり泣いた。泣き止まないといけないと思うのに涙は止めどなく湧いてくる。
 どれくらいの時が経ったか、蓮は顔を上げた。
「落ち着いたかい」
 景之亮の言葉に蓮は頷いて言った。
「……ごめんなさい……泣いてしまって」
「構わない」
 景之亮は蓮から体を離して、目の前の蓮を見つめた。
「景之亮様……」
「さあ、五条のお邸に帰ろう。邸の前まで一緒に行くよ」
 景之亮に手を取られて蓮は立ち上がった。
 丘を下りる道は木々の根が這っていて夜に一人で歩くのは大変だ。景之亮が手を握って導いてくれたのは助かった。
 丘を下りても手を握り合っているが会話はなく、お互いの心の内を打ち明けることはない。二人が話したことといえば、五条の正門から入るのは憚られるため、裏門に周りたいと蓮が言っただけだ。景之亮は頷いて、裏門の道に回った。
 五条岩城邸は裏門にも門番がいるため、塀を曲がるとそこで二人は立ち止まった。
「実言様、礼様には頃合いを見て私たちのことをお話しさせていただくよ。あなたもそれで良いかな」
 蓮は頷いた。 
「景之亮……」
 蓮は景之亮にいきなり手紙を出したことを何と説明しようかと考えるが、それには伊緒理とのことを話さなくてはいけないと思うと、言葉が出てこない。
 景之亮は蓮の心の中を知っているかのように言った。
「これからいくらでも語らうことはできる。その時に話しておくれ。近いうちに会えるように努力するよ。では、次にまた会う日まで」
 景之亮は蓮の背中を押した。歩き出した蓮は何度か後ろを振り向いた。蓮の背中を押した場所から一歩も動くことなく景之亮が見守ってくれている。
 蓮は裏門の前に立って、もう一度景之亮を振り返った。
 暗闇の中に景之亮の大きな体の陰が見えた。
 蓮は門に一歩近づくと、内側を見ていた門番が振り返った。
「蓮様!」
 その姿を見咎めると叫ぶように言った。
 その声で人々が裏門に集まってきた。そこに人をかき分けて宗清が現れた。
「姉様!どこに行っていたのですか!人攫いに連れて行かれたのではないかと心配していたのですよ!」
 開口一番にそう怒鳴った宗清は手に松明を持って、額には汗止めの白布を巻いている。
「宗清……」
「父上はもう少し待てと言うのですが、私は待ちきれず今、表の門から出て行こうと思っていたところでした!」
 宗清は大きな声を蓮に浴びせた後は声を落として。
「よかった……皆、心配したのです。父上も母上も、私も珊も……。無事でよかった、よかった」
 今にも泣き出しそうな顔で言った。
「ごめんなさい。どこに行くかを言って行くべきだったわね。今朝出て行った者が一日と経たずに戻ってくるなんて恥ずかしくて誰にも言えなかったの」
「恥ずかしいことなんてあるものですか!さ、早く中に入って」
 宗清は蓮の背中を抱えるようにして邸の中に連れて行く。
「お父様とお母様に………」
「それは明日でもいいのです。七条のことは曜から聞いていますから。父上たちへの説明は明日の朝でも問題ありません」
 先程まで景之亮が握っていた手を今度は宗清が握って、蓮の部屋に連れて行ってくれた。
 部屋の前には泣き顔の曜が立っている。そして、階の下にはそれまで青ざめていた顔がほっと緩んだように見える鋳流巳がいる。
 二人に心配を掛けたと蓮は深く反省した。
 その夜は、頼んでもいないのに宗清が一緒に寝ると言って、蓮の何もない部屋で褥を並べた。
 宗清は伊緒理と何があったのか、そして夜遅くまでどこに行っていたのかは一斎聞かず、昔話をする。実津瀬と榧もこの邸にいるまだ幼い頃、兄弟姉妹四人で並んで寝ていた時のこと。眠たいのに寝たくない宗清が大きな声で話をするので、兄の実津瀬が叱ったり、蓮が宥めたりして寝かせようとした。あの頃の兄弟の思い出を話して懐かしんだ。
「姉様、寝てくださいよ。今日は疲れたでしょう」
 あなたが話すから眠れないのよ、とは言えなくて蓮はじきに眠るわ、と言って目を瞑った。するとやはり疲れていたようで、すぐに睡魔に襲われて眠ってしまった。
 翌日、目覚めると薬草園に行くのが日課であるが、そこで作業している者たちは皆蓮が伊緒理のところに行ったことを知っているから、一日も経たずに舞い戻ってきた姿を見せるのは恥ずかしく、薬草園に行くのはやめた。
 隣に寝ていたはずの宗清の姿はなかった。自分の部屋に戻ったのか、もう出仕の準備をしたのかわからないがやはり姉を気遣って寝るまで一緒にいてくれたのだろう。心底心配してくれていたのはよく分かった。
 蓮は起き上がると曜を呼んだ。身支度をして父と母のところに行かなければならない。
 蓮は顔を洗って、妹の榧が着ていた衣服を借りて身なりを整えて父母の部屋に向かった。
 父母の身の回りの世話をしている侍女の縫が取り次いでくれて、蓮は朝餉が終わって、膳が片付けられた部屋に通された。
 母に手伝ってもらって出仕の衣服を纏い腰の帯を締め終わった父は振り返えると蓮を見咎めた。
「おや、私のかわいい子がまた私の元に帰ってきてくれたんだ」
 父の第一声はそんな軽口だった。
「いつまでそこに突っ立っているんだい。こっちにおいで」
 父に呼ばれて蓮は神妙な顔つきで父母の前に置かれた円座の上に座った。
「お父様、お母様………私」
 何から話していいか、蓮の頭の中はまとまっておらず言葉が詰まった。
「黙って邸を出て行くのはいただけないね。宗清は胸を潰さんばかりに心配して家中を駆け回り、お前を探すために血相を変えて邸を飛び出そうとした」
「はい。宗清がとても心配してくれていたことはわかりました。本当に申し訳ないことをしたと思っています」
「うん。それがわかってくれているならいい」
「お父様、私……」
 蓮は何か父に申し開きをしなければと言葉を言いかけるが、うまく言えない。
「ああ、お前がここにいると言うことは、そう言うことだ。多くを語る必要はないよ。私はこれから宮廷に行かなければならない。話したいことがあれば、礼に話しておくれ。いいね」
 父は言うと立ち上がった。蓮は母と一緒に父を見送った後、すぐに母に向き直った。
「母様……私」
「曜から聞いたわ」
 母はどう話し始めたら良いか迷っている娘を助けた。
「伊緒理殿から五条に帰るように言われたのでしょう」
「……はい。伊緒理のお母様のようになって欲しくはないと言われて」
「……朔のように………」
 母は呟くように言って黙った。お母様のようになって欲しくないとはどう言うことか、とは尋ねられなかった。
「蓮……お父様はあんな風に言っているけど、怒っているわけではないの。あなたはこれまで通りにここにいてちょうだい」
 最後に母に手を握られて、蓮は少しだけ安堵した。
 蓮は自分の部屋に何もないので榧の部屋で一心不乱に写本をした。その途中、途中で昨夜の景之亮の言葉が蘇った。
 景之亮様はどのようにして私たちのことをお父様に話すのだろうか……。
 そんなことを考えていたが、翌日に七条から蓮の荷物が戻って来て、景之亮のことを考えている場合ではなかった。自分の部屋に机を運ばせてこれまで通りの部屋になった。
 伊緒理はこの荷物を送り返す差配をどんな気持ちでやってくれたのだろうか……。
 荷物が帰って来たと言うことは伊緒理は父母に説明をしていると思われた。伊緒理はなんと言ったのだろうか。
 全ての罪を自分が被ろうとしていないだろうか……。父も母も伊緒理の言葉を全て間に受けるとは思っていないだろが、蓮は心配になった。
 父から呼び出しがあるかと思っていたが、一向に伊緒理についての話はなく、広間での家族との夕餉で自然と父と会話し何も追求されることはなかった。
 そして、父も母も景之亮のことを何も言っては来ない。景之亮はいつ、父になんと言うのだろうか。
 その答えは蓮が景之亮と別れてから十日後に出た。
 自分の部屋で机に向かって本を写していると、母が父が呼んでいると言う。
 とうとう父が事の真相を詳しく聞く気になったのだと思った。
 蓮は立ち上がって母の隣に立つと、母は小さな声で言った。
「景之亮様がいらっしゃっているわ」
 それを聞いて蓮は俄に体が固まった。
「景之亮様が」
「ええ、そうよ……でも、あなたは景之亮様に全てお任せすればいいのよ」
 と母は言う。
 父母の心中はどうだろうか。
 伊緒理を袖にして景之亮に乗り換えるなんて、いくら娘でも許し難いことだろう。
 蓮は当然父からの叱責や追及があるはずだと思った。景之亮を矢面に立たせて置けるはずはない。景之亮は何も悪くないのだから。
 父母の部屋に入ると、奥に景之亮の大きな背中が見えた。景之亮の前に座って話をしている難しい顔をした父が見えた。
 蓮が来たことに気づいて父は顔を上げた。
「蓮、そこに座りなさい」
 声は軽口を叩くようなおどけたものではなく、厳しさを感じた。
「はい」
 蓮は示された景之亮の隣に腰を下ろした。
 景之亮は蓮に顔を向けて頷いて見せた。
 二人の男を天秤にかけて好き勝手して迷惑をかけているのだから、父に厳しく叱責されるのは覚悟の上だし、自分の傲慢で身勝手な感情をさらけ出して話さなければならないと思った。
「景之亮から話は聞いた。また、二人は妹背(夫婦)になると聞いた。そのことを許しほしいとね」
 父は蓮に向かって言うと、景之亮が一段と頭を低くした。
「お父様、私が景之亮様にもう一度妹背になりたいと手紙を送ったのです。誠に身勝手ですが私の今の気持ちです。それを景之亮様が私の代わりにおっしゃってくれたのです。私の我儘をどうかお許しください」
 蓮は言った。
「ははは。景之亮も同じようなことを言ったよ。自分の執念で蓮を説き伏せたと。私たちに迷惑をかけて申し訳ない。許してほしいとね。まあ、私たちは迷惑なんて被っていないんだけどね。それにね、二人を引き合わせたのは私だよ。別れろなんて一言も言っていない。勝手に別れたのはお前たちだろう。私は元の鞘に収まることになんの異論もないよ」
 父はそう返事をして笑った。
「景之亮、この子は身勝手な女人だがそれでも私にとってはかわいい娘なのだ。私の方からこの子をお願いしたい。やはり景之亮でなければいけないのだ」
 父と母は景之亮よりも深く頭を下げた。
「何をおっしゃいますか。ありがたいお言葉です」
 景之亮はそう返事し、頭を下げた。蓮もそれに合わせて一緒に深く頭を下げた。

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