明日は蓮が再び景之亮の邸に入る日だ。
蓮は風呂に入って髪を洗い、念入りに体の垢を落とした。
夜は家族揃って、と言っても実津瀬と榧はまだ五条に帰っていないが、一緒に夕餉を食べた。そこに遅れて景之亮がやってきて、夕餉は更に賑やかになった。特に宗清が蓮と景之亮の前に進み出て、二人の間であれやこれやと話に花を咲かせた。
「景之亮と蓮が話できないではないか」
と父実言に言われたが、宗清は怯むことなく言い放った。
「姉様は明日から景之亮殿と飽くことなく一緒にいられるのですから、少し私が邪魔をしても構わないでしょう!ねえ、姉様!」
と遠慮を知らない。
蓮も景之亮も苦笑いして、宗清の言葉を受け入れた。
宗清は景之亮の杯に並々と酒を注いで、蓮がどれほど愛すべき姉であるかを説いたのだった。
翌日、蓮は景之亮の邸に行くため侍女の曜と従者の鋳流巳を連れて五条を出た。
見送りは父母、弟の宗清、妹の珊である。
「姉様、またすぐに会えます。私は鷹取邸をお訪ねしますので!」
と宗清は言った。
宗清が言う通り、鷹取邸での生活が落ち着いて景之亮の許しが出たら、前のように五条の邸を行き来するつもりだ。蓮は笑顔で家族に別れの挨拶をし、景之亮の邸に向かった。
鷹取邸に着くと、門の内で景之亮が待っていてくれた。その隣には侍女の丸もいて、蓮は一目見るなりその前に進み出て手を差し出していた。景之亮よりも丸との再会を喜び、景之亮を少しばかり嫉妬させた。しかし、すぐに蓮は景之亮に向き、頭を下げた。昨夜ぶりであるが、ここまでの道のりを思うと、この邸で景之亮と会うと込み上げるものがあった。
通された部屋は前にこの邸に住んでいた時に蓮たち夫婦の部屋として使っていた部屋だった。
二人は一緒に円座に座ったが、景之亮はすぐに立ち上がって言った。
「少し待っていておくれ、今連れてくるから」
しばらくしてゆっくりとした足音が簀子縁をぐるりと回ってきて、庇の間の御簾を上げている入り口前で止まった。
「蓮」
景之亮の声で蓮は後ろを振り向いた。
景之亮に手を握られ立っている小さな男の子と、その隣で丸が抱いている赤子が見えた。
上の子は見たこともない女人が振り向いたことに驚き、目を見開いて固まっている。
蓮は立ち上がり近づいた。すると、景之亮の手を握る子は父の袖に隠れようとした。
その様子を見て、蓮は立ち止まりその場に座った。
景之亮が手を引いて庇の間に入ってきて、蓮の前に座って言った。
「この子が亨だ。そして、下の子が由豆流だ」
景之亮の言葉に蓮は頷いた。
「亨殿に由豆流殿」
それぞれの顔を見て蓮は言った。
「私は蓮と言います。どうぞよろしく」
蓮は亨に向かってゆっくりとお辞儀をした。
亨は恥ずかしいのか、父の袖を引っ張って顔を隠そうとした。由豆流は丸の腕の中ですやすやと眠っている。その安らかな寝顔に蓮は心が和んだ。
この子たちの母になれるだろうか。
景之亮とやり直すと決めた時に、すぐに思い浮かんだのは残された子供たちのことだ。前のように二人だけの生活ではない。この小さな子供たちを育てる母になるのだ。それは蓮にとっては大変なことかもしれないがその苦労は引き受けるつもりだ。
会ってすぐになついてくれるとは思っていない。今日から少しずつ慣れて行けたらいいのだ。
蓮は上目遣いで、蓮を見上げている亨に少し顔を寄せてにっこりと笑いかけた。近づいたことで、亨は再び父の袖を掴んで顔を隠した。
その様子を見た景之亮は丸に子供二人を子供部屋に連れて行くように言った。
その後、蓮は前日までに運び入れた自分の家具や持ち物を整理した。
愛用の机は一度目の結婚の時と同じ、庇の間の蔀戸の下に置かれていた。
「前と同じようにあなたのやりたいことをやったらいい。五条にも通って、礼様の手伝いをすればいい」
景之亮の言葉に蓮は微笑んで首を振った。
「今はこの邸の中のことをしっかりやらせてもらいます。いいでしょう?ここの生活に慣れたら時々母の手伝いに五条に帰らせてもらいますね」
景之亮は頷いて、あなたがいてくれて心強いと言った。
その日の夕餉は景之亮と丸で話し合って決めたのだろう、海の幸山の幸の載った皿がたくさん膳の上に並んだ豪華なものだった。邸の者たちも同じ膳を食べての久しぶりの贅沢だった。
食事が終わると丸を始めとする侍女たちは早々に二人を夫婦の部屋へと行かせて退散した。
部屋には寝所が準備されていた。
都が見渡せる丘の上で抱き合った以降、五条で顔を合わせることはあったが、手を取ったり体に腕を回したりなど触れ合うことはなかった。
蓮も景之亮も家族を振り回しているとの自覚はあるので、少なくとももう一度一緒に住むまでは身体の触れ合いは自重しようと言い合っていた。
だから今夜は特別な夜になるはずだ。
二度目の初夜というのは不思議な言い回しであるが、そんな気持ちである。
二人は褥に上がり座った。すぐに景之亮が蓮の体に手を伸ばして抱きしめた。
「……蓮」
久しぶりに妻として呼ぶ名に景之亮の声は甘くなった。
しかし、蓮は急に顔を上げて言った。
「景之亮様………あの時、この邸を勝手に出て行ったこと申し訳ありませんでした。きちんとお詫びしていませんでした。私を許してくださり感謝しています」
景之亮は蓮から手を離して向き合った。
「何を言うんだ。それは過ぎたことだ。お互いの思いはよくわかっているのだから」
「ええ、でも言わないと私の気がすみませんから………。またここに戻って来られるなんて夢みたい」
蓮は微笑んだ。
景之亮は再び蓮に手を伸ばして抱き寄せた。蓮も大きな景之亮の背中に手を回して抱き返した。景之亮の腕の中を味わった後、顔を上げて、景之亮の両頬に手を伸ばした。剛い髭の手触りが懐かしく、昔のことが蘇った。
景之亮は蓮の手に頬を預けたまま顔を近づけて蓮の唇を吸った。
長い接吻をして二人は唇を離した。
一度目の結婚では毎日抱き合っていたのだが、今夜はそんな過去は無かったように、初めての気持ちで心の臓が早鐘を打っている。
「あなたがここに戻ってきてくれて、私の方が夢を見ているみたいだ」
二人で褥の上に横になり抱き合った。蓮の背中に回した景之亮の手は下へと移動して、蓮の腰の帯を掴んだ。そのまま蓮の腹の上に手を移動させて結び目を解こうとした。蓮も景之亮の手が動きやすいように体を上に向けたところで、大きな泣き声が邸の中に響いた。
「…………」
蓮と景之亮は動きを止めて顔を見合わせた。
「泣き声」
「………すまない……子供達が泣いているようだ」
乳母があやして泣き止ませたのか、子供の泣き声は止まった。
景之亮は止めていた手を動かして蓮の帯を解いた。その手は止まることなく襟を掴んで大きくくつろげて、景之亮が蓮の胸に顔を埋めた時に、再び泣き声が響いた。
「……眠れないのかしら?毎夜こうなの?」
蓮が尋ねた。
「……私が毎夜寝かしつけているのだ。今夜はいないからぐずっているのかもしれない」
「景之亮様がお子を寝かしつけているの?毎夜?」
景之亮は頷いた。
優しい景之亮は子供を放っておけないのだと蓮は思った。
「景之亮様………お子のところに行ってあげて、いつものように」
蓮はくつろげられた襟を詰めて言った。
「蓮!何を言うんだ。今夜はあなたがここに戻ってきてくれた最初の夜だと言うのに」
景之亮は顔色を変えて言い返した。
「ええ。でも、私は明日もいるわ、明後日も。これからずっとここにいるのですから。今は小さな人のことを考えて!」
「蓮!」
「もう二人だけではないのですから!私はそのことを弁えています。あの子たちのことを考えて!私のことは後でいいのです。ずっと待っていますから」
蓮から景之亮の大きな体を抱きしめた。
「蓮……」
蓮の背中に手を回してぽんぽんと叩くと。
「わかった……行ってくる」
景之亮は蓮から手を離して立ち上がり、子供達の部屋へと向かった。
一人残された蓮は乱れた寝衣を直して、褥の上に座った。
しばらくするとそれまで聞こえていた泣き声が止まった。
やはり毎夜そばにいるお父さまにいて欲しかったのね。
蓮は考えた。
上の子供、亨は三歳である。下の子供、由豆流は生まれて一年も経たない。二人とも可愛らしく、蓮はすぐにでも手を握ったり、腕に抱きたいと思ったがそれは性急過ぎると思い、自重した。
下の子はわかっていないだろうが、上の子は母を覚えているだろう。失った寂しさがあるだろう。こちらの気持ちで近寄るのではなく、あの子の気持ちを考えながら、仲良くなって行けたらよいのだ。
明日から一緒に過ごして、声をかけて服を着せたり、食事をするのを手伝っていたら、あの子達も心を開いてくれるだろうから。
蓮は耳を澄ました。子供の泣き声は聞こえない。景之亮が行って落ち着いたようで、蓮は安堵した。すると、ゆっくりと板をするような音が近づいて来た。そして、「もう泣くんじゃないよ」と宥めている景之亮の声が聞こえた。
蓮は腰を浮かして、几帳の向こうの庇の間を見た。
すると、妻戸が開き、景之亮が上の子を腕に抱えて庇の間に入ってくるところが見えた。
蓮は息をひそめて近づいてくる景之亮の腕の中の亨を見た。
「………下の子はすやすやと寝ていたよ。この子がなかなか寝なくてね」
「そうなの……眠れないの?」
蓮はこちらを見つめている亨に向かって訊ねた。頬には泣いた涙の跡が見えた。
「蓮が来て、いつもと違うとわかっているんだろう。落ち着かないようだ。この子が、こちらに行きたいと言うので、蓮には申し訳ないが連れて来たんだ。どうも、あなたに会いたいようで。昼間に会った女の人はどこと何度も訊くんだ」
「まあ……」
「あなたが気になって仕方ないようだ」
「……嬉しいわ」
蓮は景之亮に移した視線を亨に戻して愛しそうに見つめた。
亨は笑うことはないが、怖がっているようでもない。初めて見る女人に興味はあるが、それを大きく示すのはいけないことように思って、ためらっているような感じである。
ぽんぽんと景之亮は亨の背中から肩のあたりを優しく撫でるように手を置いてあやすと、亨は目を擦って小さな口を開けてあくびをした。
「やはり眠いのね」
その様子を見て蓮は言った。
「ここに寝かせてあげてくださいな」
景之亮は反論することなく、自分に寄りかかっている亨を横抱きして褥の上に寝かせたが、自分一人が寝かされるのが嫌なようで亨はぐずった。景之亮はもう一度亨を腕に抱き抱えてあやした。
とんとんと背中をさすりながら、亨を落ち着かせた。
大きくて暖かい景之亮の手にさすられる亨は眠たそうな顔でじっとしていたが、もう一度あくびをした。
「私たちも寝ましょう。三人で横になればいいのよ」
蓮は提案し、衾をめくって横になった。景之亮も頷いて、もう一度亨を下に下ろした。今度は蓮が横に寝そべっているからか、嫌がる素ぶりは見せなかった。景之亮も横になると、亨は父の方を向いた。
毎夜、景之亮が添い寝をしているのだから、父に寄り添うのは当然のことだ。
蓮は亨の様子を見つめて思った。
「………蓮」
呼びかけられて蓮は顔を上げると、景之亮が蓮を見つめていた。
「私は………蓮と一緒にいたかった。たとえ子供がいなくてもそれでよかった。その気持ちに偽りはない。………しかし、今こうして我が子を得ては、やはり、この子たちがいてよかったと思っている………」
景之亮はこの言葉が蓮を傷つけるのではないか、蓮の気持ちを推しはかり、それでも言わないと行けないと苦しそうに声を押し出した。
「景之亮様、これは私が望んだことです。だから、心苦しく思わないで。あなたの子がいてよかった。悲しいことは、この子達にお母様がいなくなってしまったこと。……わたしはこの子たちのお母様の代わりはできないでしょう。でも、私はなれないと思っていた母の役割をさせてもらえる。そのことが嬉しいの。景之亮様と一緒にこの子達を育てられるのだもの」
「………蓮……」
こちらを見ている景之亮の目が光っているように見えた。
蓮に嫉妬や情けない気持ちはない。巡り巡ってまたこうして景之亮と共に、彼の子供を育てることができる運に感謝している。
景之亮は毎夜やっているように、息子の背中をさすった。
そのまま眠ると思ったが、亨は父の方からくるっと体の向きを変え、仰向けになって、天井を見つめていたが、急に蓮の方へ顔を向けた。
亨の様子を固唾を飲んで見守っていた蓮は、亨と目が合った。やはり眠いのだろう。目は半分つむりかけているが、それに抗って必死に目を開けようとしている。
蓮はそんな様子も可愛らしいと思った。
そのままじっと見つめていると、亨は不意に右手を蓮の方に伸ばした。その手は蓮に取って欲しいと言っているように見えた。
蓮は自分の右手を差し出して小さな手の中に指を入れた。すると、亨はぎゅっと蓮の指を掴んだ。
「亨殿……」
蓮は嬉しさが込み上げてきて、亨の名を言う声が震えた。
亨から歩み寄って、仲良くなることを許してくれたのだと思えた。
この夜、改めて景之亮の子の母になるのだと、蓮は誓ったのだった。
New Romantics 第ニ部STAY(STAY GOLD) 第十章5
小説 STAY(STAY DOLD)
コメント